アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#70

理想の誌面を、周りのプロとつくり上げる
― 小林千香

(2018.09.05公開)

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小林千香さんは、日本映画を取り上げる月刊誌J Movie Magazine』や、声優グラビア誌の『声優MEN』のほか、タレントの写真集や映画のパンフレットなどをつくる編集者だ。ところが京都造形芸術大学で専攻していたのは、デザインだったという。本をつくりたいという気持ちから、現在の仕事にいきついたという小林さん。編集として本づくりに携わる、そのいきさつを伺った。

———編集者になりたい、あるいは本をつくりたいと思われたのはなぜでしょうか?

思い返すと、小さい頃から絵を描いていたのと並行して、映画や本が好きだったんですね。両親が映画好きだったこともあり、週末には映画館に連れて行ってもらったり、レンタルショップでもよく借りたりして観ていました。ちょうど雑誌が元気だった時代だったので、ファッション誌やカルチャー誌を好んでよく読んでいました。多感な時期に、知らない世界を映画や雑誌で知り、いろんな意味で強くなれた気がします。当時は「雑誌をつくりたい」とまでは思っていなかったんですが、本のかたちになっているものが好きで、学生の頃もポートフォリオをハードカバーでつくったり、卒業制作は立体でしたが、本にまつわるものをつくったりしました。大学の頃、課題ごとに表現したいことを変えながら制作をしていたんです。もちろん、早いうちからイラストや写真を専攻すると決めて制作しているひともいましたが、わたしはわりといろんな表現を使い分けていました。そこから、卒業したら雑誌や本をつくりたいとは思うようになったんですが、本がどういう仕組みでつくられるのかも知らなくて。もし本づくりに関わるのであれば、デザインを学んでいたので、エディトリアルデザイナーだろうなとしか思っていなかったですね。

———そこから卒業後は、編集者ではなくデザイナーとして、出版に携わることになったそうですね。

卒業後は、小さいデザイン事務所に入りました。ちょうどMacが出た頃で、版下作業も併用しながら、アナログとデジタルと両方やっていた時代で。広告のタイアップ記事とか、デザイン系の本をデザインしていました。でも、実際にデザイナーとして本づくりに関わってみると、自分の思い描いていたイメージと違ったんです。与えられたものを組んでいく作業がすごく多くて。自分の思い通りの本をつくるには、素材から自分で選びたいなと思ったんです。
結局1年足らずで退職して、自分の好きな雑誌に関わりたいなと考えて就職活動をしたんですが、どうやったら自分の思い描いたような本がつくれるのかがわからなくて、誰に聞いても、ネガティブな意見しか出てきませんでした。今思うとその時点ではまだ編集者になるという強い意志があったというよりも、思い描くものはあっても、そこまで行く方法がわからない。やり方もなり方もわからない状態だったので、きっかけを探していた時期だったと思います。そんな時に、カルチャー誌も出版している映画配給会社が編集者を募集していることを知ったんです。その本は学生の頃から読んでいましたし、アートフィルムやインディペンデントな作品を多く扱っている会社だったので、憧れでした。デザインをやっていた経験を生かして、DTPもできると履歴書を送ったんですが、編集者を募集していたので、DTPは今必要ないからと落ちてしまいました。だけどすぐに「どうしても御社で働きたい」という思いの手紙を送って。すると次の日に電話がかかってきて、ちょうど空きが出たらしく、午前中に電話があり、その日の午後には出社していました(笑)。そこから3年ほど勤めましたが、今思い返すと必死だったなと。好きな雑誌に編集者として関われることになって、すごく嬉しかったですし、初めて原稿依頼のやり方とか、誌面のつくり方を学びました。国内外、有名無名問わず、ミュージシャンや作家、アーティスト、映画監督といったホンモノの方々と接することができて、多くを学ばせていただいて、どの方とのお仕事も印象深く、この時の経験が今の私の基盤となっていると思います。雑誌以外にも、書籍や翻訳本、来日したアーティストのアテンドやイベントなどにも携わりました。

———現在勤められる会社では、芸能やカルチャーに強い編集プロダクションとしてさまざまな書籍、雑誌をつくられていますね。

3年ほど勤めた後、フリーになり、前の会社での仕事の縁から声をかけていただいて、カルチャー誌のお手伝いや映画のパンフレットの編集を、1年ほどやっていました。そのタイミングで今の会社のメンバーに、新しく編集プロダクションを立ち上げるからと声をかけてもらい、現在も社員として編集の仕事をしています。
立ち上げ時は特定ジャンルも決まっていないですし、請けられるものを請けているという感じでしたが、同時にムック本というかたちで出版社に企画を提案したりもしていました。映画雑誌がつくれたらいいなという思いがその頃からあり、日本映画が元気だった時に、映画誌の企画を出版社に持っていき、映画誌を立ち上げることができました。それが12年くらい前のことです。それをきっかけに会社としても映画や芸能に強くなっていきました。

『声優MEN』(双葉社)など雑誌のほか、芸能や映画にまつわる写真集、オフィシャルブックも数多く手がける

『声優MEN』(双葉社)など雑誌のほか、芸能や映画にまつわる写真集、オフィシャルブックも数多く手がける

———他にも日本映画雑誌はいくつかありますが、強みはなんでしょうか?

わたしたちのジャンルの本は、同じタイミングで同じ俳優さんが多く出演されます。そのなかで手に取ってもらうには、どこよりも写真をしっかり見せ、オリジナリティを出すこと。持って帰りたいと思うような写真や記事を目指して、つくっています。それを見た別の出版社の方からグラビアページの制作依頼があったり、写真集の仕事を請けたりということも多いです。
それから編集部がいいと思う映画を、大小関係なく紹介するということ。特集を組むべき話題の大きな作品も、反対に規模の小さな作品でも、編集者が良いと思えば同等に扱いたい。思いのこもった作品を、思いを込めて誌面にすると、きっと読者にもその思いは伝わると思っています。そういった指針がオリジナリティにつながっていると思っています。

小林さんが創刊から企画・編集している『J Movie Magazine』(リイド社)

小林さんが創刊から企画・編集している『J Movie Magazine』(リイド社)

———つくっていてやりがいを感じるのは、どんな瞬間ですか?

そうですね……。自分の思っていたものが読者に届いた時、でしょうか。わたしたちのつくっている本は、ある作品があって、ある俳優さんたちがいて、それを紹介しているだけにすぎませんが、わたしたちの本を見て、読者の方がより想像が膨らむようなものにしたいと思っていて。それは、ある一文を読んだり、あるいは写真を見たりして、もっとその作品を観たい、もっとそのひとを知りたいと思ってもらえるような間口になれたら、そう心がけているので、その思いが少しでも届いたときは、やってよかったなと思います。

———チームでつくり上げることを大事にされていると思うのですが、フリーランスではなく会社の社員として仕事をされているのも、そこに理由があるのでしょうか?

まず、フリーの編集者っていうのがなかなか根付きにくいところがあったんです。個人ではなく会社として仕事を請ける方が、何にせよいいと思いました。

———デザイナーから一転し、10年以上も編集者として本づくりをされています。編集はずばり「合っていた」と思える仕事ですか?

気づいたらこんなに経っていた、という感じが大きく、がむしゃらに続けてきた感じはあります。そのぶん寝食がままならないとか、犠牲にしてきたこともありましたし、ダメなところもあります。大変なことはたくさんあったけど、こうして雑誌の編集をずっとやらせてもらえるなんて、大手の出版社に入っていたら考えられなかっただろうなって思います。周りのひとに助けられながら、ここまで続けてこられました。夢もたくさんのひとに支えられて叶えられている気がします。わたしの理想はいつもすごく高い。無理だって笑われるくらい。だけど、無理だと思っていたことでも、今までやってこられたのは、わたしひとりでは絶対できないことでも、会社も含め、たくさんの方が助けてくれたからです。学生の頃からそうで、制作の時、溶接など自分でできないことは、学科をまたいで友達に手伝ってもらうことが多かったんですね。それは今も変わらなくて、誌面に出てくださるタレントさん、映画の配給会社さん、プロのカメラマンさん、ライターさんやデザイナーさん、メイクさん、スタイリストさん、印刷所や出版社のみなさんが力を貸してくださることで、さらに高いところを目指していけると思っています。

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雑誌の要となる写真の撮影風景。ロケーション選びにもこだわりが見える

雑誌の要となる写真の撮影風景。ロケーション選びにもこだわりが見える

だけど何がなんでも編集しかない、とは思ってないんです。タイミングや、時代も関係してきます。もしわたしの考えや思いが時代と合わなくなったら、できなくなることもある。そこは自分のなかに見極めが必要だなと思います。ただおもねるような本をつくろうとは思っていないですが、数字として結果が出てくるものですから。売れないと出し続けることはできないし、編集の感性が古くなってきて読者が離れていくところも、逆に売れたからといっていろんなひとの意見が入って本がダメになっていくところもたくさん見てきました。続けていくことも大切だけど、自分が時代にそぐわなくなることもあると思っています。

———小林さんの思う「編集」とはなんでしょうか? 例えば記事を書くライターや、写真を撮るカメラマンとは少し違って、編集は仕事内容の輪郭が掴みにくい職種のように感じているのですが。

編集の方法はなんでもいいし、きっと誰にでもできると思っています。記事ひとつにしても、個人のアイデアや、やった分だけのやり方があるというか。編集者でもワンマンな方法のひともいれば、チームで動くひともいますから。目標があって、それを形にするにはどうしたらいいか。それはどの仕事でも同じだと思います。わたしがつくっている本で言えば、多くのひとの協力を得て、一緒に動いてもらわないといけません。雑誌はスピードも必要ですから、どうしてもひとりでコツコツというわけにはいないんですね。わたしが〝こうしたい〟というイメージのもと、動いていきますが、それはひとつの発火点であって、それをいろんなひとの力を借りて、大きくしたり、想像もつかなかったようなものになったり、そうやって変化して成長していると思います。

———今後、どのような編集者でありたいと思われますか?

わたし自身で言えば、常に自分の心の声を聞いて、正直でいたい。そして協力してくださっているみなさんに対して恩を忘れない編集者でいたいと思っています。やはり本づくりは、ひとりじゃできないですから。
本が売れない時代と言われていますが、ふらっと寄った本屋で手に取った本で、思いがけない発見があったり、ページをめくるたびに心がざわついたり、わくわくしたりすることは、これからもあると思っています。そういう経験を伝えたいし、わたしのようにそういう出会いで、前を向けるヒントになれば嬉しいです。誰にどんなことが、心に届くかわからない。だけどわたしたちが心をこめて、熱を入れてつくったものは、誰かに届くと信じたいですね。

取材・文 浪花朱音
2018.08.05 オンライン通話にてインタビュー

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小林千香(こばやし・ちか)

京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン科卒業。2003年に現在のメンバーと編集プロダクションを立ち上げる。『J Movie Magazine』編集長『声優MEN』編集長の他、これまで映画、ドラマなどのオフィシャルブックや映画のパンフレット、タレントの写真集等を編集。

J Movie Magazine
https://www.leed.co.jp/9784845851171

声優MEN
http://www.futabasha.co.jp/SeiyuuMEN/


浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて、書籍の編集・執筆に携わる。退職後はフリーランスとして仕事をする傍ら、京都岡崎 蔦屋書店にてブックコンシェルジュも担当。現在はポーランドに住居を移し、ライティングを中心に活動中。