1)食と器のしくみ 一汁一菜の器プロジェクト
東日本大震災後の松井さんの取り組みは、震災に関連づけた作品を制作したり、チャリティ活動を行うようなものではない。陶芸を中心にものをつくることと社会活動を結びつけていったのである。
——社会活動と生産活動を分ける必要はないと思っていて。アートはよりよく生きるためのもので、本来、芸術は生活とともにあるものですから。
最初に手がけたのは、松井さんが発起人となり、京都造形芸術大学の取り組みとして始まった「一汁一菜の器プロジェクト」である。いのちをつなぐ食を「器」から支えようと、京都や滋賀の作家も参加して制作を行い、被災地に器を贈るというものだ。
発端は、紙コップやプラスチックの大量生産の器などが避難所で使われているという当時の状況だった。松井さんたちがものづくる立場から、何を、どう支援したらいいのかと思いあぐねていたところに、信楽の作家からその話を聞いたのである。さっそく大学の陶芸コースに協力してもらいながら、避難所の炊き出しで必要な「丼鉢」をつくって贈ったのだった。
その後のステップとして、大学と産地・作家が連携し、食事をするのに必要十分なセットをつくって届けることを始めた。「七寸皿・飯椀・汁椀・湯呑」を組み合わせ、風呂敷や巾着などの布にくるんで1セットとしたものだ。制作は松井さん含む京都造形芸術大学の教員、学生や受講生、それに信楽や清水の作家たち。規格を決めた画一的なセットではなく、思い思いの造形がなされ、手でつくられた温かみがある。
——食べることと、それを盛る器の関係はとても大事で。器の装飾的なデザインみたいなことではなくて、食と器を合体させたいっていうのが大きなところでした。一汁一菜は食と器のしくみだから。器がしっかりしてたら、食事もおいしく見える。コンビニ弁当も、一汁一菜(の器)に盛るとすごくよく見えるんですよ。どっちもよく見える関係なんです。
一汁一菜の器セットを受け取った方たちが最初に行ったのは、近所の方々を集めた食事会だったという。
——生活と器はセットなんだよね。そして、コミュニティをつくっていくうえでの核にもなる。生活を豊かにする道具として、器の力は大きいんです。そのことを僕もあらためて思いましたね。
受けとめる器があってこそ、食べもので集うという行為に自然とつながったのだろう。もともと東北には郷土色豊かな料理が揃っていて、食にヴァラエティがある。松井さんたちは器にとどまらず、食文化の復興も考えるようになり、プロジェクトでは郷土料理と器の「物々交換」も始めた。食べることと器の関係を探りながら、食を通して生活の豊かさを感じてもらうための工夫を試みている。
2014年春には、京都でもイベントを行った。京滋の作家がつくった一汁一菜の器セットの展示販売と、一汁一菜の器を使った食事会という企画だった。展示にあたって、松井さんは以下の文章を寄せている。
ものづくりに関わる者として持続可能な復興支援活動を考えるなら、支援活動そのものが新しい食や器のあり方の実験と検証の場でなければ続きません。単に器をお金に換えるだけなら毎日やっているビジネスで十分です。今回の企画は器を展示販売する場で東北の現状を伝え、その人たちに送った器と同じものを手に入れることで思いを一つにできること、その器で日々の食事を美味しくいただくという当たり前のことに気付き、東北とつながるすべての人々が日本の食文化について再考するきっかけになればという、前回から引き継ぐ考えをより明快な形で打ち出そうと企画したのだと思います。東北での支援活動を通して感じた「器の力」を周りの作家に伝え支援の輪に加わっていただくことで「あるべき器、来るべき器」作りの動きにつながらなければ被災国日本の陶芸家として世界に向かって何を発信することができるでしょうか? 震災復興の過程を見ていて思い知らされたことは日本の食文化の乱れと喪失、それに対して無頓着な器作りを含むアートの現状です。国際的にも孤立化が進み閉塞感にさいなまれる日の出る国日本で美術や工芸として器を語るのではなく生きるための道具としてもう一度衣食住とともに語れる地平を作る必要があると思います。民藝ブームの背景には明るい日本の手作りへの素朴な誇りが見えます。一般の人々はすでにそのことに気付きその誇りを表してくれる形を求めています。その時の食は必ずしも粗食でなければいけないわけではありませんし日本食にこだわる理由もありません。
そんな望みに答えるのが一汁一菜の器プロジェクトでありたいと思います。(原文ママ)
「生きるための道具としての器」を通して東北に関わるなかで、日本の生活文化のありようにも思いをめぐらせていたのである。