(2017.11.19公開)
それはもう十数年前だろうか、ある冬の朝である。飛行機の乗り継ぎで、アムステルダムのスキポール空港に降り立った。きらきらとガラス越しに明るい日が射しているターミナルは、まだ早い時間から大勢の旅客でいっぱいである。空港の混雑には、街路の雑踏とはまた異なる雰囲気がある。ある種の不安定な高揚感が漲っている。飛ぶ、という行為の故かもしれない。旅行者は、当然ながら、どっしりその場に腰を据えて1日過ごそうという様子はない。また慣れ親しんだ道筋を脇目も振らずに通行するような日常感にも乏しい。みなそれぞれに商用なのか、観光なのか、遠距離の旅路を控えて、一時の休息と緊張とを交えつつ、急ぎ足ながらも浮き足だっている。空港の広い通路を歩いていると、高い天井から吊された垂れ幕に”Flying Dutchman”という文字がプリントされていた。当時のオランダ国営航空だったKLMのマイレージプログラムの名前である。今はもうKLMもエール・フランスと合併して久しく、マイレージ名も「Flying Blue」に変わっている。
ところで、「フライング・ダッチマン」とは、十八世紀イギリスのいくつかの旅行記にその名が出てくるオランダの幽霊船伝説である(旅行記では船乗りたちの多くが信じる迷信として出てくるところからすると、伝説そのものはもう少し古くから流布していたようである)。アフリカ南端の喜望峰で嵐の中を航海するオランダ船が難破して沈没し(あるいは船長が冒涜的な言葉を吐いて呪いを受け、あるいは船長が殺人を犯して)、どこの港にも帰ることができず永遠に海をさまよっている、という話になっている。船長の名は話によって少しずつ異なるが大抵はファン・デル・デッケンという、実在したオランダ東インド会社の船長の名である。十九世紀にはイギリスのみならず、ユーゴーやハイネも取り上げた幽霊船「フライング・ダッチマン」は、二十世紀に至るまで目撃談が続く。第二次大戦中にはドイツのUボート乗組員も目撃したらしい。この話はなかんづくリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇『さまよえるオランダ人』Der fliegende Holländer (1842年)で世に広く知られている。さらにマンガの『ONE PIECE』や映画『パイレーツオブカリビアン』でもその名前の幽霊船が登場し、日本のバンド名にも使われるなど、人気に陰りはない。
ファン・デル・デッケン船長と別に、さまよえるオランダ人のモデルになった可能性のある、これまた十七世紀のオランダ人船長がいる。ベルナルド・フォッケという、傲岸不遜で行動力のある人物である。彼はオランダとジャワの間を驚くべきスピード(100日ほど)で航海したらしい。そのため、悪魔と取引したとの噂さえあった。その船の飛ぶようなスピードから、フライング・ダッチマンという綽名がつけられたのかもしれない。そうだすると、フライングそのものには、元々そんなに恐ろしい意味があったわけではないだろう。そしておそらく、十九世紀イギリスでロンドン=ブリストル間を走る列車が「フライング・ダッチマン」と名付けられたのも、その快速の故ではないか。ちなみにエディンバラ=ロンドン間の列車は「フライング・スコッツマン」(さまよえるスコットランド人、というより空飛ぶスコットランド人か)だ。飛ぶように航海するという意味の語が、のちに幻のように海上を漂う幽霊船の意味に転化したのではないだろうか。
それはともかく、ある冬の朝に見たスキポール空港の垂れ幕の話に戻ろう。「フライング・ダッチマン」とは、勿論、オランダの航空会社のマイレージ名なので、そのまま「空飛ぶオランダ人」にかけた洒落である。その「フライング・ダッチマン」の垂れ幕を見ながら、「さすがはかつて大航海したオランダ人。オランダ人たちは今も空を飛んでいるのか」と感心した。アタッシュケースを手にして空中飛行する背の高いオランダ紳士の図が思い浮かんで、本当に世界を股にかけて、いそがしいことだなぁ、と嘆息したその瞬間、あら不思議。なんとオランダ人の姿が、いつのまにか大きな鞄を抱えてスクーリングにやってくる自分の大学の通信教育部生たちに置き換わった。