古代ローマ帝国の都市ポンペイ(イタリアのナポリ市近郊)は西暦79年にヴェスヴィオ山の噴火によって発生した大規模な火砕流に襲われて消滅したと考えられている。その災害に際して、政治家・軍人であり博物学者でもあったプリニウスが市民の救助と調査のために同地へと向かうも、噴火の影響を受けて亡くなったことはよく知られている。
ポンペイの街並みは地中深くに埋もれ長らく人々の記憶からも忘れ去られたが、やはりその時のヴェスヴィオ山噴火の犠牲となった都市ヘルクラネウムがまず1738年に発掘され、つづいてポンペイが1748年に再発見されると、それらの土地からはこの都市の昔日の繁栄ぶりを示す膨大な量の遺構や遺物が出土して、イタリアはもとよりヨーロッパ中の話題となり、古代の文化に対する憧れと関心を当時の社会に呼び起こすことになった。こうした潮流がやがて古代ギリシアや古代ローマの文化をみずからの模範とする新古典主義美術の誕生へとつながる。
ポンペイの遺物、とくに壁画などの美術品を紹介する展覧会はしばしば日本で開催されてきた。今年の年初から、東京を皮切りに京都・仙台・福岡県太宰府の順にほぼ1年間かけて日本を巡回する同遺跡の企画展が現在進行中である。以下において京都市京セラ美術館で7月3日まで実施された同展の様子を報告する。
これまでのポンペイ展はおおまかに2種類に分類される。基本的に壁画や彫刻などの美術品に主に焦点を絞ったもの、もう1つが美術品に加えて、高度に発達していた当時の文明の一端を示す道具類や社会インフラなどの遺構も含めた展示である。今回は後者に当たる。まず、入口を通過するとヴェスヴィオ山の噴火によって命を失った女性犠牲者の石膏像が来館者を迎えてくれる。こうした像は、噴火の際に亡くなった遺体の上に火山灰などが堆積し、やがて肉体が朽ちることによって生じた空間に石膏を流し込むことで得られる。その像の形態は意外なほどにリアルで、この災害の恐ろしさを不気味に伝えてくれる。
つづいてポンペイの公共建築に施された宗教関連の壁画や彫刻作品が展示される。絵画や彫刻からは、古代ローマの美術が古代ギリシア美術にみられる自然主義的な表現(解剖学的に正しい身体表現や立体的な空間表現)を引き継いでいることがよくわかる。たとえば《アウグストゥスの胸像》(1〜37年/エルコラーノ出土)や《食卓のヘラクレス》(前1世紀/ポンペイ出土)などの彫刻作品や《三美神》(前15〜後50年/ポンペイ)のような絵画作品(フレスコ)である。
その他にも、この展示セクションにはブロンズ製の水道バルブ(1世紀/ポンペイ出土)も出品されていた。これら水流調節のためのバルブは現在われわれが目にするものとほぼ変わらない姿につくられており、その精巧さには驚くしかない。また、やはりブロンズ製のパレード用兜(1世紀/ポンペイ出土)・脛当て(1世紀/ポンペイ出土)・肩当て(1世紀/ポンペイ出土)からも当時の高い金属加工技術を窺い知ることができる。さらに展示室を進むと裕福な人々が使用していた美しいガラス製品、金や宝石によって彩られた装身具、当時流通していた銀貨や金貨を間近で鑑賞することもできる。
その次の展示では、人々の暮らしが「食」と「仕事」という視点から紹介されている。炭化した果物(イチジクや干しブドウ/ポンペイ出土)や炭化したパン(ポンペイ出土)が目を引く。わたし自身が興味をもったものはブロンズ製のさまざまな道具である。コンパスや曲尺はもちろん、とくに驚いたのが精密な出来栄えの外科器具(膣鏡/1世紀/ポンペイ出土)だ。道具をつくる工作技術の高さだけではなく、医療レベルの高さ、高度な文明がかつて存在したことをそれらは指し示している。
展示の終盤には精緻なモザイク画やブロンズ像を見ることができる。前者は《葉綱と悲劇の仮面》(前2世紀/ポンペイ出土[ファウヌスの家]/モザイク)と《ネコとカモ》(前1世紀/ポンペイ出土[ファウヌスの家]/モザイク)である。モザイク画を構成するテッセラと呼ばれる四角い小片を細かに組み合わせて、表された事物の形態は言うまでもなく、色彩のグラデーションについても描写されている。後者はなんと言っても《踊るファウヌス》(前2世紀/ポンペイ出土[ファウヌスの家]/ブロンズ)である。まるで軽やかな足取りと手の仕草で踊っているかのように表現されているファウヌス(古代ローマにおける森の神)は必見であろう。
この企画展示の最後を飾るのは、過去におこなわれた調査・発掘を振り返り、その問題点を洗い出すとともに、ポンペイ遺跡を後世に伝えるために必要となる保存と修復に向けた取り組みである。貴重な文化財を掘り出して、興味の赴くままにただ展示・鑑賞して消費するのではなく、それらを引き継いでいくためにわれわれがしなければならないことを考えさせてくれる展示は素晴らしい。