アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#57


― 素描家 shunshun

(2017.09.05公開)

はじめて人が描いたのは、どんな絵だったのだろうか。鉛筆や筆のない何万年も前の時代。たまたま、足もとに落ちていた石ころを手のひらに取って、大地を引っ掻いたら「線」が生まれたのが絵の起源なのでは、と僕は妄想する。きっと「文字」よりも先に「線」が生まれていたはずだ。やがて線たちは、牛やバイソンの輪郭線として具象化されていく。そして人々の間でimageが共有されて「絵画」という概念に至り、象形文字が派生して、文字が形づくられてきたのではないだろうか。白い紙の上にボールペンで線を引いている時、この右の手の行為は、太古の人が線を引いていた手と繋がっていると錯覚する瞬間がある。
よく使っているのは、三菱鉛筆のuni-ball Signo 0.28mmのボールペンFig.1)日常的で身近にある普通の文房具だ。絵を描く時もノートにメモをとる時も区別無く、同じボールペンを使っている。建築学生の頃からなので、使用歴はもうかれこれ15年以上。でも、これに辿り着くまでに、様々なペンを試したわけではない。たまたま、手に取ってみたら、描き心地が体に馴染んで気に入ってしまったのだ。1150円で安価。誰もが持っていて、いつでもどこでも入手しやすいということ。その普遍性が絵を描く時の気負いを、軽くしてくれるような気がする。だが道具に因らないということは、自分の「手」だけが勝負になってくる。「なに【で】描くか」ではなくて、「なに【を】描くか」ということに集中したいのかもしれない。だからユニボールシグノに、そこまで特別な思い入れはない。古代人が手にとった、道端の石と同じようなものだ。
良い絵を描こうと思った瞬間、良い絵が描けなくなってしまう、という矛盾ループから脱する道を探しているうちに、「無意識の線」を求めるようになった。力の抜けた味わい深い線に宿る、無欲で素朴な美しさに憧れる。どうやったらあの蜘蛛の糸のような美しい線が生みだせるのか。ある時ふと「虫」の気持ちになって絵を描いてみようと思い至った。パッと頭に浮かんだのは、小さい頃に見た、蚕が桑の葉を食べている時の動作。カイコ師匠は頭を持ち上げて、上の方からムシャムシャと食べながら、徐々に下の方へ頭を移動させて、下端へ来るとまた上へ戻る。最小限で無駄のない動作の繰り返し。何というひたむきさ。その行為に思いを巡らせた時、インスピレーションが湧いてきて、僕はその動きの印象を、蚕に倣って紙の上でやってみようと試みた。まず、650mm×500mmの紙の左上から右方向へ1行、芝生のような細かい点線を描く。右端に辿り着いたら、また左端に戻って2行目の線たちを刻んでいく。描いている間は、何も考えない。どんな絵を描こうかということすらも忘れて、蚕のように無心になって、黙々と点線を刻み続ける。5時間、6時間と忍耐強く作業に集中するうちに、紙の上の方から、段々と田んぼの風景のようなものが浮かび上がってきた。一本一本の線は、まるで稲のごとし。さらに7日、8日と描き続けるうちに、線の集積はやがて、海のミナモの表情のような様相を呈しはじめる。想像を超えた不思議な出来事だったFig.2
「点線」の次は、全部「線」にしてみたらどうか。フリーハンドで、どこまで精密に静謐な像を描きだせるのか、という挑戦であるFig.3)心が穏やかで落ち着いている状態を保てる時にのみ、向き合う。しかし、途中で集中力が散漫になったり、体が疲れたりして、どうしても線が微妙に曲がってしまう。そのことにしばしば落ち込んだが、気を取り直して、なんとか最後まで続けた。描き上げて、キャンバスの向きを90度回転させて驚いた。線がゆがんで失敗したと思っていたところが、海のゆらぎに見えてきたのだFig.4まるで自分の中に潜在的に宿っている「自然」が、無意識のうちに顕在化されたように感じられた。これは、僕の中に同在している2つの海、幼少の頃の原風景である高知の「土佐の海」と、広島に住むようになってから魅了され続けている「瀬戸内海」の波動の、あらわれなのかもしれない。だがはたして、これを「絵」と呼んでいいのかわからない。僕はただただ、線を引いただけなのだから。然れども身体を通して生まれた線の集積は、時に海となり雨となり山となって、抽象と具象のあいだを行き来する旅に、あなたをいざない続けるのだ。

Fig.1 使い終わったボールペンは捨てずに抽き出しに仕舞っている。

Fig.1 使い終わったボールペンは捨てずに抽き出しに仕舞っている。

Fig.2 蚕が桑の葉を食べる動作をヒントに生まれた《海/素描》。

Fig.2 蚕が桑の葉を食べる動作をヒントに生まれた《海/素描》。

Fig.3 その時の状態がすべて線に表れる。まるで蓄音機になったかのよう。

Fig.3 その時の状態がすべて線に表れる。まるで蓄音機になったかのよう。

Fig.4 「手」という身体の道具から生まれた自然界の海のゆらぎ。

Fig.4 「手」という身体の道具から生まれた自然界の海のゆらぎ。


素描家 shunshun(そびょうか しゅんしゅん)

1978年高知生まれ、東京育ち。大学で建築を学び、設計の仕事を8年経験し退職、絵の道へ。2012年、広島に移住。全国で個展を行うほか、書籍、広告の仕事も多数。自主制作の本に『主の糸』『drawings』『Croquis De Voyage』などがある。
https://www.instagram.com/shunshunten/