彫刻家・澄川喜一が反りの美しさに魅せられ、自らの原点とした錦帯橋(きんたいきょう)。そこから徒歩1、2分のところに酒井酒造美術館・五橋文庫があります。土蔵のような外観のこぢんまりとした美術館ですが、酒器や篆刻(てんこく)を中心に書画や文房四宝など約500点を所蔵しています。
ドアを開けると館長の大石紗蓼(さりょう)さんが笑顔で迎えてくれます。ここで大石館長の経歴を紹介しておきます。
大学では生物学を学び、衛生検査技師や高校の非常勤講師として勤務。書道をしていたこともあり40歳頃から篆刻を始める。子育ても一段落した頃陶芸を始め、50歳で陶芸家を目指す。10年以上陶芸家として創作を続けた後、自分なりに目指した作品ができたことなどから陶芸を卒業、篆刻講師に専念。ちょうどその頃、篆刻の仲間であった酒井酒造の当主から美術館をつくるので手伝ってほしいと声をかけられる。学芸員資格を取るようにとの要請があり、1年間通信教育で学び資格取得、館長に就任。
とても自由で前向きな生き方ですね。
さて、大石館長は高校時代、毎日錦帯橋を渡って通学し、澄川喜一同様その美しさに魅せられた人です。そしてその錦帯橋の創建に大きなかかわりがあったとされるのが、「日本篆刻の祖」といわれる独立禅師(どくりゅうぜんじ)です。錦帯橋は岩国藩主吉川広嘉により1673年に創建されましたが、独立は1664年、医者として広嘉に会っています。その折に独立のふるさとである西湖の話が出たようで、広嘉は独立が持っていた、西湖につくられた人工の島々とそこにかかるアーチ橋が描かれた『西湖遊覧志』を借用し写本をつくっています。これが錦帯橋の橋脚のヒントになったといわれています。これ以降も独立は何度か岩国を訪れ、篆刻など中国の文化を伝えたようです。
錦帯橋と篆刻には独立禅師という共通の祖があったのです。このことは錦帯橋と篆刻に魅せられ心を寄せてきた大石館長を大いに奮起させたようです。「錦帯橋と篆刻を岩国の宝としてもっと世の中に知らしめたい」という強い思いが、古希をこえた今でもパワフルに活躍する原動力のようです。
五橋文庫では素晴らしい作品に囲まれて、大石館長から篆刻指導を受けながら錦帯橋や独立禅師についてのお話を伺える贅沢な体験ができます。
参考
大石紗蓼『独立性易禅師の篆刻と岩国』酒井酒造美術館・一般財団法人五橋文庫、2022年。
桂芳樹『僧独立と吉川広嘉』岩国徴古館、1974年。
酒井酒造美術館・五橋文庫
http://gokyo-bunko.or.jp
(長和由美子)