言葉が行きづまっている、そんなふうに感じるようになったのはいつごろからだろう。
デジタル時代に入り、気軽にコミュニケーションがとれるようになった。身近にいる人間はもちろん、海外に向けても迅速な交信ができる。にもかかわらず、その行きづまった状態が、相手との距離をさらに遠ざけてしまう。
もし原因があるとすれば、そのコミュニケーションのなかで個々の真意が欠乏しているからか。迅速さを優先するあまり、時間を費やして物事を深く掘り下げるのを疎んじ、巷にあふれる、ステレオタイプ的な言葉遣いに頼りすぎる時代になったのだろうか。
そう思っていた矢先、東北地方に震災が起こった。マスメディアは直後から衝撃を大きく取り上げ、映像、画像、有識者のコメントとあらゆる手段をもちい、被災地のようすを国内はもとより、世界中に伝えていった。
小説家である古川日出男は、その状況に違和感を覚えた。大学進学のため東京へ出るまで福島県郡山市で育った古川が、故郷とそこで暮らす人々が苦難を強いられるのを知り、心を痛めたのは想像に難くない。けれども過去に前例のない被害に至った惨事が、社会の中で画一的に片づけられてしまうさまを見て、納得できないものを感じていた。
規範はもはや通じない、古川はそう思った。
そこで震災から2年が経過し、彼は現地のひと、この地域の出身者、気心が知れ自分の思いに賛同する友人たちと新たな活動を始めた。「ただようまなびや」という名が示すように、教育を目的としたプロジェクトである。
小説家という職業を考えれば、自身の創作だけに集中し、震災がもたらしたもの、それにどう対処すればいいのかを世に問う選択肢もあっただろう。しかし古川は故郷に戻り、仲間たちとともに学校という場を設け運営していくことで、震災後の日本が変わると考えた。
2013年に郡山で立ち上がった「ただようまなびや」は、翌年の岩手での開催を含め、これまで場所を変えつつ3度開校している。小説家、翻訳家、詩人、脚本家、俳人と文学に関わる人間はもとより、音楽家、書家、写真家、ラッパー、社会学者、シンガー・ソングライターといった表現者も講師陣に名を連ねた。定員はあるが、誰でも無料で受講できるという、オープンな教育の場が生まれた。
そして4回目を迎えた2015年の「ただようまなびや」は、「肉声、肉筆、そして本」がテーマに掲げられた。文章を生業とする古川にとって、いわば直球勝負である。開催前に発表された宣言では、肉声とはいつもの声のことと定義したうえで、「心から<肉声>で話せていますか?」と古川は問いかけた。
学校長が渾身を持って投げるボールを、受講者や講師たちはどのように受け止め、返球するのか。肉声や肉筆が真意を見い出させてくれ、この時代が求める人間関係のあり方を提示してくれるのか、それを知るため、晩秋の福島へ向かった。
小説家古川日出男の呼びかけで、東日本大震災後に古川の出身地・郡山で始められたプロジェクト。“私たちがひとりひとりの言葉で発信していくために”開講される文学の学校。日常を離れて、物語る言葉、歌う言葉、外国語から訳される言葉、社会の成り立ちを分析しようと試みる言葉、そうした全部が「あなたの文学」であるとする。場所や開催時期は不特定で、講師も入れ替わる。また、誰でも無料で受講できる。2013年8月以来、今回で4回目。
http://www.tadayoumanabiya.com
第4回概要
日程:2015年11月28日(土)、29日(日)
会場:郡山市民プラザ
テーマ:肉声、肉筆、そして本
講師:開沼博(社会学者)、華雪(書家)、川上未映子(小説家、詩人、ミュージシャン)、柴田元幸(翻訳家)、豊崎由美(書評家)、古川日出男(小説家、ただようまなびや学校長)、レアード・ハント(小説家)/ ゲスト:三浦直之(劇作家)/ 作品展示アーティスト:大森克己(写真家)、宇川直宏(アーティスト)
入場料:無料
開校式の後、2日間にわたって、各講師によるディスカッション、レクチャー、ワークショップなどが並行して進められていった。各日終わりにホームルームがあり、最後は終業式も行われた。
(プログラム)
11月28日(土)
ディスカッション「耳と目と口と手のために」(川上未映子+華雪+古川日出男)、レクチャー「小説の声に耳を澄ませてみる」(豊崎由美)、ワークショップ「ふくらむ言葉、物語」(川上未映子)、ワークショップ「小説を読む、訳す」(レアード・ハント+柴田元幸)、ワークショップ「歴史年表をつくる」(開沼博)、ワークショップ「筆跡の声、声の波紋(華雪+古川日出男)、ディスカッション「本とのいろいろな関わり」(柴田元幸+開沼博+豊崎由美)
11月29日(日)
ワークショップ「批評を書いてみる」(開沼博)、ワークショップ「翻訳「文体練習」」(柴田元幸)、ワークショップ「エモーション・ブースター・プロジェクト」(古川日出男)、観劇付きワークショップ「小説の声に応えてみる」(豊崎由美 ゲスト・三浦直之)、ワークショップ「「息」を書く」(華雪)、ワークショップ「耳と目で読む「たけくらべ」」(川上未映子)、ワークショップ「英語で物語を書く」(レアード・ハント)、朗読とディスカッション「想像力はどう学べるか?」(川上未映子(朗読)+古川日出男(朗読・ディスカッション)+レアード・ハント(ディスカッション)+柴田元幸(司会)ほか)
作品展示
«#soundsandthings»(大森克己)
«UKAWA’S TAGS FACTORY(完結編)1000 Counterfe it Autograph !!!!!!!!!! + 77 Spiritualists Possession» (宇川直宏)
古川日出男(ふるかわ・ひでお)
1966年福島生まれ。小説家、ただようまなびや学校長。代表作に、おびただしい数の軍用犬たちが20世紀の地球全土を駆けめぐる『ベルカ、吠えないのか?』(文春文庫)、東北6県の数百年間の歴史をある一族のファミリー・ヒストリーを追いながら描き出す『聖家族』(新潮文庫)、前世紀末の東京でのテロ事件に手向けられた異様な鎮魂曲『南無ロックンロール二十一部経』(河出書房新社)など。2015年4月には「源氏物語」を紫式部の怨霊が語り直すという平安末期小説『女たち三百人の裏切りの書』(新潮社)を刊行した。2011年からは柴田元幸らと朗読劇「銀河鉄道の夜」を制作して国内を回り、そのドキュメンタリー映画『ほんとうのうた』も上映された。