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#88

ホイッスラー展
― 加藤志織

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(2014.11.09公開)

連休明けの11日4日(火)にホイッスラー展を見るために京都国立近代美術館に行ってきた。閉館が迫った午後4時半ということもあり会場内の人影は少なく、まるで貸切りのような状態だった。
ジェイムズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)は、アメリカで生まれましたが、少年時代に親の仕事の都合でヨーロッパへと渡り、その後、故郷であるアメリカに戻るも、再び渡欧しパリで本格的に絵画を学び、画家となってからはパリとロンドンを主な拠点として活動した。彼は同年代であるエドゥアール・マネなどフランスの画家とも幅広い交流があった。しかし創作活動においては単独を好み、絵画史におけるホイッスラーの立場は独特である。
ホイッスラーは、当初レアリスム絵画の巨匠クールベの作品から学んだが、その他にも、19世紀後半のイギリスで人気を博したラファエル前派からも影響を受けている。また同時代のヨーロッパの芸術家の多くがそうであったように、浮世絵などの日本美術から着想を得た作品を多数制作している。ホイッスラーが唯美主義を唱え、また目に見える世界を忠実に写し取ることよりも、絵画という表現を構成する色彩と形の組み合わせ、あるいは両者の調和にこだわったことはよく知られている。絵画の形式的な側面(色彩と形)への注目は、フランスの印象派と共通する。
こうした色と形を重視する態度からは、彼が、宗教絵画のような何らかの教訓を伝えるための芸術ではなく、「芸術のための芸術」を目指していたことが伺われる。実際、ホイッスラーが、絵画のような物語性をもたない音楽に関心を寄せ、みずからの作品のタイトルに音楽用語を採用したことからも、それは明らかである。
美術界におけるホイッスラーの評価は非常に高いが、日本はもとより欧米においても、まだまだ一般的な認知度はそれ程高くはない。こうした事情も関係してか、今回の回顧展、なんと世界でも二十年ぶりのことらしい。したがって、できる限り良い状況で鑑賞するために、人が少なそうな連休明けのしかも閉館間際を狙って訪れた。
ホイッスラーがとくに色と形を大切にしていたということは先に述べたが、これはなにも派手な色彩や奇抜な形を好んだということではなく、実際にはむしろ逆で落ち着いた色と安定した構図が用いられている。また、描かれた人物の表情やポーズには感情の起伏や激しい動きが見られず、風景についても穏やかな日常の一コマが描かれている。とは言え、それは決して冷たく無音な世界ではない。
たとえば彼の代表作である《白のシンフォニーNo.3》(1865-67年、バーバー美術館)や《ノクターン:青と金色―オールド・バターシー・ブリッジ》(1872-75年、テート美術館)に描かれた気だるい雰囲気の室内や緩やかな川面の流れからは、ある種の音楽が心地よいリズムで微かに聞こえてくる。その音楽を聞き逃さないためにも、ホイッスラーの絵画は他人に邪魔されない状況で見たい。
上述したように、鑑賞時間と引き換えに、最高の環境を手に入れることができたために、自室で画集を見るかのように好みのペースで作品と向き合うことができた。パラパラと気ままにページをめくり、気に入った絵をじっと見て、またパラパラ。先に進んだかと思えば、今度は戻る。
満足して美術館を出る時、ちょうど秋の空に夕日が傾き、周囲の景色がまるでホイッスラーの絵画のような宵闇につつまれようとしていた。
ホイッスラー展、京都国立近代美術館では11月16日まで。その後、横浜に巡回予定。

*入館前に撮影した京都国立近代美術館