アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#98

ナイフ
― 清水祐輔

(2021.02.05公開)

罠猟師になって八年目の冬が来ている。その間、同じ刃物を携えている。小さい剣鉈、といった形状のナイフである。研ぎながら少しずつ短くなった刃渡りは最初の頃よりも手になじみ、この刃物に合わせた手の動きになっているように思う。このナイフを使って、獣の命を奪い、皮を剥き、腹を裂いて腸を出している。
狩猟を始めた当初は、主に趣味的に自家用で獣を獲っていたが、所帯を持ったことで狩猟を生業にし、現在は暮らす為に獣を獲っている。
ナイフの第一の用途は、獣の命を奪うことにある。バールで頭部を殴打し、失神している間に、獣の首の付け根辺りにナイフを突き立て、差し込む。効率よく失血死させる為だ。出血しているものの数分で獣の目から光が消え、末期に少し震えて、動かなくなる。獣の命が薄れていく時間は、言葉では言い表し難い。
ナイフで突く前に、諏訪の勘文「業尽有情 雖放不生 故宿人身 同証仏果」という免罪の呪文を口の中で唱え、なけなしの罪悪感を少しでも軽くしようとしている。
血が流れているあいだは、出来るだけ死にゆく獣に向き合うようにしている。呪文を唱える行為に続く儀式の様なものかもしれないし、命を奪った行為を咀嚼するためのルーティンみたいなものかもしれない。
その後、死んだ獣を早急に処理施設に運ぶ。獣の筋肉を、食肉にする為だ。
第二の用途として、獣の皮を剥く。鹿の皮は特に剥きやすい。四肢の末端を関節で切り落とし、足から吊って首を落とした後、服を脱がせるように皮を剥く。皮を引っ張りながら、浮いた筋膜に刃を当てると、面白いようにするすると剥けていく。皮の中から筋肉が露出するにしたがって、湯気が上がる。死んで直ぐは、まだまだ温もりがある。
罠に掛かっていた獣は、暴れたりして内出血していることが多々ある。掛かっている時点で元気そうにしていても、皮を剥いた時点で判明する。何もしてやれないものの、少しでも早く殺してやればよかったなと、すまない気持ちになったりする。
鹿皮は知人の革作家に引き取って貰う。皮を革にして、作品を作っている。
第三の用途は、腸を出すこと。両足の付根の接点辺りに腹膜の接点があるので、そこに刃を少し入れると、吊った状態ならば腸の自重で手前に落ちてきて、一気に取り出しやすくなる。股関節の空間から肛門の隙間に刃を入れ、大腸の末端を抜き出す。腹膜の中心を、内臓を傷つけないように縦に割き、内臓を露出させる。肋骨と横隔膜の隙間に刃を入れ、上から順に腸を落としていく。胸骨を鋸で割り、食道・気道まで一繋がりの他の内臓と共に摘出すれば、枝肉になる。
狩猟をし始めてそんなに経っていない頃、山で鹿を素手で捌いた。内臓を手前に引き出しながら肋骨に張り付いた横隔膜に刃を入れた時、手に電流のようなものが走った。外気と体内の熱の温度差のせいだけではないような、そのピリピリ感は何なんだろう? と、とても不思議に思った。同時に、この感覚は縄文人も感じていたのかもしれないな、と思った時、なぜか強い安心感があった。
枝肉は鹿で一週間以上、猪で一週間以内を目途に枝肉のまま冷蔵庫で枯らして熟成し、食肉になってもらう。その後の精肉ではまた別のナイフを使う。
解体処理をする時、いつも浮かぶイメージがある。概念的な表現かもしれないが、動物の基本構造はドーナッツだ、ということを意識する。ドーナッツの穴を通り過ぎる間、つまり口から摂取し肛門から排出する工程の間に、食べ物の分解・吸収・排出の作業をこなしている。ドーナッツの空洞を通り過ぎる間に、栄養分はドーナッツに吸収されている。ドーナッツの空洞、つまり口の中から肛門までは、外界なのだ。内側にあるのに外側に続いている、という捻じれた概念に最初に意識が向いた時、ひとりで衝撃を受けた。皮の下から内臓の一番中心の空洞部分までは、閉じられた世界で、一番中心の空洞部分は、開かれた世界なのだ、という認識で普段内臓を摘出している。概念的に、解体はドーナッツの空洞を大きくする作業である。
「境界人(マージナル・マン)」という言葉がある。二つ以上の異質な社会や集団に同時に属し、両方の影響を受けながらも、そのどちらにも完全には帰属していない人間のことを指す。大学生の頃、経済学の授業だかで教えてもらった言葉だったが、何か頭に残る概念だった。
時が経ち、自分は移住者になり、猟師になり、宿屋と山の肉屋になった。ふとした時に、自身を境界人だな、と強く意識することがある。普段の仕事や生活や振る舞いも、内側と外側の境界が強く交錯している実感がある。
境界人的な立場で境界人的な仕事を生業にしたことが、妙に符合しているように思う時がある。

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清水祐輔(しみず・ゆうすけ)

罠猟師。山の肉屋「寒山(かんざん)」、農家民宿「拾得(じっとく)」の主。1985年、滋賀県栗東市生まれ。
同志社大学商学部中退。2011年頃より農業を志す。2013年に狩猟免許取得。2017年、舞鶴市西方寺に移住。2019年に寒山拾得を開業。

寒山拾得
https://kwanzanjittoku.com/