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アネモメトリ -風の手帖-

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#10

MacBook Air
― 藤本由紀夫

(2013.09.05公開)

2008年1月中旬の夜、帰宅して風呂上がりにテレビをつけると、スティーブ・ジョブズの笑顔が現れた。その笑顔とともに手にした茶封筒から銀色の薄っぺらなものが出てきた。MacBook Airである。そのあまりの薄さに衝撃を受け、詳細を知りたくて私はあわててアップルのホームページにアクセスした。画面に今しがたテレビで見たMacBook Airの姿が目に入ったが、同時に画面の脇に「今すぐ買う」というボタンを見つけ、気がついた時にはそのアイコンを押していた。ディスクドライブもなくUSBポートが一つだけということも、さらに20万を越す値段ということも知らずに注文していたのである。人生最大の衝動買いであった。しかし、この動物的判断のおかげで、わずか2週間程で我が家に届き、その後しばらくは外出先で取り出すと周りの人が注目するという優越感を味わった。

びっくりするような薄さと軽さであった。そして片手に持って操作できるということが「ノートブックパソコン」というイメージを正に実感できた。機械が文房具になったのだ。今ではあたりまえになったディスクドライブを持たないということや、周辺機器とほとんど繋げないという機能上の問題を憂慮して、ほとんどの友人は興味を持ちながらも購入することに躊躇していた。つまり、MacBook Airはユーザーの期待に応えて登場したものではなく、ジョブズの気まぐれで強引に生み出されたモノであった。だから、そんな友人に私は「マックに合わせて生活を変えたら良いのです」と言い切っていた。半分見栄であり半分は本音だった。
事実、何もケーブルを繋がないということに最初の頃は戸惑いを覚えた。インターネットへの接続、プリンターへの接続、外部ドライブへの接続等、全て無線(air)でというジョブズの提案はかなり過激なものであったが、提案とともに現物を手にしてしまうと、それに従う他は無い。
同じような経験をiPod shuffleが発売された際にもしている。曲名の表示も無く次にどんな曲が再生されるかわからないという白い小さなケースを、不安に駆られながらも使いだすと、新しい音楽の体験の仕方を発見し、新鮮な気持ちになった。手のひらに隠れる程の道具が日常を変革させる力を持っていることを私はジョブズから教えられた。
MacBook Airも様々な設定を行って使いだしてみると、コンピュータのある場所から解放されることの気持ち良さは予想を遥かに越えるものであった。MacBook Airを使いだして以降、私は自宅で机に向かう時は、手書きの作業がある場合だけになった。ソファで手に持ち、その後寝転がりながらメールを送信したりという生活パターンに変化した。生活パターンが変化すると思考プロセスも変化する。はっと思いついた時にすぐネットにアクセスでき、メモを残すことができる。それらの思考の断片が蓄積されたMacBook Airをそのまま持ち出し、続きを電車の中で行い、電車の振動が新たな発想を生み出し、帰宅して続きを行うというような、無線という概念は、私という人間を改造したのである。iPhoneやiPadと違わないのではと思われるかもしれないが、iPhoneやiPadはあくまで情報端末機器、それに対し、MacBook Airは私の身体の一部になったのである。
テクノロジーとアートの関係を調べてみて一番の驚きは、多くのテクノロジーは人間の要望に応えて登場したものではなく、好奇心旺盛な変わり者が作ってしまった玩具のようなモノを、ユーザーが面白がって遊びだして一般的になり、そうなって初めてそのテクノロジーの価値に気付くということであった。ホイジンガの言う通り我々はいつも何かで遊びたがっているのだ。

マーシャル・マクルーハンは「メディアはマッサージである」の中で「メデイアは、我々の諸感覚の比率を変える、そしてその感覚の比率が変化するということは、我々自身が変化することである」と言っている。ジョブズの死後、私はアップルの新製品を買っていない。

macbookair

藤本由紀夫
1950年生れ。大阪芸術大学音楽学科卒。
70年代よりエレクトロニクスを利用したパフォーマンス、インスタレーションを行う。
80年代半ばよりサウンド・オブジェの制作を行う。
2001、2007年ヴェニスビエンナーレ参加。