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アネモメトリ -風の手帖-

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#156

仁和寺の御室桜
― 石神裕之

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(2016.03.27公開)

見わたせば柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける

素性(そせい)法師の歌にあるように、「都」の春はまさに「錦織物」ように美しい。かつて「錦」と言えば、紅葉を譬える代名詞であったものを、素性は「柳」と「桜」で彩られた「都」こそ「錦」であるとした。この着想が『古今和歌集』に撰ばれた理由ともいわれる。
桜を山野ではなく、都市に咲く花として捉えたことは、日本人と桜との新たな関わり方を垣間見せるものとして興味深い。

花見の習俗は江戸時代以降に庶民に広がったとされる。洛中洛外を問わず、桜の名所では、桜を愛でる人々でにぎわいを見せた。俳諧師でもあった秋里籬島が著した『都名所図会』(安永9[1780]年刊行)の「御室仁和寺」の項には、以下のような一文がある。

それ当山は佳境にして、むかしより桜多し。山嶽近ければ常に嵐はげしく、枝葉もまれて樹高からず、屈曲ためたるが如し。弥生の御影供は猶更、花の盛りには都鄙の貴賎春の錦を争ひ、幕引きはへ、虞松が酒に伏し、李白が恨みらくは長縄を以て西飛の白日を繋ぐ事を得んとは。春色の風客花にめでて、日を惜しむと同じ論なり。
※竹内俊則校注『都名所図会〈角川文庫〉』(角川書店、1968年)下巻より引用

文中に「春の錦」の語が現れるが、都第一の桜の景勝地こそ御室仁和寺であったことをまさに示していよう。ちなみに「弥生の御影供」とは、弘法大師空海の入定日(忌日)とされる旧暦3月21日に行われる供養を指しており、そうした行事があるように仁和寺は真言宗の寺院である。
そもそも仁和寺は光孝天皇(830〜87)の発願により造営が始められたもので、息子の宇多天皇(867〜931)によって仁和4(888)年8月、金堂の落慶供養が行われ、ようやく完成をみた。
その後、宇多天皇は譲位し、昌泰2(899)年に当寺において出家。延喜4(904)年には、寺内に御室(おむろ・御座所)を営む。「室」とは僧房のことであり、法皇が御座する室であることから「御室」とよばれた。皇族が代々の門跡(住職)を務めたことから、仁和寺門跡あるいは御室御所ともよばれ、高い格式を保ったものの、応仁の乱によって一山がほぼ焼失し、衰退する。
そして寛永11(1634)年、上洛していた徳川家光に再興を申し入れたところ、御所の造替とも重なり、紫宸殿(金堂)、清涼殿の一部(御影堂)など多くの建造物が下賜されて、正保3(1646)年に伽藍の再建がなった。桜の名所として記録が現れるのも江戸時代以降のことであり、この再建によって、桜が整備されたと考えられている。寺院の経営として、人々を引き寄せる意図があったのかもしれない。

さて仁和寺の桜は、「御室有明(おむろありあけ)」と呼ばれる種類の桜である。大正13(1924)年には国指定の「名勝」となっている。現在200本以上の御室桜が境内に存在しているが、その多くは人の背丈ほどの低木で、間近に花を見ることができる。また4月半ばに盛りを迎えることから、遅咲きの桜としても知られている。
掲出の『都名所図会』でも、「山嶽近ければ常に嵐はげしく、枝葉もまれて樹高からず、屈曲ためたるが如し」とあるように、当時は風によって枝葉が揉まれて樹高が低いと考えられていた。近代以降は地下の岩盤が影響して根が深く張らず、それが低木の理由とも言われたが、確かなことは分かっていない謎の桜でもある。
近年、この御室桜の多くが老齢化し、本来は八重のはずの花が一重のものが増えるなど、将来への継承が危ぶまれるようになってきた。そこで2007年より「御室桜研究プロジェクト」が仁和寺と住友林業グループを中心に発足し、後代稚樹の育成や低木の理由などを研究する試みがおこなわれている。
※http://sfc.jp/information/news/2014/2014-04-11si.html

従来の苗木づくりは、萌芽枝(ほうがし)とよばれる株の根元から出る小枝のなかから、発根した枝を選別し、株分けする方法を採っていたが、御室桜は繊細なため、萌芽枝が先祖帰りをして花が八重から一重になることが多かったという。そこで、組織培養の手法である「茎頂(けいちょう)培養法」とよばれる、芽の分裂組織である「茎頂」を顕微鏡で観察、摘出し培養する方法を採用した。いわゆる最新のクローン技術である。
2012年2月には、苗木第1号を境内の植栽。ついに2014年4月11日、八重の花が1輪開花し、新聞やテレビなど多くのメディアでも話題となった。ちなみに板敷きの歩道を有名な五重塔に向かって歩き、桜園の出口に近い右脇に植えられたやや小ぶりの桜が、そのクローン桜である。

まさに西方に傾く日を引き止めたくなるほど美しい桜の園。いまは一献傾けてというわけにはいかないが、その姿を楽しむことができるのは、先人たちが着実に守り伝えてきたからにほかならない。現在ではクローン技術といった科学の力も利用されているわけだが、やはり人の思いがあってこそといえる。
1994年には世界文化遺産の構成資産となった仁和寺。今年は正保期の再建から370年を迎える。その継承されてきた「こころ」を感じ取りに「御室桜」を訪れてみてはいかがだろうか。