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#291

ジャン=リュック・ヴィルムートさんとの少年アート
― 中山和也

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(2018.10.28公開)

僕は学生時代に建築を学んでいたが、建物に入るものや人を知らないで建物をつくっていいのだろうかと思うようになり、建築とともにプロダクトデザインや現代美術に興味を持つようになった。そんな思いで、いろいろと探っていくうちに『少年アート』という書籍に出会った。『少年アート』は、著者の中村信夫氏が、1980年代にロンドンに渡り、ロンドンの家具デザインの学校に入学後ロイヤルカレッジオブアートに在籍し、ロンドンあるいはヨーロッパの現代美術に触れ、現代美術が何かさえもわからなかった中村氏の現代美術にのめり込んで行く様子が冒険のように書かれており、日本にはほとんど知られていなかった現代美術の世界の現状を垣間見ることができた、僕にとっての衝撃の書籍であった。

『少年アート』の中にて、ジャン=リュック・ヴィルムート氏の「Dans une Rue (In a Street), 1976」という、ロンドン市内のロータリーでノミとハンマーを使いながら石を削る作品が紹介されていた。そこで削られた石が、トラックの荷台に乗ったり、車に当たったり、通行人に持ち帰られたりしてロンドン中に拡散されるというものだった。石を削るという行為はしているが、削り続けると石はなくなるという作品であり、物体がないのに作品となるのかと驚いていた。物体はないが、ロンドン中に散らばった状況が作品となるのだと理解していった。

この作品を中心に『少年アート』に刺激され、このような作品やアーティストのことをよく知りたいと思い、『少年アート』の著者の中村信夫氏がディレクターとなり北九州市が設立した「現代美術センターCCA北九州」に入学した。入学後、「現代美術センターCCA北九州」の前進の「現代美術ソサエティ北九州(CASK)」には、上記のジャン=リュック・ヴィルムート氏もゲスト講師として参加していたことを聞いた。「現代美術センターCCA北九州」では、『少年アート』で見ていた作品やアーティストに触れることができ、またゲスト講師や在籍している友人とともに様々な現代美術を体験し、「現代美術センターCCA北九州」を修了した。

「現代美術センターCCA北九州」を修了後14年が経ち、京都造形芸術大学で教員となり10年以上がたった頃だった。京都造形芸術大学の学生食堂で食事をしている際、となりのテーブルで外国の方と食事をしていた国際課の職員から「ちょうどいいので紹介します」と声をかけられた。ちょうどいいのでという言葉も単に隣のテーブルに座っただけのことであったが、「彼は、ジャン=リュック・ヴィルムートさんと言い、パリから学生さんと来られています」とその外国人を紹介された。突然言われたフランス語の名前を把握するのがやっとであったが、記憶がよみがえり、「えー、あなたのことを知っています 。とても驚いています」と返答した。ジャン=リュック・ヴィルムート氏は多少驚いていたが、世界を渡り歩きながら展覧会に参加している方だけあって、普通な様子であった。僕にしてみれば、進路を大きく左右され大きな影響を受けて北九州に居住するきっかけをつくった張本人が、僕が毎日リラックスしながら食事をしている場所に来ていて僕と会話をしているなど夢にも思わない状況であった。

ジャン=リュック・ヴィルムート氏は、彼が教員をしているエコール・デ・ボザール・パリの十数名の学生を連れて京都造形芸術大学を訪れていた。京都造形芸術大学の学生とワークショップをする予定であったが、京都造形芸術大学の学生が合評の時期で忙しく一緒にワークショップができなくなったため、京都造形芸術大学の中でゆっくり過ごされていた。また、エコール・デ・ボザール・パリの学生展を京都造形芸術大学で開催することになったが、日本や京都のことがわからないということを相談をされ、展覧会に必要な材料などの調達や制作のサポートさせていただいた。

これがきっかけでメールのやりとりがはじまり、展覧会などで京都に来るときには食事をさせていただくこともあった。サプライズのバースデーパーティーをしたこともあった。サプライズパーティーの後、店を出て一緒に歩いているときに、パリに遊びに来たらと言っていただいた。これも偶然だが、僕がちょうど大学から半年間の学外研修の機会をいただいたときだった。そのことをジャン=リュック・ヴィルムート氏に話すと、エコール・デ・ボザール・パリの国際課長も兼務していた彼は、客員研究員になったらいいとエコール・デ・ボザール・パリに要望書を提出してくれた。

しかし、エコール・デ・ボザール・パリの客員研究員として赴任することが決定した後、ジャン=リュック・ヴィルムート氏は、台湾滞在時に急逝し帰らぬ人となってしまった。彼がいない状態でパリに滞在することに迷ったが、彼がつくってくれた道を進もうと半年間の滞在を決心した。パリやエコール・デ・ボザール・パリに滞在してみると、彼のアトリエ(ゼミ)の学生や卒業生や友人たちにとてもよくしていただき、彼の存在の大きさに驚きながら日本ではできない多大な経験をさせていただいた。

日本に帰ってからもジャン=リュック・ヴィルムート氏のつながりで、フランスからアーティストなどの美術関係者が訪ねて来たり、フランスの美術学校と共同ワークショップをしたり、日本にいる彼にお世話になった方とのプロジェクトが生まれたり、影響を受け続けている。ここで宣伝させていただくが、12月1日に京都造形芸術大学東京外苑キャンパスにて、彼に関係するイベントを開催することとなった。彼にフランスのエコール・デ・ボザール・グルノーブルで師事していた日本のアーティスト有吉修史氏(彼も「現代美術ソサエティ北九州(CASK)」に在籍時にジャン=リュック・ヴィルムート氏からグルノーブルに誘われていた)が、彼が生前語っていた「アーティストのための夢の学校」をつくろうと企画しており、この企画をサポートさせていただくこととなった。興味がある方は是非ご参加ください。
https://www.facebook.com/events/277203552912048/

僕が現代美術をはじめるきっかけをつくったジャン=リュック・ヴィルムートさんとの関係に驚き続けている。

12月17日、ジャン=リュック・ヴィルムートさんが亡くなって3年が経つ。