5)ものも作り手も、それを支える職人にも光を当てる
鈴木さんが「モノマチ」を企画した目的はもうひとつあった。
———職人や問屋といった、ものづくりの一端を担う地元の人々に光を当てたかったんです。ここは昔からものづくりのまちではありますが、誰も情報発信をしない。下請けのまちなので、基本的には情報発信をしてはいけないんですね。中間工程の職人さんだから、表に出ることはなく、低賃金でもこつこつと仕事に打ち込んでいる。このひとたちに脚光を浴びてもらいたかった。
しかし、これは簡単なことではなかった。
———職人さんというのは、表に出るのを嫌がるひとも多いんですね。誘ってもなかなかうんと言わないんです。
うちには見せるものがない、面倒くさいなどと参加をしぶる職人のもとに、町内のひとと何度も何度も誘いに行く。「年寄りが言って聞かないなら……」と、今度はデザビレ卒業のクリエイターたちがお願いに行く。こうしてなんとか参加を了承してくれた職人に、ワークショップの講師や工場公開をお願いした。
———そうしたら今度は、職人さんの考えが変わったんです。自分の仕事場にお客さんが大勢来てくれて、自分のつくったものを見てすごく喜んでくれるでしょう。ふだんはメーカーに頼まれて、誰の手に渡るかも知ることなく製品をつくっていた職人たちが、ここで初めて自分の仕事がひとに求められていることを実感するわけです。打ち上げのときなんか大喜びでね。「とてもよかったから次は一緒にやろうよ」といって、仲間を誘い始めたんです。
メーカーや問屋には、ふだんつくっている製品を展示販売してもらった。
———通常、メーカーや問屋からものが出荷されるときって、段ボールに入っているでしょう。だから地元のひとも何をつくっている会社なのかわからない。モノマチのときは、その段ボールを開けてもらって、中身を社長が直接売る。第1回に社長が売ったら、2回目からは娘さんが売ってくれたという会社もありました。お父さんが、親のつくったものを娘が売ったといって、とても喜んでいました。
誰かの求めに応えるために、手を動かし、汗を流す。その営みが喜びであり、誇りにつながる。モノマチはこの喜びを、クリエイターのみならず、メーカーや職人といったものづくりに携わるすべての人たちに再確認させるきっかけとなったのだった。
第2回モノマチは半年後、デザビレと佐竹商店街で開催。第3回はスカイツリーの開業した年におこなわれた。このときは「まちの中央だけでなく、まちの東端と西端に会場をつくって、お客さんに町なかを歩いてもらおう」と、JR高架下から隅田川沿いまで開催地域を広げ、メーカーや職人工房など、地元の参加企業や店舗も120組に増えた。翌年の第4回には参加店が倍増して257組、クリエイターもデザビレ関係者にとどまらず100組を越え、合計400名に。ミニバスも走らせての大盛況だった。
「参加者を公募せず、口コミで仲間を集めてきたのがよかったのでしょうね。大事業にもならないし、予算もついていない、それでもまちを盛り上げたいというひとたちが、業界や世代を超えて自然と集まり、盛り上げていったんです」と鈴木さんは振り返る。
———モノマチを始めてみてわかったのは、この土地には「まちのために何かしたい」というひとが昔からずっと潜在的にいたんだということでした。
デザビレの一期生で、蔵前に革小物のアトリエ「m+(エムピウ)」を構えている村上雄一郎さんは、モノマチの1回目から4回目まで事務局運営の手伝いをしていた。関わってみて実感したことがある。それはこのまちの気風だ。
———このあたりのひとたちって、「やるとなったら最後まで」って気持ちが強いんですよね。余力を残すことがない。たとえば、ガイドブックの編纂は手がかかりすぎるから、今年はウェブだけにしよう、という話になったんですけれど、直前になって「やっぱりつくろう」となった。でも、本業もあるなか、急につくらなくちゃいけなくなって大変だろうに、文句を言うこともなく、むしろ積極的なんですよ。「ウェブを見られないひともいるし、せっかく企画したイベントが知られずに終わるのはかわいそうだもんね」って。そこらへんが下町のひとなんですよね。
鈴木さんの手元に、打ち上げの写真がある。写真からはみ出すほど大勢集まった人々が、カメラに向かってポーズをとっている。デザイナーもいればショップのスタッフもいる、職人もいる、メーカーの社員もいる。全員がおしあいへしあいしながら嬉しそうに笑っているのだ。