4)島暮らしは楽ではない。だからこそ何でもできたほうがいい
農事組合法人サンライズうづか 向山剛之さん
向山さんは、1947年に海士町で生まれ、この地で40年以上にわたって農業に従事してきた。2000年には、「農事組合法人サンライズうづか」を設立し、そのころからアイガモを使った無農薬農法によるコメづくりを行っている。このお米こそ、阿部さんが新たな販路開拓に取り組んでいるアイガモコシヒカリなのである。巡の環が主催する学びの場「五感塾」の講師も行うなど、海士町について、農業について、地元の人間の立場から積極的に伝えようと動き回っている方でもある。
阿部さんは、向山さんについてこんなことを言っていた。
———最近僕の話題が出たら、向山さんはこんなことばっかり言うんです。「お前はいつ出ていくかわからん。はよ結婚せえ。相手はわしが連れてくるし、家も用意する。今なら夜逃げもできるだろ。でも、嫁と子どもがおったらそうはいかん」と(笑)。
そんな話からいろいろと想像を膨らませながら会った向山さんは、大きな声でニコニコ笑いながらなんでも率直に話してくださった。しかしその快活なようすとは裏腹に、海士町の現状について発する言葉は、ひとつひとつ厳しかった。
———海士町には確かにひとが増えました。I ターンのひとが相当いる。でも、安定してここに残るというひとはまだ少ない。そこが課題かなと思っています。また、I ターンのひとは、机に座ってパソコンを叩くような仕事はするけど、農業や漁業のような泥臭いところに入ろうというひとがなかなかいない。それではいくらひとが増えてもまちはどうにもならないんです。
現実として、I ターンのひと自身も農業や漁業をやらなければ、この島には暮らしていけないと向山さんは言う。
——— I ターンのひとたちは、役場の臨時職員などの仕事で短期的に働くことはできるとしても、それだけでずっと生活していくのは難しい。ここの島で本当に生活しようと思ったら、勤めた上に百姓や漁師もやったりしないと生活できない。だからきれいな仕事だけで生きていこうとしたら、いずれ生活でつまずくし、きっとみな島を離れていくことになるよ。
そうした言葉の裏には、向山さん自身の実感がある。
向山さんは、この島で生きていく大変さを自らの経験として知っている。仕事がないなか、あらゆることをやりながら必死に子どもを育ててきた。地元のひとはみな同様な経験をしている。子どもたちもみな親の苦労を見てきている。だから島で生活する難しさを知っている。それゆえみな都会に出る。向山さんは島に残った数少ないひとりであり、そうした少数のひとたちがなんとかこの島を支えてきたという状況なのだと、向山さんは話してくれた。
だからこそ向山さんは、Iターンのひとたちに対して、なぜ大学も出て都会で仕事に就けるひとがわざわざこんなところにやってくるのか、本当に不思議でならないという気持ちがある。そういうひとたちがこんな場所で農業などやるわけがないという気持ちもあるのだろう。
仕事がなく生活が厳しいだけでなく、そもそもここで農業をやっていくこと自体も容易ではないという。たとえば、農業だけで食べるのはまず難しい。米であれば安定的に生産でき農協がすべて買い取ってはくれるものの、ものすごく価格が安い。また、野菜は商売すること自体が難しいという。
———野菜については、このへんの家ではみな個々に畑を持っていて、自分の分ぐらいは自分でつくるから買うひとがあまりいない。だから野菜の市場がない。じゃあ島の外に売ろうったって、輸送費がかかるし、野菜は鮮度もあるからね。商売にならない。そこを県なり、まちなりが助成するといっても、やるひとがいるかといったらそれも難しい。若いひとはやらないし、今やっている人間はどんどん高齢化していくからね。
農業の先行きは見えない。外からひとがやって来ても、根本は何も変わらない。ただそのように話しながらも、向山さんの言葉には、外からやってくる若者たちへの愛情が感じられた。
たとえば阿部さんについてはこう言った。「裸一貫で島に来て、従業員を6、7人も雇っていままでやってきていることに対してはすごいなっていう気持ちはある。でもそれがいつまで続くだろうかという気もしている」。
大学を出て都会で働いていたひとが、なぜこんなところに来たのかはわからない。でもずっといてほしい。そういう思いがあるために、会う度に「はよ結婚せえ」と言うのだろう。その言葉には、親が子に対するような優しさや思いがこもっているように聞こえる。と同時に、外から来た若い世代に、島を担ってもらいたいという強い思いを感じるのだ。
——— I ターンのひとたちは、地元のことをまだまだ理解してないと感じます。我々がどうやってここまできたのか。それを理解してもらえれば、島がどうやって成り立ってきたかがわかるはずです。そうしたら後継者ができるかな……。
過剰な期待はしないものの、来てくれることは純粋にうれしい。そして、できればもっと島の農業や漁業の実情を理解してもらって、そのなかから後継者が現れてほしいという気持ちがある。しかし、厳しい現実を理解しているからこそ、島暮らしにただ夢を抱かせるようなことは決して言わないのだろう。
島でずっと生きてきた地元のひとだからこその、島への深い思いと現実へのまなざし。本音を熱心に語ってくれる姿を見ながら、向山さんもまた、島の再起をとても強く願うひとりであることが伝わってきた。