(2026.01.11公開)
介護の現場には、時にヴァイオリン奏者がいることを知っているだろうか。北海道内の介護施設で、利用者に向けた「音楽療法」を担当している吉田マナさんはその一人だ。
アマチュアオーケストラでの経験も豊富な吉田さんだが、社会人入学をした大学での学びや音楽療法の現場での交流を機に、その演奏は柔らかく、広く、深く変化してきた。
「いつも、自分にできる至上の演奏をもって皆さんに向きあいたい」という吉田さんに、演奏会ではなく音楽療法の場だからこそ目指すべき音のあり方を伺う。

———まずは、現在の中心的な活動である、介護施設での「音楽療法」について伺います。
コロナ禍以降に、介護施設を複数運営する今の会社に就職して、現在は3ヵ所を回りながら利用者の皆さんにヴァイオリン演奏をしています。もうすぐ6年になりますね。これまでずっとアマチュアで演奏をしてきましたが、ヴァイオリンを弾くことが仕事になるならすごくいいなと思ったんですね。日曜以外はフル稼働です。利用者の方々は70代から、メインは90代の方が多いです。元気いっぱいな方から、思うように体を動かすことができない方、意思の疎通が取れない方まで、様々な方々に演奏をしています。
胸につけるプレートには「音楽療法」と書いていますが、私はそういった資格を持っているわけではありません。音楽療法という言葉は比較的新しいものらしく、資格は民間の医療施設がつくっているそうですね。厳密なところでは、カリキュラムに沿って演奏をして、こんな効果がありましたと記録していくシステムもあるのでしょうが、私の役割はもっと単純です。音楽のレクリエーションと言えば伝わりやすいでしょうか。まずは施設の皆さんに音楽を楽しんでもらうことです。音楽を聴くと、具合が悪い部分が少し和らいだり、辛く感じていることが忘れられるみたいで、日々、皆さんの声からその力を実感する機会は多いです。私が昔の曲をいろいろ弾いていると、普段対話が難しい方にもいきなり何かがヒットしてパッと歌い出したりされるんですよ。

吉田マナさん

オーケストラでの演奏歴も多数。前列左端が吉田さん
———アマチュアオーケストラでの演奏会の経験も豊富ですが、演奏会と音楽療法の違いは何でしょうか。
まずは目の前にいる方に喜んでもらうことを目的としている点でしょうか。施設ではヴァイオリンに親しまれている方は少ないですから、どれほど名演奏をしても、「難しすぎた」と言われて喜ばれなかったら意味がないんです。ですから、皆さんの知っている曲、明治大正ぐらいの歌謡曲を中心に、小さい時に親が歌っていた曲だと受け入れてもらえることが多い童謡を弾くことも多いですね、この曲だったらあの方はいい顔をしてくださるかな、と想像しながら曲を選ぶのが楽しいんですよ。
施設ではカラオケのレクリエーションもありますから、私の立場は、皆さんがカラオケを選ばれるか、私の演奏を選ばれるかにかかっているところがあります(笑)。この仕事を始めるまでは、音楽はクラシックしか知らない人間でしたが、そんなことは言っていられない、皆さんが喜んでくださるなら何でもやりますよ、と気合いを入れて「津軽海峡・冬景色」を弾いたりしてみると、あれ、なかなかいいな! と新鮮な発見もあります。

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———音楽療法の場は、吉田さんにとっても変化と発見に満ちた場なのですね。どのくらいからヴァイオリンに親しまれているのですか。また、楽器としての魅力をどこに感じていますか。
物心がつく頃にはすでに楽器と共にいて、ヴァイオリンは3歳から始めました。自分から弾きたいと希望して始めたものでしたし、何より楽しかったのですが、親も先生も本当にスパルタで。日曜日も無く、毎日泣きながら弾き続けるような日々でもありました。ヴァイオリンを辞めてしまうと自分がなくなってしまうような感じがして、幼いながら粘り抜いたのだと思います。3歳からヴァイオリンを始めることができて、また続けられる子はそう多くはありません。20歳前にスパルタな環境からは抜けたのですが、幼少期から十数年、厳しい環境に耐え抜いた経験は自分の音に対しての自信になっています。

現在使用しているヴァイオリン(左)と、人生初めのヴァイオリン(右)は、最も小さな1/16サイズで3歳用
ヴァイオリンの魅力は、生演奏が特にそうですけれど、いい音を出せると本当に心が落ち着くところでしょうか。音は振動で、人間の体はほぼ水分でしょう? いい音には、耳だけではなくて体全部が揺り動かされるような、 細かいマッサージを受けているような心地よさがあるんですよね。
いい音は体の動きからです。どの角度で構えて、どう弓を引くのか、奏者の動きを楽器が気に入ってくれたらいい音を出してくれる。ヴァイオリンに一瞬一瞬、こうだろうか? と働きかけながら美しい音をつくっていきます。 昔は、奏者の私が音を出しているのだと傲慢に考えていた時期もありましたが、今では、楽器が私の体の動きを気に入って音を出してくれているのだと、ずっと謙虚になりました。

———2006年に、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の通信教育部に社会人入学されています。ご入学の経緯は?
子どもの頃から音楽大学に入りたかったのですが、それは結局叶わなかったんです。結構折れてしまっていた時期もあったのですが、社会人になってから、どうしても大学に行きたくて放送大学に入りました。そうしたら、知らないことを知るのが楽しくて楽しくて! 放送大学を卒業した後ももっと学びたくて、相変わらずヴァイオリンは続けていましたから、今度は芸術を学べたらいいなと、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の通信教育部に入学しました。特定の分野を学ぼうと決めていたわけではなかったので、学べる範囲の広そうな芸術学を選びました。思いを新たに、もう一度大学で芸術や表現に向き合いたいなと。

放送大学時代。演奏会にて
———そんな思いに応えるために門戸は開かれていたと思います。大学での印象的な学びや出会いを教えてください。
入学式でお話をいただいた羽生清(はぶ・きよ)先生は、私のロールモデルの星といえるような方でしたね。人間として衝撃的に惹かれて。先生のデザイン論の科目を取って、そこから私の芸術の世界が広がっていった感覚があります。中路正恒先生の東北学も、難しかったんですが面白くて。
中でも、最も影響を受けたのは、スクーリングでの梅原賢一郎先生の授業でした。自分が今生きているこの世界と、その前後の世界、つまり生まれる前の世界やあの世と、人はどのようにコンタクトを取ってきたのか? という内容の講義でした。
講義の中で、「音と香りは人間の一生を通じて残るもので、この世とあの世に通じるものである」というお話がありました。例えば、お経と線香の香りは分かりやすいですね。また、青春時代の曲を聴けば、人生のどこからでも当時に戻れる感覚はあると思います。それを聞いた時に、私はもう涙が止まらなくなってしまったんです。それまでの私は勉強をもっとドライに考えていたんですが、こんなに面白いことを学問として取り上げることができるんだ! と、世の中に対してすごく嬉しい衝撃を感じたんですね。

北海道美唄市にある芸術文化交流施設「アルテピアッツァ美唄」での演奏会にて
———「音」は吉田さんの人生の傍らに常にあったものですから、より実感をもった学びだったんですね。 大学での学びと演奏家としての今はどのようにつながっていますか?
それまで私は演奏において根無草といいますか、自分に基準がなくて感覚的にやっていたのですが、大学での学びが自分の演奏に根っこをつくってくれました。
現代においては、神様が人間のトップであるという考え方は無くなってきていると思いますが、私にとっては、芸術こそがかつての神様への信仰に代わる、至上のものへと向かう行為だと納得したんですね。大学に行くまでは、言葉や音が、まさかそんなすごい力をもつものだとは認識していなかったんですよ。限りなく上の方の世界、 清らかな世界に対して、音をもってなら向かうことができるんじゃないかと自分の中で深く納得して、根っことして広がっていきました。望むことを言葉や音にして、その望みを現実に創り出すことが出来るという、「言霊」「音霊」といった考え方もまた、私の演奏の芯となりました。
以前、ある利用者さんが「あなたの演奏をみんなで聴いていると、音が私たちを水晶玉みたいに包み込んで、俗世とは違った綺麗な世界にいるようだった」とおっしゃってくれたことがありました。これ以上の褒め言葉はないですね。いい音は、みんなを包み込んで、ここではない場所に連れていってくれるのかと思いました。

音楽仲間がボランティアで応援に来てくれることも。合奏を披露

出会った利用者さんとの交流を描いたドローイング
介護施設では、ひと夏お見かけしないと思っていたら、この前の別れが最後の別れだったということが日常的にあります。私は利用者の皆さんにとって人生最後の演奏をしていることも多いんです。自分に確固とした芯がなかったら、恐ろしすぎてこんな仕事は到底できません。
誰かの人生の最後の日になるかもしれない今日、私の奏でる至上の音をもって、ここに最高のひとときを創り出すのだ、という思いで日々演奏をしています。

———利用者の方々とたくさんの出会いがあるかと思いますが、印象的なエピソードをひとつご紹介いただけますか。
Kさん(仮称)という、90代の女性の利用者さんがいらっしゃいました。Kさんはお話をすることも、車椅子に座っていることさえも大変苦しそうでしたが、私の演奏をいつも楽しみにしてくださっていました。Kさんにはプロのオーケストラでヴァイオリン奏者をされている娘さんがいて、かつては必ず娘さんのコンサートを聴きにいかれていたそうで、どうやら私と娘さんの姿が重なっていたみたいです。私もひとしおで、正統派のクラシックを好むKさんへの演奏はいつになく真剣勝負の場でした。ある時、Kさんにリクエストを尋ねると、「ラ・フォリア」という曲を答えてくださいました。その時には楽譜がなくて、「今度持ってくるね。楽しみにしていてね」と約束をしたのですが、Kさんとお話をしたのはそれが最後となりました。
Kさんのことを思い出すたび、Kさんに聴かせることが叶わなかった「ラ・フォリア」を演奏するたびに、この場のかけがえの無さ、そして私に与えられた役割の大きさを思います。

———望みを音にして、現実に創り出すこと。新たな出会いに心を響かせ、演奏を重ねるたびに柔らかく、広く、深く変化してきた吉田さんの姿がその証明ではないかと思います。最後に、今後の展望をお聞かせください。
利用者の皆さんとの、二度と得られないエピソードがお一人お一人にあるんです。今後、それをエッセイとして書いて発表していきたいと思っています。お別れをした皆さんへの、自分なりの手向けにもなるのではないかと。
これまでの人生で、今ほど多くの人に喜んでいただけることはありませんでした。思ってもみなかった驚きですし、本当に幸せな日々です。これからもより一層の覚悟をもって、皆さんに素敵な演奏を届けていきたいです。
取材・文 辻 諒平
2025.12.09 オンライン通話にてインタビュー

吉田マナ(よしだ・まな)
3歳から弾き続けて半世紀(超)。2歳半からピアノを、3歳からヴァイオリンを習い始める。7歳で渡道、札幌音楽院に転入。院長、故・荒谷正雄先生に師事。
20歳頃に音楽一筋は断念するも、十代からミニコンサート、教会、カフェ等で内輪に弾く。アマチュアオーケストラの団員・エキストラ等、たまに音楽会出演。
2012年より古楽と古楽器に挑む「宮の森アルテ・ムジクス」所属。他に弦楽アンサンブル、ノンジャンル・グループ等。
2021年より、株式会社ノアコンツェル デイサービス事業部所属。ヴァイオリンでの「音楽療法」講師。
目下、ジャンル超えしたセッション、即興で遊ぶ無碍の世界を探っている。
京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)芸術学部 芸術学コース卒業。
ライター|辻 諒平(つじ・りょうへい)
アネモメトリ編集員・ライター。美術展の広報物や図録の編集・デザインも行う。主な仕事に「公開制作66 高山陽介」(府中市美術館)、写真集『江成常夫コレクションVol.6 原爆 ヒロシマ・ナガサキ』(相模原市民ギャラリー)、「コスモ・カオス–混沌と秩序 現代ブラジル写真の新たな展開」(女子美アートミュージアム)など。


