4)途絶えていたものを復活させる 「あぜ豆醤油」
まるやま組がここ数年力を入れて取り組んで来たのが、「あぜ豆醤油」づくりだ。
田んぼの畦(あぜ)で栽培した大豆で仕込んだ醤油が2年間の熟成を経て、今年初めに遂にできあがった。
——まるやま組を始めて間もなく、みんなでできることを持ち寄って考え、まずは荒れた田んぼと畦を借りて、豆を育てることになったんです。
春先の雪解けでくずれた畦を田んぼの泥で塗り固め、田植えが始まる。田植えが終わったら、畦に大豆や小豆を植え、家で使う一年分をまかなう。豆は、味噌、豆腐、醤油、納豆など、さまざまにかたちを変えてわたしたちの食卓を支えてくれる。昔は手があいているお年寄りや子どもの仕事だったそうだが、手がかかるため、あぜ豆づくりは今ではほとんどの農家でやらなくなってしまったそうだ。
かつては日本の農村風景にあったあぜ豆を、自分たちで復活させてみる。しかし、いざ始めてみると、自然の厳しさに苦難の連続だった。豆が根を張れば畦が補強される。植物の生育に欠かせない窒素を固定するマメ科の植物の働きは稲にも良い。虫もつきにくい。あぜ豆づくりは理に適っているが、機械が入れられない畦は草刈りが大仕事だ。能登のおばあちゃんから種を譲り受けた、在来種の青大豆は甘くておいしい。けれど晩生(おくて)ゆえ、収穫できるのは冬が迫る寒い時期。株ごと抜き取って藁でくくり、稲架(はざ)に掛ける。手間がかかる作業のうえ、急いで乾燥させねばならない。
最初の年は、育ち始めた苗がネキリムシと呼ばれる、タマヤナガの幼虫に茎をかみ切られ、全滅寸前にもなった。害虫除けのニンニクスプレーでは太刀打ちできず、根元を探して捕まえても埒(らち)があかない。参っていたとき、ひとりのおばあちゃんから知恵を授かる。ネキリムシの被害が出るのと同じ時期にむけて落ちる竹の皮を苗の茎に巻き付ける。そうすればかみ切られない。
——インターネットで検索するよりもずっと速くて確かで頼りになる。土地に根ざしたひとたちに聞けるありがたみと、継承していく大事さをあらためて感じました。
あぜ豆づくりを始めた2年目に、収穫した豆を使い、輪島市内の谷川醸造で「あぜ豆醤油」づくりがスタート。谷川醸造は明治38(1905)年創業、地元では「サクラ醤油」でおなじみだ。醤油づくりの要であるもろみづくりは、95年から中断されていたが、若き4代目の谷川貴昭さんが2011年から昔ながらの醤油づくりを復活させた。まるやま組には奥さんや子どもたちと一緒に家族で参加し、あぜ豆醤油づくりをサポートしている。「大豆づくりはこれが初めてだったので、経験できてよかったです。これだけの場所で手をかけてつくっても、収穫できるのはこれだけなんだとか、あらためて知ることがたくさんありましたね」(谷川さん)。
まるやま組のみんなで仕込み、熟成されること2年。待ちに待った完成は、樽からごはん茶碗に直に醤油を注ぎ、卵かけごはんにしてみんなで祝った。いったん途絶えたものは、簡単には復活させられない。すべてをなくしてしまってからではなおのこと、至難の技となる。かけた時間と手間を思えば、収益を上げるにはほど遠いけれど、まるやま組にとってこれは「今やるべきこと」なのだ。