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アネモメトリ -風の手帖-

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#35

三十一文字で描く“思いのオブジェ”
― 須藤未奈子

(2015.10.05公開)

 5・7・5・7・7の限られた文字数で心にとまった情景や思いを表現する短歌。歌人の須藤未奈子さんは、大学の授業で短歌と出会い、作歌をはじめて2年で、所属する短歌結社の新人賞に選ばれた。彼女はいつも短歌のことを考えながら日々を過ごしているという。大学では洋画を学んでいた須藤さんが、生活の中心に短歌を据えるようになった理由とは何なのだろうか。須藤さんが感じる短歌の魅力と、創作に対する姿勢について伺った。

学祭の展示

須藤さんが京都造形芸術大学の学園祭で展示した短歌のディスプレイ

——短歌を詠むようになったきっかけについて教えてください。

わたしが在籍していたのは京都造形芸術大学の通信制の洋画コースでした。2006年に入学したものの、だんだん授業で絵を描くのが嫌になって、単位も思ったように取れていませんでした。そして2012年度に、洋画ではなく別の学科の授業を受けてみようと思っていたところ、短歌を学ぶ文学の授業を見つけたんです。
ちょうどそのころ『ちはやふる』という競技かるたのアニメを観ていたんですね。ひとりが百人一首の上の句を読んで、他のひとたちが下の句をとる、よく知られている伝統的な遊びを競技にしたのが競技かるたです。アニメでは上の句を読む声が言葉になる直前の、一瞬の音だけを聞いて、選手たちが札を取っていました。それで、昔の和歌を声に出して読んだときの文語体や歴史的仮名づかいのリズムや音律に興味を持っていました。
短歌は和歌から派生したものですから、短歌が学べるなら和歌にも近づけるだろうと思って文学の授業を受けることにしたんです。だから偶然といいますか、2012年にいろいろと重なって短歌に出会うことができました。

*『ちはやふる』:講談社の女性向けマンガ雑誌『BE・LOVE』にて、2007年から連載されている競技かるたを扱った少女マンガ。アニメは2011年10月4日から放送され、2013年に第二期が終了。2016年には実写映画が放映される。

——子どものころの経験で、短歌と関係があることはありますか?

わたしが短歌をつづけていることと関係があるのは、小学校4年生ときに、近所にあったお絵かき教室に通っていたことだと思います。その教室の先生がわたしの描いた絵を褒めてくれて、それがすごくうれしかったんです。教室の他の生徒や先生から、自分の描いた絵にレスポンスが返ってくるということが絵を描くよろこびになって、大学でも絵を描こうと思うきっかけになりました。
そしてそれが今、短歌を詠んでいることにもつながっていると思います。わたしがはじめて歌会に参加したとき、詠んだ短歌に好評をいただけたんですね。短歌のこともよくわからないまま言葉が好きというだけでつくった歌を、みんなから褒められたのがすごくうれしくて、また短歌を詠みたいって思いました。
絵を描こうと思ったときにも、短歌をつくっているときも、自分が発信したものに他者からいいねって言ってもらいたい、ということが動機のひとつになっています。ただ、絵のときよりも、短歌のほうがいい歌をつくりたいとか、自分の気持ちを素直に言葉で表現したいっていう純粋な熱意とか情熱があります。
でも相変わらず、無視されたくなくて、反応が欲しくて、わたしがここにちゃんといるんだって実感を求めている気がします。そういうエゴイスティックな部分への疎ましさが20代のころはあって、すごく苦しかったんですけど、最近は冷静に認められるようになってきました。
子どものころ神奈川の祖父母の家で、畑仕事を手伝ったり自然に親しんでいたことも、短歌が好きなこととつがなっていると思います。わたしが短歌をつくり始めたときに、草花とか鳥とか風とか自然物と向き合って歌を詠んだことがすごく楽しかったんです。わたしは高校を卒業してから4年以上、北海道に住んでいました。短歌を詠むときに北海道の大自然の情景がよみがえってくることもあります。

——なぜ俳句でも詩でもなく、短歌が好きになったと思いますか? 短歌の魅力について教えて下さい。

短歌には5・7・5・7・7という31文字の決まった型がありますよね。わたしはこの文字数を“空間”って呼んでいるんですけど、短歌は空間が広すぎず狭すぎず一目で見渡せるちょうどいい広さなんです。
俳句は5・7・5という型がありますが、これだとわたしにとって狭すぎます。やっぱり自分を見てもらいたい、聞いてもらいたいって欲があるので、気持ちをどこかにいれたいんですよ。散文詩は空間が広すぎて、自分の思いが余ってしまうのでわたしにはつくることができません。なので短歌の長さがちょうどいいんです。
短歌は文芸のひとつですけど、わたしのなかで短歌は“思いのオブジェ”です。何かをつくりたいなと思ったとき、何もないところから構築するより、型があればそれがよりどころになります。短歌では言葉を31文字にまとめる段階で思いがどんどん洗練されていくんです。短歌の型を決めた昔のひとは、ほんとにすごいなって思います。

——どんなときに短歌を詠みたくなりますか? また作歌の際に心がけていることは何ですか?

最近では、蝉がすごく鳴いていてうるさいなって思ったときに、たまたま“蝉しぐれ”という言葉が浮かんできたんで、この言葉をつかった短歌を詠みました。こうして生活のなかの場面から言葉が思い浮かぶこともあれば、言葉から場面を連想するときもあります。たとえば“遠花火”っていう遠くで花火があがるという意味の言葉がありますよね。その“遠花火”という言葉から想像が膨らんで、わくわくした気持ちになって短歌を詠んだこともあります。
短歌を詠むときに心がけているのは、文語と歴史的仮名づかいです。百人一首が題材の『ちはやふる』が好きだったこともあって和歌への憧れがあるんです。だからわたしが詠むのは現代短歌ではあるんですが、古風な言葉づかいがしたいという気持ちが作歌への原動力になっているように思います。
もともと中学や高校の古典の授業が好きで、なかなか自分に合っているなと思って勉強していたんですね。そのときの記憶がすごく役立っていて、一から昔の文法を考えているわけではないんです。まだまだ勉強中ではあるんですが、自分が詠める範囲でつくっています。
それに“音”にも気をつかっています。今では短歌はほとんど文字を読んで味わいますが、短歌は和歌だった時代から声に出して耳で聞いていました。そういう音の心地よさを追求するのが短歌の“歌”の部分です。
文字ばかりを見ながら言葉を当てはめていくつくりかたも楽しいんですけど、短歌は目で見るのと同時に耳で聞いたときの音律の心地よさを追求するやりかたもあります。そのぶん朗読には気をつかいますが、やっぱり言葉は音なんだなって思いますね。

短歌3
短歌4

文中で話題に出た、須藤さんの短歌。鳥の落款は、自然のものを詠むのが好きな須藤さんが、消しゴムハンコで手作りしたもの

——どのような手段で短歌を発表しているのでしょうか? 周りからは、どのような反応があるでしょうか?

大学で受けた授業で、短歌の結社に所属している先生が、会員同士で短歌を披露し合う歌会に誘ってくださいました。それから毎月京都で行われている歌会に参加しています。
2013年の初めごろに本格的に会員になった日本歌人という結社では、会員制の結社誌があって、そこに毎月8首の短歌を載せさせてもらっています。日本歌人では未発表の新作30首で応募する新人賞に応募して、2014年にはこの賞に選んでいただきました。こうして発表の場があって、わたしの短歌を認めてくれるというのはとてもありがたいことです。
毎月8首を詠みながら新人賞のための30首も別にためていくというのはちょっと大変でしたが、新人だからこそ勢いでできてしまったんだと思います。それから短歌に対するいろんな知識がついてきたことで作歌の勢いにブレーキがかかってスランプのような状態になってしまいました。最近になって、なんとか沈んだところから脱しつつあります。

日本歌人の結社誌

須藤さんが新人賞を獲得した結社の月刊誌『日本歌人』。毎月会員向けに発行

——創作の意欲が湧かないとき、どんなことをしていましたか?

わたしは2010年に京都に引っ越してきて以来、ずっと同じ飲食店でアルバイトをして生活しています。短歌とは全然関係がない仕事なんですが、これが良かったんだと思います。体を使う忙しい仕事なので短歌がうまくつくれなくて落ち込んでいても、働いているときは忘れなきゃいけません。すると悩んでいるときとは違う目線が持てるんです。それが「あ、こうすればいいかもしれない」って気づくきっかけにもなって短歌ができたこともあります。

——スランプから抜け出しつつある今、どんなことが課題ですか?

ほぼ毎日作歌をつづけ、短歌を詠むことに関してはそこそこ自信が持てるようになってきました。ただ、他人の歌を鑑賞することに関してはまだ悩んでいるところです。
わたしが毎月参加している歌会では、自分の歌がどうなのかというより、限られた時間のなかでいかに他人の歌を鑑賞するかが求められます。はじめのころは「この歌どうですか」って急に聞かれて、緊張して何も言えず辛かったときもありました。
でも毎月参加しつづけて2年経ってみて、あんまり考えないほうがいいなってことに気付きました。最近は目の前が開けた感じがあります。「どうせ自分が持ち合わせてる知識しか出せないんだ」と開き直って、思ったことを素直に言えるようになってきました。今は要点を1つ2つに絞って発言することを歌会の目標にしています。そうすれば、考えすぎるよりもひとに思いが伝わるんです。
一方で歌集を読んでひとの短歌を鑑賞するときは、手元に辞書とか資料があるので、粘り強く地道に読んでますね。例えば短歌を読んでいるとき、作者の歌人が有名なかただったら、どうしても歌人の人生と短歌を重ね合わせてじっくり鑑賞したくなります。
以前、2010年に亡くなった歌人の河野裕子さんのエッセイを読みました。それでどんな気持ちで日々を過ごされていたのかうかがい知れたので、河野さんの短歌を読む際は、河野さんの人生に思いを馳せずにはいられません。

*河野裕子:1946年熊本生まれ。戦後の女性歌人の代表的存在。夫と長男、長女も著名な歌人である。晩年には乳がんと闘いながらも多くの短歌を残し2010年に逝去。

——憧れの歌人はいますか?

ひとりは今お話しした河野裕子さんです。情が深い、懐の深い女性であり、母親であった河野さんみたいな生き方は誰にも真似できないと思います。わたしも自分らしい人生観とか女性観を持って、作歌にも生活にも臨んでいけたらいいなって思います。
もうひとかたは、柳原白蓮さんですね。NHKの連続テレビ小説『花子とアン』の登場人物のモデルとしても知られています。白蓮さんは明治のかたで、復刻版の第一歌集を買って読んでみたら、鑑賞がヘタなわたしでもするすると読めました。このかたの人生もとても真似できませんが、わたしにとってとても共感できる歌ばかりでした。歌はすごくドラマチックかつ耽美で、自分には縁のない歌いぶりなのでとても憧れます。短歌がなかったら生きていられなかったとおっしゃっていて、短歌に対する強い思いを感じます。
わたしは短歌は好きですけど、そこまで強い思いはないので、河野さんや柳原さんのような女性歌人に憧れがあります。

*柳原白蓮:1885年東京生まれ。大正天皇の従妹で「大正三美人」のひとりと言われた歌人。養女として育てられた家に嫁ぎ15歳で長男を出産するも離婚。福岡の“炭鉱王”と再婚するが、夫らとの不和により新たな恋人と共に出奔。再々婚をし、関東大震災や戦争を経験し81歳で逝去。

——これから短歌とどのように向き合っていきたいですか? また、短歌だけで食べていけるようになりたいと思いますか?

短歌だけで食べていこうという強い思いは今のところ特にないですね。ただ、自分らしい生き方というのは何なのかなって今さらながらに考えて、9月いっぱいでバイトをやめることにしました。そして今年中に家族のいる北海道に引っ越そうと思っています。
北海道の大自然のなかで短歌をつくるつもりです。短歌をつくりはじめたとき、何かと草花や風などの自然に頼って歌をつくっていました。自分の思いではなくて、情景ばかりが出てくるのでよくないのかなって思っていたんですけど、それがとても楽しかったんです。これからはもっと自分の気持ちに正直になって、正面から自然と向き合いながら短歌を詠みたいです。
そして100歳まで生きて、歌人でいられつづけられたらいいなって思っています。歌人で長生きのかたがけっこういらっしゃいます。そういうふうに長く生きて長く短歌つくったときに、自分の短歌がどう変化していくのかに興味があります。すごい歌をつくってやろうとか思わずに、地道につづけていけたらいいですね。

短歌5

8月に須藤さんが鎌倉に行った際、その場で詠んだ短歌。「自然と向き合って詠もう」という気持ちを抱く転機にもなった

インタビュー・文 大迫知信
2015.9.14電話にて取材

プロフィール

須藤未奈子(すどう・みなこ)
1984年生まれ。伝統文化と自然が残る神奈川県小田原市で子ども時代を過ごす。高校卒業後は家族とともに北海道に渡り、4年後に京都造形芸術大学通信教育部洋画コースに入学。2012年に文学の授業で短歌に出会い、それ以来作歌をつづける。2014年に短歌結社・日本歌人の新人賞を受賞。2015年には短歌総合誌『短歌往来』の4月号に今月の新人として掲載される。今後は家族のいる北海道に戻り、大自然に向き合いながら作歌しつづけることを決意。

大迫知信(おおさこ・とものぶ)
工業系の大学を卒業し、某電力会社の社員として発電所に勤務。その後、文章を書く仕事をしようと会社を辞め、京都造形芸術大学文芸表現学科に入学する。現在は関西でライターとして活動中。