アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#41

魔法の銅製蒸留器
― 鞍田愛希子

(2016.05.05公開)

ポルトガルの伝統的な工法で手打ちされた、銅製蒸留器。「アランビック」とも呼ばれる。植物が蓄える香りを水に移しこみ、芳香蒸留水や精油に変えていく道具である。香りの聖地、南フランスのグラースへ行くと、昔々使われた大型アランビックが、今は観光スポットになっている元香水工場のあちこちで見られる。
目には見えない香りを見える形に変えていく、まるで魔法のような「蒸留」を行う人々は、かつて錬金術師とも呼ばれていた。というか、化学の礎を築き、哲学や医学にも通じた錬金術師たちが、蒸留技術そのものを生み出した。この目で確かめられぬ限り、歴史というものをあまり信用しないが、イスラム帝国時代に原型ができ、中世に分留が可能となり、その技術は確立されたとされている。そこから今に至るまで、蒸留器の
かたちはさほど大きく変わっていないようである。
湯を沸かす釜、植物が蒸される釜、くねくねと曲がった蒸気の通り道、通り道を冷やすための水槽。一旦気体へと変わった水が冷やされ、再び液体に戻った時にはすでに香りが含まれ、それらを受け止める器さえあれば蒸留は可能となる。
とれたての香りが放つ空気に包まれながら、これまでさまざまな時代、土地、植物で繰り返されてきたであろう蒸留シーンに思いを馳せる。魅惑的なイメージがつきまとう錬金術師だが、あるものを「よりよいもの」に変えることを目指した人たちだと考えると、ぐんと身近になる。その反対に、魔女という存在には、「より悪いもの」を生み出すイメージが植え付けられ、人々を恐怖に陥れたとも想像できる。薬にも毒にもなる液体が、無数の植物から生み出され、その度に救いと犠牲があったかもしれない。
とはいえ、現代の錬金術は、そんなおどろおどろしいものとは、まったく無縁。道具さえあれば、誰だって今すぐにでも、錬金術師や魔女になれるのである。
ガラスやステンレス、空き缶やヤカンなど、手近なものを使って手作りもできるが、前世に何かルーツがあるのか、なぜか銅製の蒸留器が、
わたしには馴染む。人の手指と一体になって、時を経るごとに色が動いていく銅の質感がやっぱり好きだし、数えきれないほどの人たちによって、ようやく辿り着いたかたちにも、愛着がわく。熟成期間を待たなくとも、最初からやわらかな香りが楽しめることも、もちろん大きな理由である。
自分の勘だけを頼りに、植物の量や火加減を調整しながら、あとは、香りをたっぷり含んだ液体がポトポト滴ってくるのを待つだけ。時間まかせ、鼻まかせ。全身で香りを浴びる、至福のとき。
かつての日本でも、蒸留が重要な産業として発展した時代があった。江戸時代に酒や薬品を蒸留するために使われた「蘭引(らんびき)」は、「アランビック」の名に由来する。陶器や磁器製が多く、三段重のような構造になっていて、まるっこい形と釉薬のテカリが、なんともかわいい。日本人のやわらかな感性が、そこには垣間見える。
明治から昭和にかけては、北海道の北見で薄荷、本州の伊豆で黒文字、九州や台湾で樟脳が、精油や結晶へと姿を変え、輸出されていた。近年は縮小された形で、歴史の一部として紹介されるのみであったが、最近またその存在が見直され始めている。
そして最近の
わたしはというと、染織家の藤井繭子さん、料理研究家の橋本美朝ちゃんと一緒に、この4月から「色と香りの標本箱」と題した活動をスタートさせる。共通点は、材料が旬の植物であること。それらから色を取り出す繭子さん、味わいを生み出す美朝ちゃん、香りを集める私の3人で、世界中の植物を素材に、これから収集の旅を続けていく予定。
初回は、この蒸留器を使って、蓬(よもぎ)の香りを集めてみようかと。はてさて、どんな魔法が起きるやら

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鞍田愛希子(くらた・あきこ)

植物愛好家。1980年生まれ。庭師、花屋として修行した後、生花の香りを集めるアンフルラージュへの関わりをきっかけに、アトリエミショー設立。植物と哲学の実験工房として、京都、東京でアトリエをオープン。植物の生み出す香りや色、触感や味わいが、人の心と体に深く作用することに着目し、アロマテラピーをはじめとした植物教室を各地で手がける。現在は、精神福祉や自立支援の場へ活動を広げ、触れる人-触れられる人がどちらも幸せになる、アロマタッチの普及にも努めている。