アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#70

ハイキング装備一式
― 東岳志

(2018.10.05公開)

京都に来てすは大好きな音に関わる仕事をしていた、耳の疲れに気きにくく、良くも悪くも精神状態を左右する。脳混乱するくらい色々なャンルの音を扱った後は耳にとっても静寂必要になる。そういう日は裏山へ行き静寂の中ゆったりと眠るしかないと思った。
自然の中には季節普通にあり、忘れていた大きな時間の流れに気く。もうこんなに寒い、思った以上に生き物の音多い、自分の歩く音うるさい、呼吸ノイズだ。やっと気持ち良い場所を見つけて座って休憩したら汗の張り付く服、季節によっては凍え死ぬ。
落ちた獣の気配に感、見慣れない虫の襲来、寝てる場合はない。
すっかり自然を忘れていた僕は、京都に来てす山沿いに住ん時にこんな経験をしたの。一体静寂はこにあるのろうか。
子供の時に世界の山や川な自然の中を旅することに憧れて妄想を広ていた頃、父親の山道具なを眺めたり使ったりして、衣食住をうやって持ち運かを考えていた。ケットの多いストを着たり、頭陀袋にコッフェルと固形燃料やンチョ、トル、望遠鏡を入れていた、自分の持てる荷物は限られていて、必要とされるもの全部を詰め込むのは不可能った。
実践の場欲しかった、当時はこづかい自由に旅もきるわけもなく、楽器を買ってもらったり、スキーに行きたくて、頻繁に親におねりは、新しい道具欲しいとか、遠いとこに行きたいとは言えなかった。
もし本当に行きたいところに行くチャンスあれいつも行けるように備えておこうと近所のハイキングで試したり、筋トレとかランニンをしてはいた、町はリアルな事はなく、次第に音楽の方に魅力を感て山への憧れは薄らいいった。
その頃の記憶と妄想京都に来て急に必要になってきたの
生き返らせてくれる静寂に浸りたい。
毎朝、裏山をらすると、自分の場所のように思えてくる。
日々の小さな変化際立って印象に残る。
森の深さに惹かれて入っていく道なき道。
次第にコーヒーセットはなく、昼寝セットや、録音器ま持ち込み静かさを楽しむ事多くなった。
その場したくなるかわからないの、荷物は多くなっていった。
困った時に助けてくれるのは色々な道具と思っていたの。備えに備えてックックに大荷物を詰めて静かさの録音をしていたのもこの頃
しかし、静かだが何か違う。
自分思う静かさは、耳る事はなさそう
ある日、半年ハイキンを続けて何千キロも歩く人の話を聞き、その最低限な装備を見た時、昔感ていた自然との関わり合い蘇ってきた。
体と食事と睡眠あれ生きていける。
道具多かったこと本質的に静寂から遠のいてるのはないか、震災もきっかけとなりカオスの道具知識から身体の工夫へ興味移るのは早かった。
重い時は脚と仲良くなるま走ったり、なんとなく食ていたものを本当に食たくなるまなかったりした。
何を備えれば不安から解消されるかと考え、道具も最低限にしていった。サバイバルは一過性だが、ハイキングは続かないと意味がないので心地いいものをベースに選んだ。
表向きはハイキングだが、その遊のために自分の体やその季節から本当に必要な事や道具に純粋に向き合う事は、無駄なものを持っていかないなく、その場起きるか、そしてその時自分は何必要か、そしてその時自分は静寂にいるか、といった想像力ま使う。
そんな事をしていると他の生活の価値観ま変えられる。
今ま絶対に面白いと思っていた音の聞こえ方ま、もっとシンいいかもと思える。
の場所にいても起きた事そのまま自分の中受け入れられて、たその出来事流れていくのを見てる感覚。静かというより心地よい場を静寂と呼のかもしれない。
こに何を持っていくかを丁寧に考える想像力は、自分自身を見つめ直し、リフレッシュきるいいアイィアな気してきた。
僕は、定食屋山の道具を売ったり、録音物を作ったり、3つの分野交流する店をしている。
、シンルとは言えないけ最低限のわらの組み合わせはリフレッシュきるはずだ imageazuma


東岳志(あずま・たけし)

河原町今出川の『山食音』店主、料理人、サウンエンニア。
日常的に調子を整える食事や、心地のいい場所に行くアイィアを仲間や地域と共有する事を目指している。