さて、資料(史料)の話をしよう。
まがりなりにも、「研究」という名のもとに、なにか文章を書こうとすれば、きっと必要になるのが、そう、資料(史料)である。小説やエッセイ、もしかすると評論では要らないという場合もあるかも知れないが、「研究」というからには、やはり資料(史料)は不可欠だろう。いささか面倒なことのようだが、なにしろ話題が「研究」や「資料(史料)」なのだから、どうにも仕方がない。「研究」とは、言葉本来の意味において、手数のかかるものなのだ。
しかし、たとえ求めていた資料(史料)に、幸運にも巡り会えたとしても、そこには新たな問題が発生する。それは、その資料(史料)は本当に信頼できるのか、という厄介な、とても厄介な問題である。
オーラル・ヒストリー研究などの分野では、その研究史において、しばしば「聞き取り調査によって得られる情報に信憑性はあるのか」「調査者にとって都合のよい情報しか得られないのではないか」という問いが立てられ、議論が繰り返されてきた。
だが、よく考えてみれば(いや、よく考えるまでもなく)、記憶の歪みや主観性、集合的記憶の影響、調査者と調査対象者の相互作用性といった問題は、口述資料(史料)だけでなく、文献資料(史料)にも当てはまる問題だろう。
たとえば、昭和2年(1927年)に春陽堂から刊行された『漫談明治初年』という書物がある。昭和初年から明治初年を振り返るという趣向なのだろう。目次を見ると、市島謙吉や渋沢栄一、高村光雲や鏑木清方など、錚々たるメンツの名が並んでいる。なかでも、私のような寄席演芸の研究者にとっては、柳家小さん「明治の落語」、三遊亭一朝「円朝の死」といった談話に興味がそそられる。
しかも、「明治の落語」には、「円朝の種本」という章立てまであるではないか。喜ばずにはいられない。小さんは円朝のことをどのように語っているのだろうか、名人は名人を知るというし、これは楽しみだ、と興味津々で読み始めたのだが、どうもいけない。「円朝は狂言作者を抱へて飼ひ殺しにしてゐた。芸は拙いし採る処はないが」など、柳家小さんのものとは到底思えないような言葉がいくつもあって、なんだこれは、という感じで、驚かされる。
夏目漱石をして「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢやない」と言わしめた三代目柳家小さん。八代目林家正蔵(彦六)が尊敬して、「小さんの心で居ろ」という戒めをこめて、「小心居」を座右の銘とした三代目柳家小さん。その小さんが、先輩である円朝のことを、しかも本人が亡くなったあとに、こうも悪し様に罵るだろうか。かなりあやしい。
と思って、ほかの談話を読んでみると、人の名前や年次などに事実誤認が少なくないことに気づかされる。なんだ、そういうことか。意図的なのか否かはさておき(それなりに悪意があるようにも思われるが)、この本には、事実や史実を伝えようとするつもりは、さらさらないらしい。おもしろければよいのだ。もはや談話の語り手が柳家小さんというのも眉唾である。
まさに信頼できない資料(史料)といってよいだろう。
もう一つ、例を挙げておこう。
速記本という出版物のジャンルをご存知だろうか。落語や講談などの話芸を、速記記号によって筆録し、それを日本語に反訳、刊行した書籍を速記本という。明治17年(1884年)に最初の速記本、三遊亭円朝の『怪談牡丹燈籠』が出版された際には、「此冊子を読む者は亦寄席に於て円朝子が人情話を親聴するが如き快楽」を与えられると、大きな話題となった。
現在の我々にとってみれば、それは、録音技術の到来に間に合わなかった幕末から明治にかけての名人上手たちの言葉や声を、いまに届けてくれる唯一のメディアだといえるだろう。その『怪談牡丹燈籠』の冒頭はこのようにはじまる。東京稗史出版社版、すなわち初版本からの引用である。
寛保三年の四月十一日まだ東京を江戸と申しました頃
速記本を読むときに重要なのは、漢字よりもその脇に添えられたルビの方である。なぜなら、漢字は速記者によって事後的に選ばれた当て字であるが、ルビは円朝の言葉や声を志向しているからだ。ルビにこそ円朝の言葉や声は刻まれているというべきだろうか。ああ、円朝はこのような話芸の持ち主だったのか、と速記本が残されていることのありがたみを、ひしひしと感じずにはいられない(ちょっと大袈裟ですね)。
とはいうものの、円朝の『怪談牡丹燈籠』を読んでみようと思った人がいたとして、わざわざ初版本にあたろうとするヘンテコリンな読者は、ほとんどいないだろう。多くの読者が手に取るのは、文庫本にちがいない。では、同じ箇所を岩波文庫、平成14年(2002年)発行の改版から引用してみよう。
寛保三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃
「何が問題なの?」という方もいるかも知れない。注目したいのは、初版本の「東京」に振られたルビ「とうけい」である。そうか、円朝は「東京」を「とうけい」と発音していたのか、ふむふむ、という具合だろうか。そのことで何が明らかになるのかは、話が長く、ややこしくなるので、また別の機会に譲るとして、ここで問題なのは岩波文庫版では「東京」にルビが振られておらず、ほとんどの読者は「とうきょう」と読んでしまうことである。せっかく円朝の言葉と声を伝えてくれる筈の速記本なのに、もったいないったらありゃしない。
岩波文庫といえば、→買い切りで返本ができない、→岩波文庫が棚に並んでいる書店は信用できる、→岩波文庫は名著名作揃いで格が高い、というイメージがないだろうか(実際に岩波書店の校閲はすごく丁寧だ)。その岩波文庫にしてからが、このありさまである。
もちろん、岩波文庫には岩波文庫の言い分があって、「そんなに細かいことを気にする読者ばかりではない。それよりも一般の読者がより読みやすいように改変を加えた」ということなのだろう。しかし、そうとは知らず、円朝の言葉であり、円朝の声なのだと信じて、文庫本を読んでいる読者も、きっといる筈である。
信頼できない資料(史料)ということではないが、使用するには留保が必要な資料(史料)といったところだろうか。
ともあれ、「研究」に資料(史料)はつきものである。欠かすことはできない。だが、あらゆる資料が信頼できるというわけでもない。では、どうすればいいのか。その資料(史料)は信頼できるだろうか、と愚直に問い続けるしかないのである。
「研究」するって、(他人事のように)大変だなあ。