同じ釜の飯を食う
先日、大学院学際デザイン研究領域早川ゼミのゼミ合宿を実施した。コロナ禍において果たして実施するべきかギリギリまで悩み、それでもなお行くべきだと判断し、学生諸君には厳しい事前からの感染対策をお願いして出発が叶った。
私の主催しているゼミはすべてオンラインで進行し、対面で会うことは必修のプログラムとしては予定されていない。修士研究は5人一組のチームで共同研究として進められる。チームは全部で6チーム、30名がゼミに在籍している。ちょうどこの時期、ゼミ生たちはオンラインで苦労しながら(あるいは楽しみながら)チームビルディングに取り組み、対話を重ねて一つのリサーチクエスチョンを導き出し、それぞれが独自の研究への足がかりを見つけた段階だ。もしくはチームによってはなかなか考えがまとまらず停滞を感じているところもあったかもしれない。当初より、この時期だからこそ、オンラインのゼミは一年に一度だけ対面で会う時間を持つ必要があると私は確信していた。そして、「会う」だけでなく、「旅を共にしよう」と心に決めていたのだった。
旅は「同じ釜の飯を食う」ことを文字通りに体現してくれる。つまり、寝起きをともにし、一つの釜(かま)で炊いたごはんを分け合って食べ、共に歩き、同じものを見て感じ、語り合う時間を共有することで、私たちで言えば、「研究」という苦楽を共にする仲間への連帯をフィジカルに受け取ることができる。お互いをより深く理解するには、旅は魔法のように様々な奇跡をもたらせてくれる。
行けば、わかる。わかるのだ。
私たちは越後湯沢を拠点に、ゼミを対面で実施し、越後妻有で開催されている大地の芸術祭のパーマネントコレクションを鑑賞した。「藝」という言葉の語源である「植え付ける」を表したように、雄大な自然と農村環境の中に、作品が埋め込まれていた。この地を自分が選んだ偶然に感謝した。土地の力に、作品の力に助けられている。私は引率しながら、ゼミ生たちの心がひらいていく様子に、そして作品を前に素直に感じ取ろうとしている背中に、胸を打たれた。ゼミ生たちは、それぞれが社会で活躍されている様々な分野のエキスパートだ。普段のオンラインでは、そんな背負っているものが見え隠れする。それが、旅を共にすごし、自然と芸術を前にしたとき、彼らの素の人間性が現れて、素直で無垢な交流が繰り広げられたのだった。きっと彼らは「仲間」を確認できたに違いない。目の輝き、笑顔が実に生き生きとして、それは尊い時間となった。来てよかった。心からそう思った。
愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。
Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction. (サン=テグジュペリ)
チームで研究を進めるということは、個々の独立と相互の信頼が不可欠だ。そして、信頼の醸成は、見つめ合うことだけではうまくいかない。同じ方向をみつめられるか、つまり同じベクトルの共有があって、実現できることなのだ。今回の旅は、そのベクトルを確認するための、前段階としてのフィジカルな体験の共有になったに違いない。この同じ体験の記憶が、今後、ゼミ生たちのチームワークの潤滑剤になるだろう。オンラインの対話は、時間と空間に余白を生み出しにくいため、物理的にお互いを見つめ合うことを強要してしまう傾向にあるかもしれない、と常々思ってきた。今回、旅によって、私たちに得られた連帯感の確認は、対面ならではの力であったと思う。年に一度の旅を今後も継続していきたい。
「これは研究科目の一環であり、完全遠隔で学ぶ院生にとっては一生に一度の貴重な機会です。必修ではないにせよ、重要至急の教育活動と思います。」今回の旅の実施に際し、研究科長より賜った力強い、背中を押していただく言葉だった。
この旅の実現に協力くださった方々、そして参加してくれたゼミ生、参加は叶わなったけれど後方支援してくれたゼミ生、すべての人に感謝を申し上げたい。
学際デザイン研究領域 https://www.kyoto-art.ac.jp/tg/field/Interdisciplinary-design/