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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#151
2025.12

41年目の東川町 文化のまちづくりを俯瞰する

1 「写真の町」宣言がもたらしたもの 北海道・東川町

北海道のほぼ中央、旭川市の隣に位置する人口約8700人の町――東川町。人口減少が進む時代にあって、「移住者に選ばれる町」として人口を増やし、いまや全国から注目を集めている。
町が理想とするのは、過密でも過疎でもない“適疎”というあり方。景観条例に基づく宅地造成、ふるさと納税を活用した「株主制度」、日本初の町立日本語学校の開設など、交流や定住を増やすための独創的な取り組みが次々と形になり、地方創生の成功例として語られることも多い。

しかし、そのわかりやすい“成果”の根幹に、「写真の町づくり」という文化のまちづくりがあることは正当に評価されているとは言い難い。

東川町は、1985年に「写真の町」を宣言してから、今年で40周年を迎える。30年を迎えた2014年には写真文化と世界の人々をつなぐ役割を担うことを決意した「写真文化首都」を宣言する一方、写真にとどまらない文化を育てる町へと歩みを広げた。近年は、世界的な椅子コレクター・織田憲嗣氏が集めた「織田コレクション」のうち、1300点以上におよぶ椅子などの公有化や、建築家・隈研吾氏と協働したデザインコンテスト「KAGUデザインコンペ」の開催など、旭川家具の主産地として家具デザイン文化の振興にも力を注いでいる。

東川町は、宣言の多い町である。先ほど挙げた2つの宣言のほかにも、多様な価値観や存在を認め合う「『共に』宣言」(2020年)、2050年の脱炭素社会を見据えた「ゼロカーボンに取り組む適疎な町宣言」(2022年)と、宣言を重ねながら、町の方向性を自らの言葉で示してきた。
だが、宣言をしたからといって、その町がすぐに形を成すわけではない。どのようにして「写真の町」に“成っていった”のか――その営みにこそ、文化によるまちづくりの本質が宿っているのではないだろうか。

2016年に書籍『東川スタイル』の編集でこの町と出会い、以来たびたび訪れてきた筆者が、改めてその「成り方」を関係者からたどる。今号ではまず、「写真の町」の始まりをひもといてみたい。

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