アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#2

石 無用の用
― 華雪

(2013.01.05公開)

五歳の頃から書道教室に通い始めた。先生はまず象形文字を教えてくれて、漢字には成り立ちと意味があり、それを知った上で、今どうしてその字が書きたいのかを考えなさいと言った。
中学に入ってからは、より専門的にと、マンツーマンの稽古に変わった。稽古は自分で選んだ古典を延々と臨書する。向かい合って座る先生は二時間三時間、ただじっと黙ってその様子を見ているのが常だった。今は自分も書を教えるような機会があるので、先生がとても自由な感覚の持ち主だったことがわかる。
臨書をしていて、時々「いいと思う」と口にすると、先生は黙ってうなずき、床に敷いた古新聞に書いたものを並べてくれる。時計の針の音が大きく聞こえるほど部屋はしんとしている。いくら書いても彼女からは何も言わない。次第に自分でもいいのか悪いのかわからなくなって筆遣いが荒くなる。そんなとき、彼女はすっと立ち上がり、部屋を出ていく。しばらくして、コーヒーの載った盆を手に彼女が戻ってくると稽古場の空気は自然とほぐれている。
「うまく書けなくなってた」。やっと思っていたことを口にする。「そうね、前の方がよかったかもしれないね」。休憩は書に直接関係のない本や映画の話をして過ごすことが多かった。その間は師弟というより友人のようだった。
ある日、コーヒーを飲みながら、いつものように話をしていると、「無用の用」ということばを耳にした。
「わたし、このことばが好きなの」と彼女は言い、「いいことばでしょ?」と続けて言われ、その勢いに思わずうなずきながら、実のところはっきりとは意味がわからずにいた。「そういうものが一番大事な気がするのよ」と言った彼女の顔を見ると、自分自身に言い聞かせているようにも思えた。
それからずっと、「無用の用」は頭の片隅にぶらさがっていた。

ふだんから忘れ物が多い。前の日に明日の準備をしなければと思いながら、つい、まあいいかと後回しにしてしまう。間際になって思いつくものを鞄に入れて出かけるから、何か必ず忘れ物をしている。
大人になって稽古に行かなくなるのと入れ違いに、いろいろな土地に行って展示をしたり、人前で字を書くようになった。だから、展示をするときは必ず道具を持っていくのだが、その道具でさえ忘れることがある。
トランクを開け、筆がない、下敷きがない、紙がない、墨がない、文鎮がない。ああ前の日に準備して確かめておけばよかった。後悔する。そして、どうしようと慌てはじめる。

知らない土地で書道具を売っている店など、なかなか見つからない。字を書く時間は近づいてくる。「商店街の先に文房具店があったと思うから、模造紙なら売ってるかも」。「大通りの交差点の角の金物屋に刷毛があったかもしれない」。展示会場の人たちに教えてもらいながら代用品を探しまわる。
忘れ物をしなければ、買うことも使うこともなかったであろうものを目の前にすると、頼りになるのは手触りのような気がしてくる。「触らせてもらっていいですか」店の人に断って、触る。指先で、てのひらで触れて持ってみる。これからどんな場所で、どんなことを書くのか、持ってきた道具との相性も想像したりしながら、自分の気持ちとうまく寄り添ってくれそうかを考える。
使ったことのない道具を手の感触で選んだ帰り道は、これをどうやって使おうかという高揚と、それがうまくいくかどうかわからない心細さで気持ちが揺れる。見たことのない街並みと空の色、聞こえてくる聞き慣れないことばのイントネーションが更に気持ちを揺さぶる。落ち着かず、信号で立ち止まるたびに、つい辺りを見渡してしまう。
大都市でもない限り、どんなところにも空き地はあって石が落ちている。信号を待ちながら空き地に目をやる。そうして見ていると、時々触りたいと思う石が見つかる。拾って、てのひらに乗せてみる。目で見ていたときに感じたかたちと少し違う気がするのは、かたちに重さが加わったせいかもしれない。てのひらの中でしばらく転がしたり、握りしめたりしているうちに、なんとなくこの丸みがいい、この手触りがいい、そう思う石があったりする。それをポケットに入れると手に持っていたときより少し重く感じる。信号が変わって歩き出す。歩きながらポケットの中の石に触れ、もう一度かたちを確かめる。

石は紙の上に置いて文鎮代わりにする。文鎮にしては軽すぎるようで紙はすぐに動いてしまう。けれど石を拾う前に比べると、紙の上に石があることで、今いる場所がほんの少しだけ知った場所になる気がした。字を書き終わると、石は紙から外れたところに転がっていた。拾って、他の道具と一緒にしまう。
あちらこちらから持ち帰ってきた石が、いつの間にか部屋に増えた。おかしなもので並べてみると色は違えど、どこか似たかたちをしている。家では道具になるより置物でいる時間の方が長い。でも、久しぶりに手に取ると、拾った場所やそこでの時間がはっきり思い出される。そこはもう知らない場所ではなくなっていた。
そうして石を眺めていたとき、長年はっきりしないまま自分の中にあった「無用の用」とは、この石のようなものなのかもしれないと気づいた。

 

華雪
書家。1992年より個展を中心に活動を続ける。
刊行物に『ATO 跡』(09年、between the books)、『書の棲処』(06年、赤々舎)、『石の遊び』(03年、平凡社)などがある。

また、〈字を書く〉ことを軸としたワークショップを各地で行う。作家活動の他に書籍の題字も手がける。
http://www.kasetsu.info