アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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人工石のカッサ
― 松田美緒

(2019.09.05公開)

もう長いあいだ1週間ごとに住む場所を変える生活が続いている。古い歌の発掘プロジェクトのため、沖縄や大分に滞在した後、少し京都に帰り、それからまた歌手に戻るためツアーに出て行く。歌は歌った瞬間、空気を震わして、やがてきえていく。私の生活も刹那なるもの。持ち歩くといろいろ失くしてしまうので、大好きなものは家に置いて、新しい旅の荷造りばかりしている。そんな自分にとって眠る時間こそが根幹なのかもしれないと思う。眠りは一時の死のようなもので、その間は肉体から自由になる。毎晩寝て死に、目覚めてよみがえる。よき死と再生のために私には暗闇と静寂が必要で、宇宙空間か棺桶かのような状況でないと眠れない。どこでも寝なくてはいけないのにどこででも眠れない過敏な神経のせいで無駄に苦労をする。だからいつもアイマスクと耳栓を持ち歩く。自宅にいても使う。それらと一緒に小袋に入っているのが、ブラジル人の友人ベッチから買ったマッサージ用のカッサだ。
ベッチは仙台に住んでいて、根っからの明るい人。以前ブラジルにあった日本の宝石会社の社長秘書をやっていたが、その社長と結婚して日本へ移ってきた。今は2人で小さな石屋を営んでいる。
ブラジルの石というと思い出すのは、ダイヤモンドが取れるバイーア州のシャパーダ・ジアマンチーナに行った時のこと。それまで住んでいた東京や音楽業界に嫌気がさし、ブラジルに3ヵ月ほど逃げた。胸にヒルのように食いついた嫌な感情を追い払いたくて、バイーアの内陸の山を24キロ歩いた。結果、どんなに遠くまで逃げても自分自身からは逃げられないということをわかったのだが、ブラジルの大自然に抱かれた旅ははっきり覚えている。岩山をよじ登り、緩やかに続く花崗岩の石の上を歩き続け、清流に足を浸し、水晶が敷き詰めれた洞窟に眠った。いまだにその地では、昔の一攫千金のガリンペイロ(採掘人)が夢枕に立つことがあるらしい。「俺はあの大きなダイヤモンドの塊を岩の間に隠したが、仲間と思っていた男に裏切られ殺された。あの岩を探してみろ」とこのように。本当に岩を探すと、まさに亡霊が語った原石が出てきたりするのだと。
パイ・イナシオと呼ばれる岩山には、それよりもっと昔から伝わる伝説がある。大地主の娘と奴隷のイナシオの恋物語だ。当時、アフリカから連れて来られた奴隷たちの間で最も屈強な者を選び出し、奴隷の女性たちに彼らとの子供を作らせることが慣例として行われていた。たくさんの子供を作る役で「イナシオ父さん」と呼ばれていたイナシオは他の奴隷たちに比べて自由を許されていた。そのイナシオが大地主の娘と恋仲になってしまったのだ。それを知った父親は怒り狂って銃を持った討伐隊を送り込むが、この土地の地勢をよくわかっていたイナシオは、目にも留まらぬ速さで逃げ、森や小川の恵みで生きながらえ、洞窟に身を潜めた。執念深い地主は「生きていても死んでいても連れてこい」と何ヵ月も追いかけるが、頭が良く俊敏なイナシオは捕まることはなかった。ある日、崖の上に追い込まれ、そこから身を投げた(ように思わせた)。誰も山の頂に行って下を覗く勇気がある者はおらず、イナシオ死せりとの知らせが地主に届けられた。娘は彼の子を身ごもっていたため、憎しみですっかり老け込んだ地主は何ヵ月か後に死ぬ。その後、イナシオは逃亡生活をやめ、恋人のところへ戻り、2人は幸せに暮らしたという。イナシオが隠れたと言われる洞窟に私も寝た。ぐっすり眠って暁の光に目覚めると、洞窟の中の水晶が輝いていた。石には不思議な力があるというが、ブラジルの大自然を歩くと、確かに太古からこの土地にある石は、地球のエネルギーやその後に入ってきた人間の欲望や記憶まで吸い込んでいるのだと思えてくる。
さて、仙台のベッチの店には、ブラジル全土から集めた数々の水晶や輝石がちょっとあやしげな文句とともに並んでいる。その日は疲れている私にぴったりのものがあるという。そして、「アンタ、あれやって」と元社長の旦那さんに実験をさせた。テラヘルツ鉱石という人工石でできたメタリックグレーのカッサを取り出し、氷の表面に当てる。すると、一瞬にしてその部分だけが溶けていく。1秒間に1兆回振動しているそうだ。お湯につけると、一瞬で石の表面が温かくなった。肩に当てたら、じわっとあったまった気がする。わあ、すごいね、と騙された気になって買ってみた。ホテルに戻って、疲れがたまっている肩や首や足のむくんだところに当てておいたら、しばらくするとそこだけ汗をかいて、すっきりしている。こうなったらそれなしでは眠れないようになって、どこへでも持って歩くようになった。1個目はイタリアの大理石の床に落として粉々になってしまったので、もう1個彼女から取り寄せて、最大の注意を払って持ち歩いては、毎晩首の後ろにしいて寝ている。日本で製造されているが、ベッチの笑顔とバイーアの山の思い出と結びつき、この人工石がずっと昔から私と共振しているような気がして、妙な安心感がある。

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松田美緒(まつだ・みお)

ポルトガル語やスペイン語圏など世界中で音楽活動を重ねる、歌う旅人。20代の頃、リスボンに暮らしファドを歌い、大西洋の島々や南米に活動を広げる。2005年ブラジル録音の『アトランティカ』でデビュー。近年、日本内外の忘れられた歌の発掘を始め、14年にCDブック『クレオール・ニッポン うたの記憶を旅する』を発表。1617年読売テレビ『NNNドキュメント』でその活動を追った番組二作が放映された。19年、大分の歌の発掘プロジェクトによるアルバム『おおいたのうた』と、かつてのブラジル移民の人たちの想いがつまった歌集として松田美緒+土取利行『月の夜のコロニア~ブラジル移民のうた』を発表。時空を超えるその歌声には、彼女が旅した様々な土地の記憶が宿っている。
http://miomatsuda.com