(2025.03.05公開)
私たちの身の回りには無数の「道具」がある。道具とは、ハンマーやノコギリのような物理的なものから、スマートフォンやコンピュータのようなデジタルツールまでさまざまで、人間の目的に従属し、何かを成し遂げるための手段である。しかし、日常の中で道具に囲まれ過ぎているため、私がどの道具を語るかを考えると、その多さに途方に暮れる。
人が道具を語るとき、それは単なる「道具」を超えているのかもしれない。手段にすぎない道具に意味を見出そうとすることは、その実用性以上の何かがそこに発生しているからだ。道具を通じて思考や感覚が促され、世界との関わり方が変わるとき、それは「メディア」へと移行する。私たちはメディアを通じて世界との向き合い方を学び、一方で、その向き合い方によって新たなメディアが選ばれることもあるだろう。ここでは、「道具」のメディアとしての側面、そして私にとって重要なメディアである「版画」について述べていきたい。
昨年2024年の1年間、フィンランドのヘルシンキに滞在する機会を得て、フィンランドの現代版画の動向をリサーチした。私は、大学時代に版画を学び、卒業後しばらく版画制作を行っていたが、現在は版画から大きく離れてデジタルによる写真制作を行っている。当時、版画から離れてしまった理由の一つに、美術業界には絵画、彫刻が上位にあり、その下位に複製技術の版画が置かれるというヒエラルキーが暗黙のうちに存在していた。表現メディアとして版画を考えたかった私にとって、そこに自分を位置づけることに大きな抵抗感があった。また自分の作品が版画の技術的な完成度、美しさに依りすぎているのではと違和感を覚えはじめ、次第に版画の情緒性を避け、非物質的なイメージを求めて写真のみのデジタル制作へと移行していった。しばらくは版画と距離を置いていたものの、その後、自分の制作を振り返るうちに、実は版画制作で培った思考やメディアの特質が自分の写真制作の核になっているのではと徐々に気づいていった。それを機にあれほど抵抗を感じていた「版画」に、メディアとしての可能性を改めて考え直してみたいと思うようになり、その流れでヘルシンキ芸術大学の客員研究員としてリサーチすることになった。
では、なぜフィンランドなのか。実は20年ほど前にフィンランドの美術家協会が私の個展を企画してくれて、ヘルシンキには1週間ほど滞在したことがある。当時はドイツに留学していた頃で、写真制作に完全に移行していたにもかかわらず、その展覧会は「版画」をテーマにした企画だったのがとても意外だった。その時は忙しく短い滞在だったので、現地の作家たちの作品を観る機会もなく、私の写真作品を敢えて「版画」の枠で企画する背景や文脈がフィンランドにあることを知ったのは後のことだった。それからずっと気になっていたものの、長い年月が経ってしまい、今回、ようやくそれを知るための機会を得ることができたわけである。
少し脱線するが、フィンランドについて簡単に紹介しておきたい。人口550万人で、首都であるヘルシンキは人口60万人程度で、東京と比べると非常に小さな都市だ。ここは三方が海に囲まれる港町でもあり、春、夏はカモメが街中を飛び交い、周辺に無数に点在する群島では静かなバルト海の風景を楽しむことができる。そしてバスで40分ほど走れば、都会を離れて広大で深い森に入る。森では季節によってベリーやきのこを誰もが自由に収穫できて、怖いぐらいに神秘的な湖にいくつも出会うことができる。

ヘルシンキから約40kmに位置する自然豊かなヌークシオ国立公園。森林や湖が広がり、ハイキングやキャンプが楽しめる
こうした自然がフィンランド人の原風景を形作っており、それが彼らの生活や価値観に結びついていることはヘルシンキに滞在しているだけでも容易に感じられる。

ヘルシンキにある、バルト海に面した公衆サウナとその横の海。サウナで身体を温め、冬は氷が浮かぶ海で身体を冷やす。サウナの目的は単に温まることかもしれないが、フィンランド人にとっては、冬の自然に裸で向き合うための装置なのではないかと、私自身感じることがある。もともとサウナが好きでなかった私も、フィンランドに滞在するうちにすっかりサウナ中毒者になってしまった
そんな自然豊かで小さな国のフィンランドは、芸術デザインの面ではムーミンはもちろんのこと、アアルト、イッタラ、マリメッコなどの建築やデザイン、そして最近はヘルシンキスクールと称される写真の動向が世界的に有名だ。そして今回、リサーチしていくうちにフィンランドは実は版画大国であったことを実感した。伝統的な版画技法を重んじる作家だけでなく、「版というメディアの特質」に着目し、それをどのように活かすかを考える作家が非常に多いのがフィンランド版画の特徴でもある。版画の「複数性」や「間接性」といった特性を、写真映像、デジタル、インスタレーション、立体作品へと展開する動きが想像以上に活発だったことに驚いた。今回、この動向を知ることができて、20年前の私の展覧会をなぜ彼らが企画したか、その背景や文脈を理解することができた。さらに版画を起点に新たな表現を生み出す彼らの姿勢に、私は大きな共感を覚えた。
絵画と版画のヒエラルキーは、絵画の歴史が長く、それが権威化されている国々にあるかもしれない。特に印刷術が歴史的に発達してきた中央ヨーロッパや浮世絵のような印刷文化を歴史に持つ日本などではそれが強い。一方でフィンランドはどうだろうか。そうしたヒエラルキーはないとフィンランドの作家たちは明言する。これは絵画が権威化されなかった歴史性が背景にあるかもしれないが、私が1年間滞在して思うのは、フィンランドの平等に対する意識が大きく影響しているのではないだろうか。フィンランドは貴族社会が発展しなかったため、身分格差が生まれず、幾多の戦争を通じて「国民全員が等しく、支え合う」という意識が強く育まれてきた。誰も特別扱いされず、平等な社会の一員として支え合うという価値観が根付いていて、それはヘルシンキに滞在していると様々な場面で肌で実感する。

2018年にオープンしたヘルシンキ中央図書館Oodi。読書だけでなく、カフェや音楽スタジオ、3Dプリンターを備えたワーキングスペースなど、多様な機能を持つ公共空間だ。展望デッキは対面の国会議事堂と同じ高さに設計され、市民と政治の距離が等しいことを象徴している。スペースは壁で仕切られることなく、すべてが横並びに設計された空間となっている。そこでは学生たちがノートパソコンを広げ、子どもたちが床に座って絵本を読む。隣では高齢の男性が新聞を広げて、その向かいではヒジャブを被った女の子たちがおしゃべりをする。利用者は実に様々で、誰一人として特別扱いされることはなく、すべての人が同じ立場でこの空間を共有していた。この自由で平等な空間は、フィンランドの社会そのものを映し出しているかのようで感動した
フィンランドでの経験を通じて、版画が単なる技術やジャンルではなく、自由な表現を生み出す場であることを再認識した。ヒエラルキーから解き放たれた版画は、もはや「絵画の下位」ではなく、独自の表現メディアとして新たな可能性を拓いている。日本ではまだこの意識が十分に浸透していないかもしれない。しかし、フィンランドのような環境に触れることで、版画が持つ本質的な価値を再考するきっかけとなるのではないか。
大島成己(おおしま・なるき)
美術家。多摩美術大学美術学部絵画学科版画専攻教授。
1963年大阪府生まれ。1987年嵯峨美術短期大学専攻科版画科修了、2010年京都市立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)取得。
“視ること-世界との新たな関係の取り方”という考えのもと、主に写真を表現手段に用いて、遠近感を崩していく方法を通じ、日常的な空間解釈にズレを持ち込み、被写体イメージを構成する光・色彩、そして触覚感を増幅させる表現を試みる。その作品では日常的な意味性は弱められ、「映像的な現象の刹那的な奇妙さ」が強度をもって私たちの眼前に提示される。2001年のデュッセルドルフ芸術アカデミーのトーマス・ルフ教室(ドイツ)での研究を機に、2003年ロッテルダム国際建築ビエンナーレ、2004年ヴェネチア・ビエンナーレへの選出をはじめ、ヨーロッパ圏でも精力的に作品を発表している。2014年にドイ