(2024.05.12公開)
逆さまになった木立、砂漠と見紛う海原、夜空を均一に埋める星々。画家・山岡明日香さんの描く風景画は、現実の世界とはどこかがずれて、違っている。また、ディテールに目を向ければ、様々なマテリアルと筆致が入り混じる、試行錯誤の痕跡のようでもある。
滋賀の風景や、旅先で撮った写真を元に絵を描くことが多いという山岡さんだが、では実景と絵画の間で、風景はどのように移り変わっているのだろう。これまでの作品を振り返りながら、山岡さんが描きながら見ているものについて聞いてみる。
———私は2010年の作品《island image》が好きなんですけれど、大胆に構成された緑色の部分は海なのか、地面なのか、あえて曖昧に描かれているのかとも思えて。夜空を均一に埋めるような星の表現も個性的だと思いました。
これは直島旅行で撮った写真を元にした絵ですね。緑の部分はどのように見えてもいいかなとは思っていて、初めは砂浜のつもりで描いていたんですけれど、塗っているうちに、自分の中では最終的に海の藻のようなイメージになりました。
星はこんなに見えていたわけではないですが(笑)、描いているときに埋めたくなったのかなきっと。この絵の中で星がまばらにちょこちょことあると、自分の中で夜空として物足りなかったのかなと思います。だから描いてるうちに、この絵にはこれぐらい欲しいなと。
———山岡さんは一貫して風景を描かれていますよね。どうして風景なのでしょうか。
滋賀に住んでいるというのもあって、小さいときから、周りに琵琶湖があったり、山々があって、田んぼがあってという環境で過ごしてきたので、夕焼けが綺麗だなとか、昼間の青い空も綺麗だな、と何気ない自然を身近に感じられる環境だったのはありますね。
高校の美術部から絵を描き始めましたが、なんでも描いていいよと言われて、やっぱり風景を描いていたんです。高校の頃は見たままに描く感じだったんですけれど、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)に進んでからは、例えばムンクが好きになったこともあって、より心象をそこに含ませて表現したいと思うようになりました。風景画を描くのは、どこまでいっても、見た景色に対して自分のフィルターをかけて外に出す作業にはなるので。
学部1年生くらいまではまさに油絵という感じで、それがどんどん今のような絵になってきて。ムンクをはじめ、クリムトの風景画だったり、あとは小松均(こまつ・ひとし)さんの、小さいものがたくさん集合することによって風景をつくっている絵などが気になりだしました。点をどんどん打つことによって、それらがミチッと、ギュッとすることで、何か大きな風景が現れるんじゃないかなと試行錯誤をしていましたね。
通勤中に目にした近所の景色を描いた《a trees》は大きな風景を描くということを目指した作品です。全体として、花や葉っぱがうわーっといろんな遠近を持ちながら集まった夜の風景、赤い花のある大きな風景を目指してこれくらいの抽象度になっているのかな。だからひとつひとつ花の形はそこまで重要ではなくて。
———自身の、その時々の内面的なものが絵の雰囲気をつくっているのでしょうか。
それは多分、あまり関係していないと思います。私が楽しい気分の日に見た風景を描いたとして、多分楽しい絵にはならない。この絵はちょっと暗めの絵にしたいなとか、この絵はちょっと夢見がちな絵にしてみたいなと、色を選択していくときも、こういう気分の絵にしたいというのはあるんですけれど、それは自分の感情の表現ではなくて、絵の性格を表してあげたいという欲求に近いのかなと。山岡さんの絵がいいよねと言われるのではなくて、絵が独り立ちして誰かの家に飾られたときに、観ている人と絵が対話してくれるようになったら理想かもしれないです。
———現代では、外に出なくても世界中の風景を見ることができますが、実際に行った場所以外を描かれることもありますか。
写真やポスターを見て、描いてみたいなと思う風景を絵にしようとしたこともあったんですけれど、自分のイメージに変換しきれずに筆が進まなくて。旅行先だったり、家の近所でも、やっぱり自分で目にしたところで、自分の視点でスケッチしたり、写真を撮ったりと、自分の琴線に触れる実感が大事なのかな。
少し前から、絵を描くための写真をポラロイドカメラで撮るのにハマっています。元々インスタントカメラのやわらかい調子やボケたりする感じが好きで。ひとつの地点から、ひとつの風景を、少しずつずらしながら何枚も撮って、それをコラージュして大きな写真をつくるんです。写真と写真のつなぎ目はずれるんですけれど、そのずれもありかなと。学生の時から構図を決めきるのが苦手で、スケッチも紙を何枚も継ぎはぎしながらやる癖が元々あって、例えば木を描くにも1枚の紙では収まらなくて、どんどん継ぎ足していって、最終的にめちゃくちゃ大きな紙に描いているみたいな。最近は写真もそういう感覚で撮っていますね。
デイヴィッド・ホックニーが学生の時から好きで、ホックニーの写真をコラージュした作品が印象的だったのも影響としてあるかもしれません。
———絵画の元となる写真に、より主観的な曖昧さが入ってくるわけですね。2015年ごろの作品から、より非現実性が高まっている印象を受けます。例えば《point of view》はどうでしょう。
そうですね、《point of view》はかなり抽象的、イメージ寄りの作品だと言えて、これまで山や水面を描いてきた絵の蓄積を基に、頭に焼き付いている風景のイメージを再構成して描いた絵なんです。だから具体的に元になった場所があるわけではなくて。
point of viewは、視点という意味ですけれど、何か風景、例えば同じ山を見たとしても、人によって視点は変わって、私が見る風景と、誰かが見る風景は着目点も当然違っていて。誰かの視点からは、もしかしたら木々や稜線だったりという具体的なものではなくて、もっと抽象的なものをそこに見ているのかもしれない。そういうことを考えながら描いた作品なんです。
———《point of view》でも顕著ですが、学生時代から近作に至るまで、構成を変えながらも、点描が多く見られるのは大きな特徴だと思います。
《point of view》で絵を覆っている紫色の点は、何か具体的なものを描いているわけではなくて、自分の中でここに紫色の点があったらいいな、というイメージを描いたものです。初期は葉っぱや花といった具体的なモチーフを点描で表していたのですが、最近は、ここに点があった方がしっくりくる、という感覚に従うようなイメージで描いていて。画面構成的にもやっぱりあるといい。なんででしょうね、もしかしたら、空気中に漂っている何かを表そうとしているのかな。でも、《point of view》の紫色の点がラベンダー畑に見えたり、白い点が雪や黄色い点が蛍に見えたのであれば、それは逆に全然ありかなとも。誰かのどこかの風景になってもいいなと思うので。
———大学生活のことをお聞きします。特に印象に残っていることを教えてください。
みんなそれぞれに絵を描くブースがあって、疲れたら休憩スペースや友達が描いているところに行って、構図がこうなんじゃないかとみんなでいろんな話ができたのが、今思うとすごい楽しくて。そんな中で、中原史雄先生からある時、構図がつまらないから絵をひっくり返してみればいいと言われて、本当にひっくり返してみたり(笑)。凝り固まらずに新しい視点をみんなで探すような日々でした。
今でも友達とグループ展をする機会もあるんですけれど、結局思うのは、1人だと続かないなということです。好きな作家やいろんな先生、友達で今も絵を続けている人がいてこそというか、私は絵を1人で描いてるわけではなくて、周りの影響を受けて、何とか今でも描き続けられいているのかなと思います。
———近作についてお聞きします。《no name pond》では、「Kyoto Art for Tomorrow 2020 ―京都府新鋭選抜展」にて読売新聞大賞を受賞されていますね。
山登りに行った時に見た風景を描いたものです。山の上の方にいくつか池があって、名前がついている池もあるんですけれど、私は名前のついていない小さな池に惹かれて描きました。《no name pond》は今、3回に分けて描いた3つの絵をくっつけた状態で完成していて、賞をいただいた絵は右の部分ですね。
初めて新選抜展に出した絵は3つのうちの真ん中のもので、それを描き終わったときに、右と左に同じサイズの絵があることで、初めてその場所の本当の雰囲気が描けるんじゃないかと思ったんです。新鋭選抜展に出せる2回目の機会をいただいた時に右の部分を描いて、3回目に左の部分を描いて。木を描くためにどんどん紙を継ぎ足したスケッチのように、絵も描いているうちに足したいなと思って、3つ並んだ状態でゴールになったかなと。それぞれの絵は、後ろに見える山の稜線だけは繋げていて、だけど倒れている木などは、先ほどお話しした写真素材のコラージュのように、繋がっていなくてもいいかなと考えて。ひとつの絵の中で、視点がところどころずれている感覚があってもいいんじゃないかと思いました。
———山岡さんは風景を写真に撮るときだけでなく、絵を描く段階に至っても、まだ知らない風景を探し続けている感じがあるのかなと。
そうですね、最初から完成のイメージが見えることはほぼ無いですね。高校の美術部の先生の言葉がすごく印象に残っていて、「どれだけ絵の前にいて、絵と対話できるかが大事」だと。当時はあまり実感がなかったんですけれど、最近はわかってきて、描き進めていくと、絵の方から「ここは画面が窮屈だしいらないよね」とか「この木の角度おかしくない?」みたいに言ってくれる感覚があって、絵が語りかけてくるとはこういうことなのかなと。
絵の声を聞きながら色や構図を調整していくと、「まだ終われない」「まだもうちょっと」「次はこれ、次はこれ」という感じで、最後には「もうこの色入れたら終わりやで」と絵が言ってくれるんです。そういう風に描き切ったときは、そうか、こんな絵になったんやなと、描いてよかったなとすごく思えるんです。でも、なかなか絵と対話するところまで行きつけなかったものも多くて、昔の絵にさらに手を入れて描くこともありますね。
———頭の中では見つからない、描くことでしか辿り着けない風景があるんですね。最後に、これからの展望を教えてください。
あまり先のことを考えたりするのが苦手で、どうでしょうね。ただ、最近は抽象化し過ぎた表現ではなく、もう少し具体的な風景をまた描きたいという気持ちはあって、それをいろいろなパターンで試行錯誤しているんですけれど、《no name pond》は自分の中でうまく消化して描けた感じはありますね。
写真やスケッチだけがあって、描いていない絵がまだまだ全然あるので、その辺をいつか、今の自分では想像できない、こんな絵が描けたんだな、と思えるような絵にできたらなと思っています。
絵を完成させて「あーやったな!」と思えた時は、アトリエで絵を描いていただけなのに、まるで旅行に行った後みたいな、すごく遠いところに行って帰ってきたような気持ちになっていて。だから私にとって、絵と対話しながら描く時は、どこに行くかわからない人生の旅の途中みたいな感覚なんです。
取材・文 辻 諒平
2024.04.06 オンライン通話にてインタビュー
山岡明日香(やまおか・あすか)
<略歴・主な活動履歴>
1982 兵庫県生まれ
2004 京都造形芸術大学 芸術学部美術・工芸学科洋画コース 卒業
2005 第90回二科展(以後毎年)(東京都美術館 / 東京)
2010 第1回しがの風展(以後毎年)(大津市歴史博物館 2F 企画展示室A / 滋賀)
2013 第98回二科展 損保ジャパン美術財団賞(国立新美術館 / 東京)
2016 平成27年度平和堂財団奨励賞(滋賀)
2017 第102回二科展 二科賞・会員推挙(国立新美術館 / 東京)
2017 「YAMAOKA ASUKA EXHIBITION」個展(ギャラリーa / 京都)
2019 「あなたには何が見えるのか」個展(ギャラリーa / 京都)
2020 Kyoto Art for Tomorrow 2020 京都府新鋭選抜展 読売新聞社賞(京都文化博物館 / 京都)
2020 「On rêve dans le paysage 私たちは風景の中で夢を見る」篠原涼子×山岡明日香 二人展(以後毎年 隔年で京都とパリで交互に開催)(ギャラリー ヒルゲート2F / 京都)
2021 「On rêve dans le paysage vol.2 私たちは風景の中で夢を見る」篠原涼子×山岡明日香 二人展(Galerie-Espace 《LE MARAIS》 / パリ フランス)
ライター|辻 諒平(つじ・りょうへい)
アネモメトリ編集員・ライター。美術展の広報物や図録の編集・デザインも行う。主な仕事に「公開制作66 高山陽介」(府中市美術館)、写真集『江成常夫コレクションVol.6 原爆 ヒロシマ・ナガサキ』(相模原市民ギャラリー)、「コスモ・カオス–混沌と秩序 現代ブラジル写真の新たな展開」(女子美アートミュージアム)など。