7)終わりに 時代を超えて育まれる「日用品のまち」の営み
6月。鳥越祭の日、再び蔵前を訪れた。お囃子の音があちらこちらから聞こえ、鳥越神社の周りを屋台が囲んでいる。モノマチのときとはまた違った、江戸の情緒が感じられた。
小雨降るなか、御神輿を探して路地を曲がる。小路の両脇にひしめく家々は窓を大きく開いている。どの家もごちそうの並んだ食卓を囲んで、よく似た顔をした親戚や家族が集まり、奥にある仏壇も両の扉が開け放たれている。
やがて太鼓の音が近づいてきて、御神輿が路地を曲がって姿を現した。担ぎ手のなかに、モノマチで出会った若い作り手の顔も、職人の顔も見える。
家の中からも大きな拍手がわく。御神輿を見せようと、家族の遺影を往来にかざしているひともいた。
「おりゃ、おりゃ」「わっしょい、わっしょい」
威勢のよいかけ声が響く。雨に濡れるのも厭わず、担ぎ手は次々と変わりながら、心を重ねて御神輿を担ぐ。
ものづくりも同じかもしれない。誰かの求めるものを、縁あって出会ったひとたちが心を重ねてかたちにしていく。家のなかから御神輿を見つめるひとたちもその担い手であり、遺影のなかでほほえむひとたちも、かつてはそのものづくりを支えてきたのだ。
デザビレ村長の鈴木さんは、「東日本大震災以降、ものを買うより、つくるほうに関心を向けるひとが増えてきたような気がする」と言う。
———あの頃から、編集型のセレクトショップを見るより、つくっている現場を見て、作り手とやりとりしたほうが面白いんじゃないか、というひとが増えた気がするのです。もっといえば、自分もつくっている現場にいきたいという……。このまちが注目されるようになったのは、そうした機運がまちの特徴とぴったり合ったからなのかもしれない。
戦禍や震災に見舞われながらも、それをバネとして、日用品を自分たちの手でつくり出すようになった蔵前界隈。
そして今再び、このまちに縁あって集まったひとたちは、生活に必要なものを見極め、自らの手で生み出そうとしている。わたしたちのさもない日常に、ささやかな希望を与えるために。
たまたま同じ町内に暮らすことになったひとたちが世代を超えてひとつの御神輿を担ぐ地縁と、ものづくりをきっかけに新たに生まれたつながり。いくつものひとの縁が、このまちに息を吹き込んでいるのだ。
このまちはどこへ向かうのだろうか。
わたしたちはなにを求めてすすんでいくのだろうか。
御神輿の一群は雨にぬれながら、素晴らしい速度でみるみるうちに通り過ぎてしまう。
ものづくりのまちで暮らすことを選び取ったひとびとは、それぞれ独自の形でまちに愛着をもっている。その幅広さが、このまちの懐深さでもあり、この土地の魅力にもなっている。後編にあたる次回は、この地に暮らすクリエイターや職人たちのものづくり、まちづくりを追ってみたい。