(2021.05.09公開)
ある日唐突に思い立ち、イタリアに渡ったという加藤まり子さん。それまで勤めていた会社を辞め、渡欧してからは「フィレンツェ公認観光ガイド」として、イタリアの歴史や美術を伝えてきた。のべ3年の滞在を経て帰国。現在は東京を拠点に、オンラインも使いながら講座をひらき、西洋美術を中心としたアートの見方を広く伝える仕事をしている。安定的なキャリアから離れ、自分で仕事をつくっていくこと。難関と言われる観光ガイドに、ゼロから挑むこと。自ら道を拓いていく加藤さんに、お話を伺った。
———そもそもイタリアへ行こうと思い立たれたきっかけは、何だったのでしょうか。
仕事がすごく忙しい時期で、パッと「こんなところにいるんじゃなくて、トスカーナの風に吹かれていたい!」と思ったんです。一瞬思っただけだったんですけど、どうしたら1年なり、半年なり行けるかなと、そこから調べ出しました。
京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の通信教育部を卒業してから、西洋美術史の先生が勉強会を開いてくださっていたんですね。そのなかで、1つのトピックに対して深堀りする勉強会をしていただいて、フィレンツェのルネッサンスのお話を聞いたんです。具体的には、画家のボッティチェリについてと、その時代の哲学的背景のお話をされて。この絵を一回見てみたいと思って、次の年に1週間だけ旅行に行ったのが最初でした。1週間だと足りなかったから、もう半年行きたいと思ってビザを取得して行って、気がついたら3年経っていた感じです。
———イタリアの美術や、歴史についてはもともとご専門だったのでしょうか?
ほとんど知らなかったに等しいと思います。通信教育部に通ったのが、2006年から2011年のことで。そのあと1年間、学芸員の資格のために実習だけ受けたので、トータルで5年と、プラス1年間は美術について勉強しましたが、専門は日本美術だったんですね。西洋美術自体、学芸員の資格を取るために勉強したぐらいだったので、そこまで知っていたわけではなかったですね。
———観光ガイドになるのは、狭き門だと聞いたことがあります。
イタリアでは、観光ガイドは資格制なんですね。日本では最近、資格がなくてもガイドしていいってことになったんですけど、もともとは資格がなかったら外国の方には案内ができなかったそうです。イタリアはその基準がさらに厳しくて、もし、資格なしでガイドをしていたりすると罰金が処せられてしまうんですよ。イタリアは観光が大きな産業になっていますので、文化を守る意味も含め、観光ガイドという資格があります。都市ごとにいらっしゃるんですが、わたしの場合はフィレンツェ県で受験したので、その部分が専門になります。今は法律が変わって、イタリア全土で可能です。
———資格はどのように取得されたのでしょうか?
資格取得に向けては、通常1年半かかる内容を、短期集中型コースに通い7ヵ月間そこで学びました。歴史や美術、イタリアの場合、食もあります。そういった勉強をした上で、インターンに行き、最終的に試験を受験して、取得しました。
正直、ふつうに取れるものじゃないと思うんですよ。イタリア人でも難関と聞いていました。それにイタリア語を話せたわけではなく、まったくゼロの状態だったので、自分にできるとは思ってなかったんですね。半年行って、そのあとさらに半年延長して。たまたま習っていたイタリア語の先生が、ガイドの専門学校の先生でもあったので、声をかけてもらいました。当初の予定より滞在期間も長くなってくるので、資金的な面でも不安があったこともあって。それで、受けることができた感じですね。
大変だったことは3つあります。まず、教科書などといったテキストがないんですね。やっぱり外国語なので、読み返すことができると楽なんですけど、テキストがないので、全部聞いて、録音して勉強するんです。2つ目が名前。例えば「アンリ●●世」って言いますよね。英語だと「ヘンリー」って呼んだりするんですが、イタリア語だと、全部「エンリコ」になるんですよ。なので、どの国のひとなのか判別がつかない。3つ目が、わたしはあまり日本に育ってないんですけど、とはいえ明治維新がいつかと聞かれたら何年かわかったり、明治と江戸だとどっちが後かとか、わかったりするんですよ。イタリアだと、もともとルネッサンスの美術に興味があって行っただけなので、歴史とか全然知らなくて。みんな当たり前に知っているようなイタリアの歴史を知らなくて、そのハンデがすごく大きかったです。
———ガイドとして仕事をされ、感じられたやりがいはどんなことでしょうか?
英語でガイドをしていたこともあり、世界各国からのお客様と接することができたのが楽しかったです。どんな文化的背景のひとでも分かるように心がけました。レビューやチップにも直結するので、どうやったら楽しんでもらえるかを常に考えていました。高校生の男の子2人の家族を案内した時はどうしたら飽きずに楽しんでもらえるか考えて、バスケットボールが好きと聞いて関連させながら話しました。
日本からのお客様に関しては上場企業の役員の方や国会議員の方など、日本でだとなかなかお目にかかれることがない方に美術や歴史をお話しできたのが思い出です。
———イタリアの生活はどうでしたか?
日本ほどきっちりしてない、というのは有名だと思うんですけど、パン屋さんで買い物して、おつりがなかったら代わりにクッキーが入っていたりとか、端数切られていたりとか。1人でお店をやっている方だと、10時から13時が営業で、16時まで閉まっているんです。それで、16時から20時までまた開いていて、バイトを雇う代わりに休む、みたいな。たしかに13時から16時って平日だと人出が減る時間だと思うんですけど、その時間をあえて閉めるとか。考え方が変わりますよね。日本だとずっと人手不足とか言われていますが、イタリアだとあえて閉めてしまおう、とか。
あと、家には基本的にクーラーがないんですね。どうするかというと、夏休みを3週間ぐらいとって、クーラーがなくても生活できる場所に行くとか。それで経済がまわるのかというと、そこはわかんないんですけど、日本と価値観や考え方が違いますよね。
———日本に帰国後、主に西洋美術の見方を教える講座をご自身で立ち上げ、授業を行われていますね。もともと日本でされていたような企業勤めではなく、このような仕事をはじめられたのはなぜでしょう?
どうしても、日本のほうが経済的にいいっていうのもありましたし、ガイドは楽しいんですけど、毎日同じ繰り返しなのが、自分の成長が見られなくて、すごく嫌になってしまって。そこにビザの切り替えのタイミングもあり、帰国しました。
イタリアにいた時から、日本の方に美術のお話ができたらいいなと思っていたんです。学校に行けば学べると思うんですけど、そこまでするのは……という方も多いと思うので、やれたらいいなと。あと、フィレンツェのガイドのなかには、たくさん経験のある方も多いですが、(資格を持ちながらも)日本で活動しているひとはいないと思うので、そういったところも含めて、ですね。
会社員としての仕事はどちらかというと、効率化重視な部分も多かったので、直接ひとの楽しみにはつながらなかったんですよね。今は、楽しみにつながっているのかなと思うので、そこは違うのかなと思いますね。
———コロナ禍ということもあり、オンラインも使いながら授業をされるなど、変化もあったかと思います。
オンラインになったメリットは、海外の方もふくめて世界各国から受講していただけること。なかには、シンガポールからご参加いただいた方もいらっしゃいます。あと、全部録画するようになり、振り返って見ていただけるシステムを今構築しているので、そういったところはよかったなと思います。
コロナ渦では、ひとが集まれないってところが結構大きくて。東京に来るのは不安な方もいたり、会社から禁じられている方もいたりして、来られなくなったりとか。受講者の人数が減ったこともありますし、終わってから生徒のみなさんで食事やお茶をするのがやりづらくなったことも大きいです。お酒を入れてリラックスしながら、授業ではできない話をする、ということもコロナ前は結構あったので。
———いろいろと模索していくなかだと思いますが、今後どのようなことを考えていらっしゃいますか?
美術館に一緒に行ったり、「こんな展覧会面白かったよ」と話したりする友達がいるひともいるとは思うんですけど、わたし自身あまり話す相手がいないというか。ビジネス系の場合、サークル型コミュニティとかもあると思うんですけど、意外と、「大人のちょっといい趣味」みたいなものを語れる場って、あまりないように思います。SNSが増えたからあるとは思うんですけど、それって知らない者同士だったりしますよね。知ってる・知らない、のちょうど間ぐらいの関係で、匿名性の高くない場があったらいいなと思います。
そんな趣味の方同士で話せるようなプラットフォームができればいいなということで、会員制を強化していこうと思っています。わたしが、というより、みなさんが美術について話せるような、シェアできるような場。誰も答えられない時はわたしが答えていったり。自分が教えていくこともあると思うんですけど、それ以上にプラットフォームのような場になればいいなと。去年までは、SNSを使ってオンラインサロンをやっていたんですけど、今年からは会員サイトをつくっているんです。もうすこし気軽に参加できるものがあれば、今後考えていきたいです。
———たしかに、参加する=自分のキャリアやライフスタイルに役立つことが必至であるビジネスサロンが、世の中で多く求められがちのように感じます。
正直芸術って、不要不急と言われちゃった分野だと思うんですね。ビジネスの観点から見て、「これをやって何の意味があるんですか?」って聞かれたこともあるんです。ビジネスやキャリアって、意味を求めていきますけど、正直なところ、意味ないしと思って。効率的なことを求めていくと、ちょっと息苦しい世の中や社会になって、心が病んでしまう、苦しくなってしまう方が増えていると思うので、役に立たない、無駄なことがこれから問われるようになると思っていて。そういうものをシェアできるようなプラットフォームを。昔でいうと同人誌みたいなものにあたるかもしれないですけど。そんな感じになれればいいなと思っています。
———もしかしたら、その一見「無駄なもの」のようだけど、好きだと思うものを突き詰めていったら、自分のキャリアにもつながるかもしれない。加藤さんご自身が、そういったことを体現されているように思います。
わたしがイタリアに行ったのが、37歳の時なんですね。まったくイタリア語がわからない状態でした。もっと若い子で、イタリアに留学したいといいながら、仕事をやめてしまったらもう何もないんじゃないかと思って、諦めるひとも見てきたんですけど、もったいないと思うんですね。生活も変わりますし、給料も前ほどじゃなくなるかもしれないですけど、いくつになってもなんとかすればなんとかなる。やりたいことがあったら、今すぐとは思わないですけど、迷わずやったらいいんじゃないかなと思います。
取材・文 浪花朱音
2021.03.31 オンライン通話にてインタビュー
加藤まり子(かとう・まりこ)
2000年京都大学法学部卒業。2011年京都造形芸術大学通信教育部芸術学コース卒業。
IT系企業に10年勤務の後、外資系製薬会社でITマネージメントを経験。
社会人学生として芸大に通い、学芸員資格を取得。2014年よりフィレンツェ在住。
イタリア政府公認観光ガイドとして、国会議員の勉強会での講義や上場企業役員へ美術館を案内。
2017年から主に都内で美術史講座を開催。講座に「美術館が楽しくなる!西洋美術史基礎講座 ギリシャ時代~ポスト印象派(全12回)」や「☆誰も知らないフィレンツェ☆公認ガイドがこっそり教えるフィレンツェの歴史と名所」など。
浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて書籍や雑誌、フリーペーパーなどさまざまな媒体の編集・執筆に携わる。退職後は書店で働く傍らフリーランスの編集者・ライターとして独立。2017年より約3年のポーランド生活を経て帰国。現在はカルチャー系メディアでの執筆を中心に活動中。