(2023.01.05公開)
インド・デリーのある書店からその植物誌を購入したのは2009年の秋だった。博物学者カール・フォン・リンネ*1が1753年に出版した『植物の種(しゅ)』という本だ。『Species plantarum』とラテン語で記す方がいいかもしれない。何しろこの本は、現在に続く植物分類のスタート地点なのだ。
植物の写真を撮り始めた頃、専門の教育を受けたわけでもない私は草の名前などほとんど知らなかった。しかし撮影を続けているうちに、姿が似ている植物グループが系統をなしていることにだんだんと気がつくようになった。自分の感覚を通じて世界が分節化されていくことに興味が湧いた。この書物を手に入れたのはそんな手探りの時期だ。
実のところ、この本を買うべきかどうか、長い間逡巡した。まずこの本はラテン語で書かれているが、当然ラテン語は読めない。おまけに1753年の初版は100万円くらいするし、最近のファクシミリ版でも数万円はする。どうしたものかと思っていたときに見たインドの書店サイトでは6,000円くらいで売っている。パブリックドメインのデータから作られたもので、値段の安さも手伝ってポチッと購入、1ヶ月程で我が家に届いた。
オンデマンド版なのに金の箔押しがしてある扉を開くと、太陽と月、惑星の記号が目に飛び込んでくる。これは植物誌ではなかったか? 少し眩暈を覚えながら、ページを繰っていく。序文に続いて、雄蕊と雌蕊の数によって第24綱まで分類された植物の記述が始まる。使われている活字も、現代なら「s」になるところが「f」のような形の古い字体になっていることが多く、それが辞書引きを難しくする。そして植物の記述の最後には、あの惑星記号。ヨーロッパでは、古代から植物と惑星の間に対応関係があり、とりわけ惑星の影響が大切にされていたのは薬草だった。薬草の効果を最大にするには、採集する時期や時間帯までもが定められ、それは天体の配置と関係していた。私は、惑星記号にそんな隠された意味があるに違いないと勝手に想像し、魔術的な記号の働きに思いを巡らせていた。もちろんこれは私の誤解で、実際には☉(太陽)は1年草、♂(火星)は2年草、♃(木星)は多年草、♄(土星)は灌木を表す記号なのだった。
植物誌であるにも関わらず、この本には図版が一切ない。そのかわり暗号のような略語でページが埋め尽くされている。例えば、第2巻962ページには、日本にも分布しているウマノスズクサ(ラテン語名:アリストロキア*2)という薬草の項目があり、そこにはBauh. pin. 307 、Clus. hist. 2. p.70などと書いてある。他に目を向ければ、アジア産植物の項目ではRheed. mal. が頻出するし、Tournef. やDod. をはじめ、多種多様な略語が見られる。実は、これらの略語は植物学者や文献を表しているのだ。先ほどのBauh. pin. は、スイスの植物学者、カスパル・ボーアン*3が、6,000種類の植物とその古今の名前を対照した『Pinax theatri botanici (植物対照図表)』(1623年)のことである。ネット上のアーカイブ*4で、Pinaxの307ページを開くと、果たしてアリストロキアの項目にぶつかり、古代ローマのプリニウスや古代ギリシアのディオスコリデスの植物誌にまで遡ることができる。そしてClus. Hist. すなわちフランドルの植物学者、カロルス・クルシウス*5の『Rariorum plantarum historia(稀産植物誌)』(1601年)の第2巻lxxページを開くと、その植物図が現れる。
ちなみに、Rheed. mal. はオランダ東インド会社でインド・マラバル地方の顧問官だったH・A・ヴァン・レイデ*6の『マラバル植物誌』(1678-1693年)、Tournef. は花の形を分類の基準に置いたフランスの植物学者トゥルヌフォール*7、Dod. は江戸時代にその植物誌が輸入され、蘭学興隆の引き金になったフランドルの植物学者ドドネウス*8のことである。
こうして正体不明のアルファベットの塊でしかなかったこの本は、古いヨーロッパの植物誌の世界を渡り歩くための道具に変貌していった。私はこの道具を通じて、パンタグリュエルが神託を求めて大航海に出ようとするまさにそのとき、植物の命名法について延々と語ったフランソワ・ラブレー*9さながら、古い書物の襞の間をたゆたうのだ。ユマニストたちが古代ギリシアやローマの植物誌を精読していたルネサンスの頃から、大航海時代が終わりを告げ、世界にヨーロッパの貿易網が広がった近代に至る知の変遷を垣間見ることができる。ネットという現代の魔術をも駆使して中世と近代が入り混じっていた時代の植物誌を読むときのこの感覚、最初に惑星記号を見たときに感じた魔術的な感覚とそう遠く隔たっていない。
*1 Carl Linnaeus(1707-1778)
スウェーデンの博物学者。1735年に出版した『自然の体系』で近代生物分類の基礎を築いた。
*2 プリニウスによると、アリストロキアの名前は、ギリシア語で「出産しようとする女性に最も良い」を表す「アリステ・レクサイス」に由来する。
*3 Caspar Bauhin(1560-1624)
スイス・バーゼル生まれ。バーゼル大学の解剖学・植物学教授。
*4 The Biodiversity Heritage Libraryで、それぞれの書物のイメージを見ることができる。
カスパル・ボーアン『Pinax theatri botanici (植物対照図表)』
カロルス・クルシウス『Rariorum plantarum historia(稀産植物誌)』
*5 Carolus Clusius(1526-1609)
当時のフランドル領(現代のフランス) 生まれ。1590年にライデン大学が薬草園の造成を依頼、現代のHortus botanicusの元になった。イベリア半島やイギリスを旅行した際に、インドや新世界の植物誌を見出し、ラテン語に翻訳して紹介した。
*6 Hendrik Adriaan van Reede tot Drakenstein(1636-1691)
オランダ東インド会社の軍人。1663年にインド西海岸地方・マラバルの顧問官に就任し、1677年までその地位にあった。
*7 Joseph Pitton de Tournefort(1656-1702)
フランスの植物学者。1683年にパリ植物園教授に就任した。
*8 Rembert Dodoens(1517-1585)
フランドルの医師・植物学者。著書の『草木譜(クリュードベック)』(1553年)は江戸時代の日本に輸入された。
*9 François Rabelais (1483?-1553)
フランスのユマニスト・作家・医師。植物命名法についての記述は、『第三之書 パンタグリュエル物語』(渡辺一夫訳, 岩波書店, 1974年, p272.) の「そもそも草木なるものは、様々な命名法によってその呼名が定められているように思う。」のくだりで始まり、3ページに渡って展開される。アリストロキアの名前もその中に含まれている。
渡邊耕一(わたなべ・こういち)
1967年大阪府生まれ。1990年大阪市立大学文学部卒、2000年インター・メディウム・インスティチュート写真コース修了。日本ではどこにでもある雑草「イタドリ」を追いかけ、ヨーロッパでは侵略的外来種となっている現状を写真とテキストでまとめた『Moving Plants』でデビューした。植物とその背後にある見えない歴史を追って撮影を続ける。2015年、写真集『Moving Plants』(青幻舎)を出版。The Third Gallery Aya(2015)、kanzan Gallery(2016)、Gallery 722(2017)、資生堂ギャラリー(2018)にて同作品の個展。ルーネベークスホルム・デンマーク(2017)にてグループ展。2022年、The Third Gallery Ayaにて「毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー」を発表、青幻舎より同名の写真集を出版。
https://watanabekoichi.myportfolio.com/
kanzan gallery 「毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー」展
2022年12月20日(火)-2023年2月5日(日)
12:00-19:30 (火-土)|12:00-17:00(日)
月曜日休廊 / 入場無料 年末年始休廊 :12月29日(火)-1月6日(火)
東京都千代田区東神田1-3-4 KTビル2F
TEL:03-6240-9807
WEB: http://www.kanzan-g.jp/