1)「言葉を発する / 書く」ということ 耳と目と口と手のために
どんよりとした雲に覆われた11月の空の下、今回の会場となったJR郡山駅に程近い郡山市民プラザの一室に集まった人々は、朝礼での開校宣言を待っていた。柴田元幸(翻訳家)、川上未映子(作家)、豊崎由美(書評家)、華雪(書家)、開沼博(社会学者)、レアード・ハント(小説家)といった壇上にいる講師たちも、マイクの前に歩を進めた彼の背にまなざしを送る。
すると学校長の古川日出男は、掲げた右手を大きく動かし、ひとつの文字を宙に記してみせた。
「“あ”という字を書くには、横の線、縦の線、ぐるっとまわる曲線と全部の線がある。でも僕たちは、書くときも発音するときも、“あ”にそんな大事なものが入っていると思っていません。ほぼ忘れています。言葉を発する、書くというのは、コストがかかるものだということです。それを思い出すための2日間をつくりたいと思っています。
皆さんが生徒になるのは、今日と明日の2日間だけです。ここにいる僕たちが先生になるのも2日間だけ。ですから、関係を切り結んでください。真摯にやってください。それで、2日間考える。できるだけ深く、深く考えてください。悩んでいいです。答えが出なくてもいいです。
今回、熱意のある先生方からそれぞれの授業のための課題が出たりして、それに答えるためがんばったり、がんばれなかったり、いろいろなことがあったでしょう。それでも、新幹線に遅れないように来たとか、食らいついてやろうと思っている生徒です。
僕たち先生は、その食らいついてくる気持ちに、とにかく応えてやっていこうと思います。ここで2日間、ただよって学校をつくりましょう」。
校長のメッセージは熱い。だが、その思いは決して押しつけがましくない。聞いている人間の耳に届き、心を震わせるのだ。
それに続く講師たちの挨拶が終ると、最初の授業となる古川、川上、華雪によるディスカッションが始まる。「耳と目と口と手のために」とタイトルがついたプログラムで、古川は小説、さらには戯曲と自身の創作活動にふれながら、“自分のなかにある別の自分”について言及する。