5)「これから」につなげるプラットフォームづくり
有田に滞在した2日間のあいだは、どこに行っても雰囲気がよく、笑顔が絶えなかった。窯元も商社の方々も、そして2016/ project に関わるスタッフも本当に明るい。もちろん、打ち合わせのときは真剣そのもので、窯元はデザイナーの要望に対して、自分たちの技術を用いて、いかに工夫できるかを探り、商社のひとは両者を取り持っている。そのめりはりのつけかたもとてもいいのだ。
1616/ arita japan から参加している宝泉窯の原田元さんは、飲み会の席で「みんな本当に仲がいいです。笑いながら苦労できればいいですよね」と終始にこにこしていた。その隣で柳原さんも笑っている。
——この仲のいい感じ、ふつうに見えるじゃないですか。でも1年前はぎこちなかったですよ。商社は商社で話をして、窯元は窯元でライバル同士なので。ミーティングというと、まちの施設でパイプ椅子を並べて僕が前に出てプロジェクトの趣旨を説明して、となって。でもこんなところでやっても堅い話しか出ないから、まずは椅子を丸く並べてやりましょう、次には会議室はやめましょうとなって。ついに、このプロジェクトの拠点を持とうということで、メインの通りに古民家を借りてミーティングするようになってから、ぐっとみんなが近くなりましたね。
このプロジェクトの目的のひとつは、新しい有田焼を開発し、世界で発信することだが、もうひとつは有田のまちを、ものづくりが主体のまちから、ひとが集まり、楽しみながら滞在するまちへと根底から変えていくことである。柳原さんは今、そのためのプラットフォームづくりをしていると思っている。借り受けた場所は「NEW ADDRESS」と名付けた。
——有田のまちは、あまりひとがいない状態です。メインの通りにある、僕らからするとすごくいいと思う建物もふだんは空き家です。NEW ADDRESS も、もとはそういう建物で。このままでは、まちがよくなっていかないと思って相談したら、まちのほうから貸してもいいと言ってくださる方を紹介してくれたんですね。
新しい価値観で、いいものをつくるだけじゃなくて、まちのことを考えたプロジェクトにしていきたい。まちのひとにとって当たり前のことが、僕らにはすごく面白い。そこのところをちゃんとアピールしていきたいな、と。
ものづくりに特化してきた有田は、ごはんの美味しい店も決して多くないし、宿泊施設もほとんどない。泊まるなら近隣の嬉野温泉や武雄温泉になるし、ごはんを食べるなら伊万里などに行くのが当たり前だ。つまり、有田を訪れたとしても、焼きもの巡り以外、現状ではすることがあまりないのである。
その状況を変えていく手始めが NEW ADDRESS であり、さらにはまちの施設で、由緒ある古民家「小路庵」を使わせてもらえることだった。そうして柳原さんは新しい「仕組み」を考え、その実現に向けて動いている。
——いろいろなひとに有田を知ってもらうきっかけをつくりたいから、国内からも海外のひとも来られるような仕組みを考えています。
たとえば産業振興だけ考えるとすると、ミラノサローネで展示したものを商品化するだけのほうが現実的じゃないですか。でも実際は、まちでこうやっていろいろなことが起きて、交流が生まれている。そのプロセスをみんなに知ってもらうことが大事だと思うんですね。だから今年はワークショップとか交流ができるようなイベントをしたいなと思っています。
柳原さんに、李参平が1616年に陶石を発見したという泉山に連れていってもらった。採石のために削り取られた山は、黄色い岩肌がむき出しになっていて、不思議な光景だ。有田焼がつくられてきた年月を感じさせる。
——まちなかにこういう風景が残っているんですね。もともと山だったのを400年かけて採って、みんな焼きものになったんです。磁器ってこういう石からつくられるんですね。
2016年には、ここで期間限定のレストランを開こうと思っているんですよ。無国籍的な、素晴らしい料理をつくるシェフを招いて。この景色を眺めながら、そういう食事をするっていいでしょ? そんなふうにまちを楽しめるプラットフォームづくりを今やっているところです。
節目としての2016/ project が終わった後も、まちのひとが主体となって有田を盛り立て、取り組みを継続的に進めていけば、観光や食事を楽しめ、滞在もできるまちとして、有田は変わっていけるだろう。プロジェクトを動かしたらそれで終わり、ではない。むしろ、その逆だ。それこそが柳原さんが考えているプラットフォームづくりであり、環境づくりなのである。