6)オセロの角をひっくり返したい
奈緒子さんが研究所の代表になるということは、当初から決まっていたわけではない。最初はただ相談を受ける立場だったものの、関わりが深くなるうちに代表をやってほしいと言われるとともに、彼女自身もやってみたいという気持ちになり、引き受けることにしたのだという。
インタビューのなかで奈緒子さんは、自分はマイノリティだという自覚があると言っていた。移住者であり、女性であり、母であり、起業もしている。ほとんどロールモデルがないなかで、いろんなことを手探りでやってきた。それだけに、自分自身の経験として、その地域や社会に何が必要かを実感できる部分があるという。そういう奈緒子さんが代表を務めることは、地域にある問題を改めて照らし出そうとするこの研究所にとって大きな意味があるはずだ。
また、このような研究所が西粟倉村にできることは、どのような意味を持つのだろうか。問うと彼女はこう話した。
———大きな政策を立てるひとも開発者も、だいたいみな都市にいますよね。だからどうしても都市的な発想になる。そのままでは、地方のあり方に合致した、本当に地方で役に立つ計画やテクノロジーを生み出すのってやはり難しいと思うんです。だからわたしたちがここでやることに意味がある。そして西粟倉の本当にいいところは「1番にやりたい」という風土なんです。
普通、地方の行政って前例がないことをやるのを嫌がるけれど、西粟倉は逆です。研究所でも、「新しいことを全部西粟倉で実証しようよ!」という雰囲気なんです。失敗も含めて、新しいテクノロジーを使って地域を変えようという流れには適した場所だと思います。ぜひここで一緒に共同研究をしたいという方、一緒に研究所を盛り上げたいという方がいたら、声をかけてもらいたいです。そういう思いのあるひとが、「ピンポン」って押して訪ねてこられるような、いうなればわたしは、インターホンのような存在(笑)でありたいです。
コロナ禍を経て、人々の生活のあり方が変わるとともに、空間も技術も、これまでとは持つ意味合いが変わりつつある。家具が、建築が、そして暮らしを支える新しい技術が、これからどうあるべきなのかは、今後、コロナ禍がどう展開していくかによっても変わるだろう。それゆえに、変化を見つめ、現実を捉えて、その状況に対処する力が必要になっていく。
奈緒子さんはまた、こうも言う。
———オセロの角をひっくり返したいんです。真んなかはもう変えられなかったとしてもオセロの角はすごく影響を与えることができるでしょう。尊敬するひとがオセロの角をひっくり返すようなことをやりたいって言ってくださって、それかなって思っているんで。
他の地域にも結構そういうひとがいるんですよ。全然西粟倉とはアプローチが違いますけど、たとえば(近くの鳥取県)智頭もめっちゃ面白いですし、そこにも関わらせてもらっていたりしますから。それが完全に自分の役目なんですよ。媒体みたいな。物事がよどみなく流れていくような状況をつくれば、そこにいるひとたちに関わっていただけるようになる。自分がよどみなく未来を信じたり、ひとの可能性を信じたり、欲に引っ張られないようにすることっていうのは大事にしなくちゃいけないなと思います。
奈緒子さんが語る言葉、そしてその姿から感じたのは、ようびも、西粟倉村むらまるごと研究所も、未知な未来にしっかりと向き合おうという確かな意思があることだった。ようびは、チームとしての協働の力を生かし、研究所は、失敗も財産にするというスタンスをもって、西粟倉はもちろん、さまざまな地域にとって有用な知恵を生み出すために、きっと長い時間をかけて動き続けていくのだろう。
奈緒子さんたちが未来へ向けて行動を続けられるのは、大惨事を乗り越えた結果として、彼らが得た力なのかもしれない。または、西粟倉村にある風土が、彼らを後押ししているのかもしれない。
いずれにしても、奈緒子さんたちのこれまでとこれからの道筋は、地域で、困難を抱えながらも何かをやり遂げようとするひとたちにとって、きっと重要なロールモデルであり続ける。
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1976(昭和51)年東京都生れ。東京大学工学部卒業、同大学院修了。2003年、旅をしながら文章を書いて暮らそうと、結婚直後に妻とともに日本を発つ。 オーストラリア、東南アジア、中国、ユーラシア大陸で、約5年半の間、旅・定住を繰り返しながら月刊誌や週刊誌にルポルタージュなどを寄稿。2008年に帰国、以来京都市在住。著書に『遊牧夫婦』シリーズ(ミシマ社/角川文庫)、『旅に出よう』(岩波ジュニア新書)、『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)、最新刊『まだ見ぬあの地へ 旅すること、書くこと、生きること』(産業編集センター)など。大谷大学/京都芸術大学非常勤講師、理系ライター集団「チーム・パスカル」メンバー。https://www.yukikondo.jp/
1980年宮崎県生まれ。京都市在住。滋賀大学教育学部障害児学科卒業後、タイにて日本語教師として現地の大学に1年間勤務。帰国後、小学校教員として6年間勤務し、退職。2010年よりフリーの写真家として活動開始。雑誌・広告を中心に活動しながら、作品制作を行う。日経ナショナルジオグラフィックをはじめ、主要雑誌に作品を発表すると共に、写真展も精力的に行う。日経ナショナルジオグラフィック写真賞ピープル部門最優秀賞(2016)、コニカミノルタ・フォトプレミオ年度大賞(2014)など、受賞多数。写真集『Brick Yard』『Tannery』『The Absence of Two』などを発行。http://www.akihito-yoshida.com
編集と執筆。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。2012年4月から2020年3月まで京都造形芸術大学専任教員。書籍や雑誌の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベント、文章表現や編集のワークショップ主宰など。著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、編著に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。