アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#77

頑固石
― 辰巳雄基

(2019.05.05公開)

ゴツゴツというよりむくむくというか、もくもくしてるのか。
恐竜の顔みたいだなーと思ったこともある。
「はい!頑固石」と真知子さんから手渡されたのは3年前の3月。
もうすぐ船が出発する港でのことだった。
島根県の北に浮かぶ隠岐諸島にある2300人が住む島、海士町(あまちょう)に大学を卒業後3年間だけ住んでいたことがある。
仕事をしてスキルをつけるというより、チェーン店やコンビニのないような場所で生活をすること。大企業のシステムに動かされない生活のスキル、知恵が圧倒的に足りない自分や周りの環境に学生時代ずっとモヤモヤしていたのである。
かといって、全て自給自足で生活しよう! なんてことまで考えられなかった私は、生活する資金を稼ぐため集落の調査をしたり、子どもたちの地域学習を手伝わせてもらったり、古道具屋を運営していた。
私はそこで、多井という地区に住む新谷雅弘さん、真知子さんご夫婦によくお世話になっていた。東京でバリバリ働かれたあと、60を過ぎ、ゆっくり暮らそうと旦那さんの故郷に一緒に帰ってこられたご夫婦。
家にお邪魔させてもらう度、真知子さんがとれたての魚や野菜を調理して食べさせてくれたり、雅弘さんがお酒を出してきてくれて東京での暮らしのことや、昔の島の話なんかを教えてくれた。
朝早く起きて、一緒にワカメを取りに行ったり、島外からお客さんが来られたら一緒にお呼ばれしたりもした。家にお邪魔して、最近あったことなんかを話すと「あーーっははは!」と気持ちよく笑ってくれる真知子さん、淡々とツッコミを入れる雅弘さんといる時間は特別で楽しかった。
ご馳走になった中で、特に好きな食べ物は人馬(海藻)のラーメン。
これは他で食べている人をまだ見たことない。
新谷夫婦はゆっくりと暮らすために帰ってこられたのかと思いきや、ニホンミツバチの巣箱をつくってハチミツを採蜜したり、野菜を育て、フェイスブックに生育状況の報告を載せることで都会や地元の人と情報を分有したり、竹を活用する団体を動かしたり、島の若い女性と一緒に雑誌をつくったり。日が昇ったら起きて、日が沈むまでバリバリと活動されていた。
そんなご夫婦との共通点は浜辺の石拾いが好きなこと。
見つけた石を見せ合っては、形や色、風合い、魅力を語り合っていた。
新谷夫婦が住んでいる地域は約20人が住む小さな村。私は山を挟んだ反対側(と言っても車で30分くらいの小さな島)に住んでいたため、とれる石の種類や漂流物、浜の様子や風、波の音が全然違う。
島にはほぼ知っている人しかいないので、人の目線や言動が窮屈に感じ、誰とも会いたくない日もあった。
そんな日は浜辺に行き、石拾いに夢中になっていた。
自然が生み出したもの。海が運んでくるものはなんと魅力的なのか。
北には韓国やロシアの陸があるので、もしかしたらそこから運ばれてきたものかもしれない。もっと遠いところから来たのかもしれない。
ずっと昔から海の底にあったのかもしれない。
そんなことを考え、未知なる自然の蠢きにワクワクしていた。
都会とは遠く離れた島に住むことで、人の手でつくられたものか、自然がつくりだしたものか。とても顕著に、敏感に考え、感じるようになっていた。
私はここでの生活に1度区切りをつけ、次なる目標に向け港から出発しようとしている。港には今までお世話になった方が見送りに来てくれた。
餞別を渡してくれる人、島の食べ物をくれる人、お菓子をくれる子供たち、エールをくれる先輩。帰ってくるなと冗談を言う若者たち。その中に新谷夫婦がいた。
真知子さんから手渡されたものの中に、この石があった。
頑固っぽい石だから頑固石というのだそう。
私はそのまま船にのり、日本縦断の旅にでた。
海士町を出発し、軽自動車に1年間寝泊まりしながら47都道府県の飲食店をめぐる旅。
目的は1つ。
飲食店でよく出てくる、箸を包む紙袋(箸袋)でなにかつくってしまう日本人。
その物体がそっとテーブルに置いて帰られる光景を見て、私はそれを、お金をテーブルに置いて帰るチップに見立て、ジャパニーズ・チップと命名。
ご飯を食べている間にできるそのオブジェを、全国の飲食店から集めて展覧会をしたいと、学生時代のアルバイト経験からずっと考えていたのである。
旅では町の人に箸袋を扱っている飲食店の聞き込み調査から始まり、お店に収集の協力願い。そこではたくさんの出会いがあり、あたたかい歓迎もあったし、冷たいあしらいも受けた。
今となっては、15000点を超えるジャパニーズ・チップが集まり、展覧会を開催したり、図鑑を製作することができているが、旅の道中辛くなっても帰る先はいつも狭い軽自動車。その車のフロント部分にはいつも頑固石があった。
この石をもらってからというもの、長期間リサーチのため車で旅をした時も、新たな家に引っ越した時も、どこか見える位置に置き、いつでも手触りを確かめられるようにしているのである。
私にとってこの石は、お守りであり、思い出の象徴でもあり、インテリアでもあり、ジュエリーでもある。
そうだ。今思ったけど、この石はなんという石なのか調べたことないなぁ。

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辰巳雄基(たつみ・ゆうき)
奈良県生まれ。 2007年京都造形芸術大学卒業後、島根県の北に浮かぶ隠岐諸島海士町に移り住む。その後、収集、リサーチのため約1年をかけ、日本を縦断。
2019年現在、京都府亀岡市「かめおか霧の芸術祭」で企画の担当をする。
人の残した痕跡として、意識的・無意識的にしている癖や、路上や海辺に落ちているものの収集を通じて、調査、展示や発表を行っている。
著書に『テーブルの上で見つけたいろんな形 箸袋でジャパニーズ・チップ!』がある。https://japanesetip.localinfo.jp