アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#103
2021.12

森づくりとともに 飛生芸術祭という夢を重ねる

2 「境界」を体感し、超えていくこと 北海道・白老町
2)まっすぐな道からはみ出してみる

話が脱線したが、飛生芸術祭メンバーたちの活動は、しだいに拠点とする土地が持つ記憶の再発見を伴うようになり、地域と向き合う方向へと深化していく。

先ほど触れた、数万年前の火山活動によって生まれた奇景のある一帯は、かつて「アヨロ」と呼ばれた登別と白老の境界域と重なるという。そこで行われているフィールドワークが、2015年に始まった「アヨロラボラトリー」の活動。飛生アートコミュニティー代表の国松希根太さんが、国立アイヌ民族博物館に勤め、文筆活動を行う立石信一さんと2人で取り組むアートプロジェクトだ。自分たちの足で土地を歩き、土地の人に話を訊きながら、「もうひとつの風景」を探る取り組みだという。

例えば、2015〜2016年に行われたフィールドワークでは、アフンルパルの謎を追っている。登別とむかわに住む古老を訪ね、両地にあるアフンルパルの共通点などについて思考を巡らせる。そのなかで、かつて東にあるむかわの海岸の砂利が、台風によって、西の登別まで流されることがあった、という話を耳にする。約70km離れた2つの地域を結ぶ海のつながりに、アフンルパルを海底トンネルに見立て、想像を巡らせているのが面白い。

活動をまとめた冊子「アヨロ通信 1号」に、立石さんがこう書いている。

ひっそりとではあれ、大地の記憶は生き続けている。人の記憶だって消え去るはずがない。そんな記憶と交歓するためには、整備された平でまっすぐな道から一歩はみ出してみる必要がある。そうすれば、そこにはきっともうひとつの風景が広がっている

国松さんは、アヨロラボラトリーを始めた経緯をこう語る。

———もとは作品づくりのインプットのために始めました。制作しているときはアウトプットの作業ばかりで、インプットとのバランスをとりたくて。自然とか歴史は、当初は目を向けていなかったんですけど、住んでいるうちに興味が出てきて、アトリエ周辺を散策するようになりました。この土地の歴史や地理に詳しい立石くんと歩きながら話していると、いろいろなアイデアや発想などが思い浮かぶのが面白くて、プロジェクトにしていきました。

アヨロラボラトリーの活動は、「とにかく歩くこと」だと国松さんは言う。

———川をずっと遡って、どこから水が湧き出ているのかを探しに行ったり、船に乗って海岸の地形を見てみたり。その時々で目指すものは違いますが、歩いていると必ず発見がある。温泉が湧く地面を歩いていると、足からエネルギーが伝わってきたり、行ったことがある場所でも、アイヌの人がつけた地名をイメージしながら見ると違って見えてきたりするんです。それを僕はときに作品として、立石くんは文章で表現しています。

この活動には、冒険家で、写真家の石川直樹さんも参加し、複数回にわたり共同でフィールドワークを行っている。2017年に札幌国際芸術祭(SIAF2017)で開催された石川直樹展「New Map for Northでは、共同展示も行われた。その年のフィールドワークでは、飛生から登別温泉まで1泊2日で冬の道なき道を歩いて向かい、全面が凍った倶多楽湖の上を3人で踏破している。昔は人が歩いていた「道」だというが、湖面の直径はなんと3kmもある。

———湖も凍れば道になると、3月にその上を歩いたんです。石川くんも、飛生に来たときに一緒に歩いたりしていて、その時も3人で行きました。彼はヒマラヤとか世界の最高峰を登っていますけど、湖に向かう崖を登るとき、「本当にここを行くの?」と驚いていました。ぼくたちのほうが平然と進もうとしていて。無茶でしたかね(笑)。

視点を変えれば、身近な地域がいつもと違って見えてくる。なかなか真似はできない行動力だが、そこからいつもとは違うわくわくするような新しい景色がひらかれていくのだろう。国松さんたちらしさが伝わるエピソードでもある。

飛生芸術祭にかかわる参加アーティストたちも、こうした国松さんたちの活動にも触発されつつ、滞在制作やリサーチのなかで、地域へと深く根を下ろし、関心を広げていく。

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国松希根太さん 。下は 国松さんの作品《WORMHOLE》/ アヨロラボラトリーの展示「lab in the forest vol.3」。今年は過去の活動のアーカイブとともに振り返る内容となっていた / 展示会場は、かつての教員住宅を使っている