(2016.08.05公開)
熊本に事務所を構えるデザイナー、上妻勇太さん。他県の芸術大学と大学院で学び、美術に関わる仕事に就いたあと、地元に帰って3年が経つ。主に紙媒体のイラストやデザインを手がけ、熊本のアートイベントの企画運営にも携わる。作家として開催した個展は熊本の美容室や大分の古民家などを会場に選び、展示されるのはその土地の風景を切り取ったようなイラスト。地域に密着した活動を行う上妻さんの、仕事や作品に対する思いをうかがった。
———九州の食を紹介する雑誌『九州の食卓』でデザインやイラストを手がけられていますが、どんなことに気をつけていますか?
現場に行くことですね。今はフリーランスになって『九州の食卓』のイラストを描いていますが、熊本に帰ってきてからこの雑誌をつくっている会社で1年ちかく働いていました。そのときに自分からお願いして取材に同行させてもらっていたんです。雑誌のデザイナーはふつう、取材には同行しませんが、実際に行って触れてみたその場所の雰囲気や野菜の感触といったものはイラストにも反映されると思うんです。
最近は農家さんから直接受ける仕事の依頼が増えています。例えばトマトの商品パッケージの上に貼るシールだとか、贈答用の箱のデザインも手がけています。何人かのデザイナーを当たったあとに僕のところに来た農家の方に「上妻さんは他のひとと全然違うテイストですよね」と言われて、それがすごく嬉しかったですね。
———上妻さんは、作家として、日常的な瞬間を切り取ったようなイラストも描かれていますね。
結婚式や誕生日、恋人との初デートなど、人生の節目になる瞬間も素晴らしいと思います。でもそれは誰かがカメラで撮っていたり、絵に描かれる機会も多いですよね。だから僕は何気なく過ぎ去ってしまうような日常の風景を切り取って、ちゃんと残していきたいんです。そう思ったのは、大学生時代のカメラの授業がきっかけです。そのころはかなり写真を撮っていて、あとで見返すと狙って撮ったものより、余ったフィルムで捨て撮りした友達の寝顔とか、台所に立つお母さんの姿とか、そっちのほうがいい写真だなあと思いました。こういう瞬間こそかけがえのないものだと感じたんです。
———上妻さんの個展のテーマ『Somewhere in time』(ある日どこかで)には、“何気ない瞬間こそかけがえのないものだ”という意味があったんですね。
それはずっと描き続けている大切にしていきたいテーマです。このタイトルで、大分の竹田という小さな町で個展をやりました。竹田は城の石垣が残っていたりして象徴的な風景もあるのですが、町のほんとの個性は住んでるひとの何気ない生活の中にあると思うんです。だから僕は展示をするときには、必ずある程度の期間、現地をフィールドワークしてイラストを描きます。
竹田ではメガネ屋のおじいちゃんがホンダの原付バイクに乗って犬の散歩をしているところを描きました。するとその絵を見たおじいちゃんがすごく喜んでくれて「当たり前なことだと思ってたけど、そうじゃないんだね」と言っていました。何気ない瞬間が特別なんだと僕の絵を通じて伝わったことがとても嬉しかったですね。
———上妻さんは京都造形芸術大学の空間演出デザイン学科、ファッションデザインコースを卒業されています。大学ではどんな活動をしていたのでしょうか?
僕は熊本の高校の美術科を卒業しました。そのころはファッションデザイナーになりたくて、京都造形芸術大学のファッションデザインコースに入学したんです。大学生のころは学科を越えて制作を行うプロジェクトにいくつも参加していました。特に印象深いのは産学連携でふんどしをつくったプロジェクトです。
京都の北に繊維街があるんですが、そこの業者さんと協力して、大手の会社ができない個性的なことをやろうということになりました。そして僕がプロジェクトリーダーになってつくったのが、女性用ふんどしと介護用ふんどし、外国人向けのお土産用ふんどしの3種類です。これらをデザインしたり、宣伝の仕方を考えたりして、業者さんに制作してもらいました。完成したものは京都国際会館のイベントで展示して、テレビや新聞などで取り上げられました。
そういうプロジェクトも含めて、学生時代は課題だからとか、単位をもらいたいからという義務感ではなく、ただ純粋に誰かと何かをつくることが楽しくて活動していました。京都造形芸術大学での経験が、僕の制作の原点になっているように思います。
———その後、滋賀県甲賀市役所・信楽支所の臨時職員としてアートイベントの運営に携わったそうですね。
京都造形芸術大学の松井利夫先生のすすめでの『信楽まちなか芸術祭』のコーディネーターをやりました。これは信楽の焼物を町全体に展示して、町を歩きながら独特の雰囲気と信楽焼を楽しんでもらおうというイベントです。行政や大学、窯元、地域住民といったさまざまな立場のひとが関わっていたので、僕はそれぞれの立場のひとと話し合ったり意見を調整したりして、全体がうまくいくようにコーディネートしました。
例えば、犬猿の仲と言われている2人がいたとします。でも話を聞いてみると、どちらの意見もあまり変わらない。そういうときはあいだに入って、お互いの意見を少し調整するだけでうまくいくようになります。石をひとつ投げると水面に波紋が広がるように、ちょっとしたことでみんなのコミュニケーションが円滑になるんです。話を聞くために窯元さんの飲み会にもよく参加させてもらいました。濃密な地域のコミュニティに溶け込めたのも楽しかったですね。コーディネーターは適職だったと思います。
———その後、熊本に戻られて、現在まで活動されていますね。
熊本に帰りたいと強く思っていたわけではなくて、偶然の部分が大きいですね。前の年に祖父母が続いて亡くなってしまって家が一軒空いたんです。住むところがあるし帰ろうかな、というくらいの気持ちでしたね。でも帰ってみると、熊本が故郷だったんだなと痛感しました。例えば『九州の食卓』で仕事をするようになると、周りはほとんど県外に出て帰ってきたひとばかりで、それだけで気持ちが通じるような心地よさがありました。それに僕が出た高校の美術科は歴史が古くて、OBさんたちが美術関係で頑張っています。そのつながりで、『熊本アート百貨店』というイベントを企画・運営させていただきました。なにかをやろうと思ったときに、すぐに協力が得られるのは地元のつながりがあるからできることです。
———若手作家中心のアートイベント『熊本アート百貨店』を企画・運営したのはなぜですか?
地方の若い美術作家さんたちは、いい作品をつくっていてもあまり仕事が回ってこないという実情があります。だけど、美術作品の制作を依頼する企業側からすると、実績があって信頼が置ける大御所に任せたくなるのもわかります。だからこそ若手作家の作品を多くのひとに見てもらうことが必要だと思ったんです。
こうした地方の美術業界の問題をなんとかしたいと団体をつくって活動している方々が熊本にはいらっしゃって、僕もそこのメンバーに加えてもらいました。そして『熊本アート百貨店』を企画し、みなさんと一緒に形にしていきました。
地元の方々の協力で、複数の企業が協賛してくれて、たくさんのひとが見に来てくれました。そして集まった作品は、どれもほんとにいいものばかりだったので、このイベントがきっかけになって仕事がいくつも生まれています。僕自身も作品を展示していて、何件か仕事の依頼をいただきました。
僕を含めて美術作家といっても、それぞれに得意不得意があります。彼らの得意分野と企業の要望をコーディネートしてくれる仕組みが今、求められていることだと感じました。
———4月に起きた熊本の震災ではどのような影響がありましたか?
地震のときは自宅で仕事をしていました。震源地に近かったので大きく揺れて、家の壁の一部がはがれましたし、瓦が落ちて雨漏りするようになりました。でも直接の被害はそれくらいで、周りに住んでいる親戚たちと食料や水を分け合ったりして、僕自身はそれほど困ることはありませんでした。でもFacebookなんかでひどいようすが伝わってくると、この現実にどう向き合ったらいいのか悩みました。地震の光景をイラストにするのは違う気がするし、自分の状況をSNSでシェアする気にもなれない。ただ落ちた瓦を屋根に登って直したりだとか、自分の家は井戸があるで周りのひとたちに水を配ったりして、身の回りのできることをやっているという感じです。
———今後の目標について教えてください。
5月の末にデザイン事務所を開設しました。故郷を離れてからは自分のことを根無し草のように感じていましたが、熊本に帰って来て3年目の今、この地に根を下ろしているという感覚があります。そうすると、自分なりにもっとこの地域をよくしていきたいと考えるようにもなりました。例えば以前住んでいた関西に比べてこの辺りは個展ができる場所が少ないですし、小さな規模の映画を上映するところもありません。そういった文化やアートに関連した場所がないので、自分が場所を見つけて何らかのイベントを開催できればと思っています。さらにアートイベントに限らず、地元の若手美術作家さんと企業をつなぐキュレーターのようなことにも少しずつ取りかかっています。これからも何気ない日々を大切にしながら、新しいことをやっていきたいです。
インタビュー・文 大迫知信
2016.06.22 オンライン通話にてインタビュー
上妻勇太(こうづま・ゆうた)
イラストレーターとして主に紙媒体のグラフィックを手掛ける傍ら、作家として平面や立体、映像とメディアを横断しながら活動中。双方ともに、観察とインタビューを軸とした対話から、対象の輪郭をあぶりだし、ドキュメントとして作品へと落としこんでいく。近年は、キュレーター/コーディネーターとして「信楽まちなか芸術祭」(2010年)や「熊本アート百貨店」(2015年)などのアートプロジェクトの企画運営を手掛けるほか、イラストレーターとして『Somewhere in time』(ある日どこかで)と題し、意識とは関係なく営々と続く日常の営みを切り取る絵画シリーズを展開している。
大迫知信(おおさこ・とものぶ)
1984年生まれ。工業系の大学を卒業し、某電力会社の社員として発電所に勤務。その後、文章を書く仕事をしようと会社を辞め、京都造形芸術大学文芸表現学科に入学する。現在は関西でライターとして活動中。