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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#364

挫折と勲章
― 早川克美

図1

 写真は、28年前の今時分のもの。祭りで神輿を担いだときの写真だ。
旧東海道品川宿のまちづくりに命かけてた 30歳。

 この仕事がきっかけで努めていたデザイン事務所を辞めることになったという皮肉な仕事でもあった。毎週、てっぺんをすぎる深夜までまちづくりの打ち合わせで翌日は遅刻出社、あいつは何をやっているんだという声が幹部の中から出ていたようだ。当時の私にはすごいことをやっているんだという自負があって、組織のルールから外れてしまっていた。社内の評価が得られなかったことは、私の態度はもとより社内政治を一切しないやり方に問題があったのは明白だ。さらには、当時、住民参加のまちづくりへの世間の意識は、まだまだ局所的で低かったため、事務所内でも、「この仕事をうちの事務所でやるべき価値があるのか?」などという今では信じられない議論がされるほどだったのだ。この仕事を降りるか辞めるかを迫られることとなり、強気の自分は辞めることを選んだのだった。クビになったような、そんな辞め方だった。
 この写真はその直前あたりか。
 しかし、私には後悔はなかった。現実に、約3年の月日をかけてワークショップを繰り返し、私がとりまとめ書いたまちづくり計画書に沿って、その後の品川の事業が継続されていくこととなるので、その確信があったからだ。クビになったのは(クビじゃないけれど)名誉の負傷くらいに思っていた。
ただ、私は心底、その事務所が大好きだったので、まるで大失恋したような傷心はあり、その傷は、胸に深く刻まれてなかなか癒えることはなかった。強がっていはいても、挫折だった。

 その後は、お誘いを受けて転職し、そこで、数々のデザイン賞を受賞するようになったのは事務所を辞めて2年ほどしてからだろうか。賞にエントリーして上位賞に選ばれるのが当たり前のようになっていく。

 辞めた事務所の思想であったストイックで機能美を追求する造形の呪縛から、辞めたことによって解き放たれた時、私は自分の発想が自由に広がる浮遊感にも似た快感を得たのだった。型を知って型破り、とはこういう感覚なのかもしれない。閃き、という、天から降りてくる感覚が研ぎ澄まされたのはこの辺りからか。仕事のスピードと量が一気にスキルアップしていったのだった。辞めなければ得られなかった手応えだった。
 辞めて3年ほど経ったある日、某デザイン賞の授賞式で、辞めた事務所の社長だったNさんとばったり出会った。
(苦手なNさんだ。ご挨拶してこの場を離れよう……。)
 私はNさんを尊敬していたが、勤めていた頃から会話がなかなか成立しづらい相手で、正直、話すのが苦手だった。事務所を辞めたことも、Nさんが承諾したのだという微かな恨みのような気持ちもなくはなかった。

 そのNさんが見たこともない笑顔で話しかけて来られた。

「あー!早川さん、元気ぃ?」
(大抵、素っ頓狂な声かけをされる。この感じが苦手だったのだ。)
「ご無沙汰いたしております。」
「なんかさー、すごい活躍してるよね。」
(え?私の仕事、見てくださってる?)
「いつもさ、みんなに早川さんを見習えって言ってるんだよ。」
(辞めさせといて何を今さら……。)
「あのさー」
「はい」
「早川さん、あのさー…」
(めずらしく慎重なご様子。どうしたんだろう?)

「ウチに戻ってこない?」

ウチニモドッテコナイ????

うわー!!!!
この時の気分を何と形容したらいいだろう。
振られた男から、
「やっぱりお前のことが好きだ、やり直してくれ!」
そう言われたような、胸がすくような感。
恨みを晴らしたような、勝利したような、恍惚の気分。

あー、がんばって生きていて良かった。
ちゃんと生きていたら良いことってあるんだなぁ。
そして、見てくれる人は見てくれるんだなぁ。
泣きそうになった。

もちろん、もうその時は部下を10数人抱えた責任もあったため、
最大限の礼を尽くして丁重にお断りし、
「いただいたご恩を、外で活躍することでお返しいたします!」
そうお伝えした。
基本をふまえながら型を破れたことも、プロジェクトを例にあげて、ちゃんと評価してくださった。辞めてからのがむしゃらな3年が報われる思いだった。
Nさんはうんうんとうなづくと、いつでも遊びに来てねと言って立ち去られた。
まさに、勲章を与えられたと思った。

 今、まちづくりやコミュニティづくりをがんばっている若い人たちを見ていると、私の20〜30代の悪戦苦闘を思い出し、懐かしい気持ちになる。失礼ながら、やろうとしていることは、私が30年〜25年前に考えていたことと大して変わりがない。人間の考えることなんて、文明ほどには進化しないものだ。
しかし……、圧倒的に異なるのは、世間の理解と意識だ。まちづくりへの意識の高い人は多くなったし、活動も地域間で連携できたり、持続可能な経済の課題にも取り組めている。何より行政が市民を巻き込むことがあたりまえになったことは実に隔世の感を禁じ得ない。
いやぁ、良い時代になったねぇ。。

 写真に話を戻すと、
品川の御神輿は喧嘩御輿なので肩が血だらけになることも珍しくなかった。(今も名誉の傷は残ったまま!)全力で御輿を担いで血だらけとなり、道端でヘタっているけれど楽しくて仕方ない自分、生き様だなぁ、と苦笑いしている。

 Nさんはお亡くなりになられてもうお会いすることが叶わない。
今の私をご覧になられたら、もう一度勲章をくださるだろうか?
無性にお会いしたくなった。