1)「アフンルパル」—あの世とこの世の境界域
今号は、「アフンルパル」と呼ばれる、あの世とこの世の境界域の話から始めよう。
飛生芸術祭の会場から西の登別方面へ約15km。登別漁港の東側に、アフンルパルと呼ばれる断崖にあいた横穴がある。私は、2010年前後に芸術祭の立ち上げメンバーの友人に案内され、そこを訪れたことがある。奥行き3、4メートルほどの小さな洞窟を前にして、友人は「ここは、アイヌの人たちにとって、あの世とこの世の境界にある場所だと考えられていた」と説明した。
地名の由来を解説する掲示板には、アフンルパルは、アイヌ語で「入り口」や「あの世への入り口」を意味し、「アイヌ文化では、何かあるといけないという理由で、普段は近づいてはいけない場所」とされていたと書いてあった。この世の人が、あの世の人に会いにいく伝承も残るという。
10年前は、アイヌの精神性が感じられる遺跡というくらいの認識しか持たなかったが、改めて眺めてみると、その姿は明らかに「奇岩」である。火山活動でできた、鈍い灰色をした岩の断崖が砂浜にむき出しでそそり立ち、その丘の上部だけが帽子を被ったように背丈の低い草木で覆われている。断崖には縦の亀裂がいくつも入っていて、それだけでも奇岩の趣なのだが、アフンルパルがある部分は横に亀裂が走り、どのように欠落したのか、そこだけ大きな穴が空いている。
神の仕業と、昔の人は考えただろうか。アフンルパルの丘の上は、「カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)」と呼ばれ、野鳥や虫たちが草木のあいだを踊る。また、ほど近くに、すり鉢状のまるい入江がある。そこはアイヌの英雄神オキクルミが尻餅をついてできた場所として「オソロコッ」と名付けられたという。
少し足を伸ばすだけでも、アイヌの神話にまつわる伝承がいくつも転がっている。土地の物語を知ると、その土地の見え方が少し親密なものになってくる。
私たちは、近くを流れるポンアヨロ川の源流をたどるように、登別方面へと向かってみた。すると、10kmほど離れた山のなかに、倶多楽(くったら)湖が現れる。この湖は、火山活動でできたカルデラ湖。形がほぼ正円で、流入する川も、流出する川もない。やはり、一見「ありえない」形状をしている。そして、さらに山道を奥へ進むと、有名な地獄谷温泉があるのだが、それは、まさにその名の通り、鬼もいそうな地獄の風情なのである。
つまり、この飛生に近接するエリア一帯は、全体として、火山活動にともなう奇景が広がり、日常と非日常を結ぶ「境界性」に富んでいる。神話や伝承を生む、地形や地理的な豊かさがあるのだろう。私たちが足を運んだ場所はごく一部に過ぎないが、こうした豊かな物語の源泉からこんこんと湧き出た水が、飛生芸術祭にも流れこんでいる。それゆえ、想像と現実の世界を行き交う飛生の黒い鳥の物語もリアリティを持ってイマジネーションやインスピレーションをもたらすのだろう。
私を、アフンルパルに案内してくれた友は、この世にもういない。
私は、その友が確かにこの世にいたことを書き残すために、飛生芸術祭の取材を始めたのだが、こうしてたびたびこの土地を訪れることになるのは、自分の意思よりも、あの世からの導きのように思えてくることがある。それが、この土地が持つ引力とも重なるようにも感じている。