アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#57
2018.02

これまでと、これからと その1

2-2)「何もつくらない」こと、「つくりなおす」こと
(幸せに生活するためのデザイン 雲仙小浜から #40#41

長崎県雲仙市小浜に拠点を置く、デザイナーでアートディレクターの城谷耕生さん。イタリアに渡ってデザインの仕事を手がけたのち、生まれ育った小浜に事務所を開いた。社会におけるひととものづくりのありかたを考えながら、地域に根ざした伝統や風土をとらえなおすなかで、社会的に必要なものや場を生み出し、あるいはつくり直している。
城谷さんが目指すのは、グローバルな活動や、地方と都市をつなげることではない。むしろその逆で、長崎や佐賀など、自身の住まう地域を中心に、伝統工芸を捉え直したり、地域をリデザインするなど、地域とかかわり、ものづくりが循環させる役割を果たしている。そして、その試みは「ひとの役に立ちたい」という思いから育まれ、住民が「幸せに生活する」ために続けられている。
小浜に戻ってきてからは、イタリアで培った「デザインを幅広く捉える」教育を実践し、具体的には、職人の育成を考えて、佐賀大学が提案した「ひと・もの作り唐津プロジェクト」(2008年〜2012年)において、唐津の若い陶芸家を育てるために、焼きもの以外のさまさまな道具の歴史を学んだり、木工や竹細工など、他分野の職人を招いて話を聞く。大きな影響を受けたイタリアのデザイナー、エンツォ・マーリたちがイタリアで実践していたように、ものづくりを大きなところから眺めて、なぜ、何のためにつくるのかをあらためて考えるものだった。さらには農業を通した唐津についてのリサーチをおこない、器にのせる料理を知り、料理の素材を知り、素材をつくる農業のありようを知る。その上でようやく器づくりが始まるのである。
陶芸家の卵たちはこうして、自分たちのつくるものがどこに由来し、どのように使われるかを多様に知ることで、陶芸作家の作品ではなく、使い勝手のよい道具を考えられるようになる。イタリア式の、職人につくる喜びやつくる意味をもたらす「教育」だった。

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大分県別府の竹職人のグループ「BAICA(バイカ)」と共同でつくられた最初のプロダクト「Tenta」。ワークショップではこの玩具を使い、日本の自然環境にとってどれほど竹が大切なのかも伝えた

そのうえで、つくり手が食べていけるしくみも考える。イタリアのアグリツーリズモ(農家が営む宿泊施設)のように、たとえば陶芸家がつくった野菜を陶芸家がつくった器で、陶芸家の家で食べて、実際に轆轤もひいて、というような教育施設的な民泊。作家はたくさん売ることで陶芸家の活動を継続するのではなく、焼きものの収入は減るけれど、陶芸は続けられるというしくみだ。城谷さんの発想は、これまでのやりかたを根本から変え、新たなしくみをつくり、循環させるというものだ。金額や数は減っても、気持ち良くやり続けられることこそが、一番大切なのではないか。そのためのアイデアを温めている。

Quartettoに料理を盛る。取り分け用の皿もCoccioのもの / CoccioシリーズはMUJIキャナルシティ博多で展示販売が行われた(2012年10月)。それに伴いアイテムを増やした

イタリア語で「ふだん使いの器」という意味を持つ「Coccio」シリーズ。九州大学の池田研究室、福岡県東峰村の小石原焼の窯元3軒と共同して、地域と器の関係を丹念にリサーチし、ディスカッションを重ねたうえでできあがった

また、地元・雲仙小浜で立ち上げた「北刈水エコヴィレッジ構想」は、地域の伝統工芸をとらえなおし、ものづくりをするという取り組みを発展させて、まちそのものをデザインするものだ。過疎が進み、空き家が目立つ刈水地区で、地域をデザインし直すことで活性化を図ったのである。
これまでのプロジェクトと決定的に違っているのは「新たにものをつくらない」ことだろう。元のつくりを最大限生かして、できるだけ自分たちの手で改装する。それも「デザイナーだからできる」改装ではなく、空き家を有効利用したいひとのモデルケースとなれるように、どこでも手に入る素材を使うなどして進めたのだった。
そこで城谷さんが実感したのは「何もつくらない」ことの意味と、デザイナーのスキルの活かし方である。建物の修復に、パンフレットのデザイン。室内のディスプレイや家具のコーディネート、器のコーディネートなど、自分たちデザイナーにできることはたくさんある。お金もかからないし、必要なければ、ものはつくらなくてもいい。今あるものを工夫して活用するなかでも、経済活動は生まれる。たとえば、修復は「つくりなおす」ことでもある。伝統を受け継ぐものづくりのこれからは、新しくつくることだけではない。循環させるしくみを考え、工夫をしていくなかで、次につなげる何かが生み出されていくのではないだろうか。
今の言葉でいうと、城谷さんが行っていることは「ソーシャルデザイン」に他ならない。ただし、ソーシャルデザインが日本で流行するよりずっと以前から、一貫して手がけてきている。できるだけ小浜を出ず、近しい地域で仕事をする「地方発・地方着」のライフスタイルが城谷さんの理想である。

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城谷さんの事務所とショップ兼カフェ、ギャラリーの「刈水庵」。ショップ内には城谷さんが世界各地で見つけたプロダクトや、自身がプロデュースした商品が心地よく並ぶ

「北刈水エコヴィレッジ構想」の第1号として改装された築80年の家は、城谷さんの事務所とショップ兼カフェ、ギャラリーの「刈水庵」となった。ショップ内には城谷さんが世界各地で見つけたプロダクトや、自身がプロデュースした商品が並ぶ

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城谷耕生さん