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アネモメトリ -風の手帖-

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#386

蔵書の行き場
― 岩元宏輔

図1

子どもの頃から本を読むのが好きだった。ジャンルはさまざまだが、小学生の頃は特に伝記に夢中になっていた。たしか「読書マラソン」という課題があり、夏休みに読んだ本の冊数を記録していたように思う。本物の長距離マラソンは苦手だったけれど、このマラソンだけはいつも順調に走りきっていた。

中学生になると、推理小説をよく読むようになった。きっかけは赤川次郎の『三毛猫ホームズ』シリーズだったと思う。野球部に所属し、丸刈り姿でほぼ毎日練習に明け暮れていたが、休み時間を使って学校の図書館にもよく通っていた。

社会人になってからは、特に人材育成部門に配属されて以降、ビジネス書を多く手に取るようになった。さらに大学院に通い始めてからは、専門書や学術書を読む機会が増えた。ここ10年ほどは、子どもたちと過ごす時間のなかで、絵本を読むことが小さな息抜きになっている。

そんなふうに、振り返れば本に囲まれて生きてきたわけだが――

我が家の蔵書は、いまやあふれかえっている。書棚には収まりきっておらず、そもそも自分専用の書斎があるわけでもない。大学の書棚や一部レンタルスペースを活用しているため、実際に家にあるのは何百冊程度なのだが、生活空間とのバランスはどう考えても悪い。この件については、これまで何度か家族会議が開かれてきたものの、いよいよ本気で向き合わなければならない時期が来たと感じている。

そんな中、重い腰を上げて…

一冊の本を手に取った。
(書棚の整理を始めたわけではない。)

西牟田靖『本で床は抜けるのか』(中公文庫、2018年)である。

まさに今、読むべき一冊だった。

この本には、新聞や雑誌の重みで床が抜け、雑誌の山からレスキューされたという事件の記事や、一級建築士による見解、そして様々な「床抜け」にまつわる当事者たちによる体験談が詰まっている。

ちなみに、自分の蔵書をスキャンして電子化することを「自炊」と呼ぶそうだ。著者はこの本を書き始めてから1年のあいだに438冊の自炊を行ったものの、その間に約200冊の新たな蔵書が増えていたという。つまり、同じペースで本が増え続ければ、またすぐに元の状態に戻ってしまうというわけだ。

さまざまな事例や考え方に触れながら楽しく読み進めていたら、あっという間に読み終えてしまった。目から鱗が落ちるような決定的な解決策が得られたわけではないが、本書の終盤、思いがけない角度から「この蔵書問題を先送りにしてはいけない」という強い決意が芽生えていた。

それがこの一冊の、大きな効能だったのかもしれない。

人の本棚には、その人の学びの歴史がつまっているとも言える。その積み重ねは確かに尊いものであるが、重なりすぎて床が抜けてしまっては困りものである。
とはいえ、そんな切実でどこか笑えるような問題を、他人の視点や体験談を通して考えてみると、自分の暮らしがふと立体的に見えてくることがある。
本を読むことも、事例を読み解くことも、どちらも思考の棚を整える作業なのかもしれない。そんな学び方の中には、きっと現実を乗り越えるヒントが潜んでいる。