3)わからないことをわかって、共存する
登るにつれ、山は鬱蒼としていく。木々が高くそびえて、陽があまり射し込まない。それには、50年ほど前に、大量に植樹されたヒノキや杉が、手入れされないまま放置されていることも大きな要因となっている。瀬戸さんが木々を見あげる。
———暗い森って、見あげることが多いなと思っていて。目線の高さに木がないんです。
前にも西野くんと話をしていたんですけど、ヒノキを植えるっていうのはそのときのベストチョイスだったんですよね。手に入る材ということで、材の価値としてもこの斜面だけで充分経済的にペイするはずだった。時代の流れとともに経済的な価値が失われ、誰も手をいれなくなってしまった。そして木が混み合いすぎて絡み合い、間伐をすることさえできなくなった。
日本では、こういう森では安全も含めて「皆伐(かいばつ)」が当然になってしまうんですよ。下から順番にバッサバッサ切って、一気にハゲ山にしてしまう。そうすると、土自体も赤ちゃんの肌みたいなデリケートな状態なわけですよね。一気に太陽が注いで、ハードな状況にも耐えられる植物しか生えてこなくなる。だから、本来、切っては植え、切っては植えっていう段取りがある程度ないと山の更新っていうのは難しいんです。少なくとも、10年とか15年ぐらいでプランを立てていく必要がある。そうすることでよい山ができてくるんですけれども。今の時代だとなかなかそこまで待ってもらえない。かかわりながら、その時間を待つしくみを考えていく必要がある。
今度は斜面を見おろしながら、水の道をみていく。
———ここ、木の根元のところが大雨で新しく崩れたんですね。先にも言いましたけど、水が流れること自体が問題ではなくて、大事なのはゆっくり流れること。そうすると、石とか葉っぱが堆積して、土が流れ出ない。そして、水が流れても植物がいられる、というのがその山にあった適度なスピードです。これは山によって絶対に違う。だから山のことをよく観察することが大切なんです。こういう流れ方だったら自分たちは崩れないよっていうのを教えてくれる。
人が歩く自然道、イノシシが歩く獣道、いっぱいありますけど、全部水の通り道になるんですよね。イノシシの獣道を歩いてみると、中心のところだけカッチカチなんですよ。同じところを何回も歩くので、だんだん水が入らなくなっていくのですが、彼らの道は細いので。そして歩いていくあいだに、エサを探してあちらこちらをゴソゴソ掘っていくから、水が溜まるようなダムができる。自然と段々畑ができているような感じだから、水もそこをゆっくり流れていくことができる。しかし、僕ら人間は一様に歩いていってしまうので、道の幅全部が硬くなり、水が速く流れる道になってしまう。人が歩きやすいだけの道っていうのは、山にとってはあまりよろしくない。
たとえ木の根っこひとつでも、山の現状や根本的な問題を知る立派な手がかりなのだ。瀬戸さんと歩いていると、みえるものの解像度が上がってくるような感覚をおぼえる。
一方、西野さんは生えている植物の生態を微細にみながら、その「わからなさ」を浮かび上がらせていく。
———これは在来のコショウです。フウトウカズラといって、もう少し熟してくると赤くなってくる。もうコショウの味になっています。まさしく常緑の森のなかで出てくるタイプですね。フウトウカズラは蔓(つる)植物です。蔓は環境を選択してどこを登るか選んでいるはずです。なぜここではこっち側に蔓が多いのか。太陽が当たるから? 向こうのフウトウカズラは斜面の逆側についている、とか、わからないことがたくさんある。自然っていうのは毎秒が実験なんですね。
自然は100%わかるなんてことはないです。まだ1%しか理解できていないっていう感覚でみながら歩いていくと、本当に奥深くて面白い。その自然と共存するっていうのがどれだけ大事で大変か。さらに今は共栄もしようというところに立ってきているので、そういうところも感じながら自然をみてみると面白いかなと思いますね。
瀬戸さんも同意して、「僕ら(研究者)はやればやるだけ、わからなくなるんですよ」という。わからないことをわかって、共存共栄する。人間関係と同じだとは思うが、それは具体的にどうしたら可能なのだろうか。