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アネモメトリ -風の手帖-

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#40

“にじみ”のゆくえを追う
― 羽毛田優子

(2016.03.05公開)

 布に染料を流し込むようにドローイングし、色がにじんでゆく姿を追う。作家の羽毛田優子さんがつくる作品のテーマは、「にじみ」である。布と染料による現象である「にじみ」は、羽毛田さんにとって、常に自身の感覚をともなっている。「にじみ」と羽毛田さんの関わり合いについてうかがった。

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「瀝」(2014年)

——「にじみ」は、どんな背景から生まれた作品ですか?

はじめに「にじみ」を発見したのは、京都芸術短期大学専攻科(現・京都造形芸術大学)で制作をしていた、1998年のころです。制作をしていると、作品のコンセプトを問われ、考えなければならないんですね。わたしもある作品のコンセプトを突きつめているうちに、言葉に絡めとられていくような、考えばかりが頭のなかでふくらんでいくような気がしました。すると自由に作品をつくれなくなってしまって。つくりたいという気持ちで焦れば焦るほど、かたちにすることができなくなり、すごく苦しい時期を過ごしました。まずは原点に戻るために、自分の気持ちや感覚に従おうと思いました。そして染料を布の上に流し、にじんでいくようすがとてもきれいだったんです。

——「にじみ」を発見してから、どのように変化していましたか?

「にじみ」を発見したときは、その美しさだけでいい、それだけで作品にしたいと強く思いました。はじめはいろんな色が混じるだろうと思い、赤・青・黄の三原色を使って、にじませるように染めてみました。すると、色がはっきりと形になって現れてきたんです。そこで色の形ではなく、「にじみ」を見せたいので、他の要素をなくそうと考えました。形を見せない色の見せ方として、にじみで境界線を構成しようとひらめいたんです。そのために必要な色は、白と黒。白は色のない色、黒は全てを含んだ色ですよね。白と黒の特性を生かして、作品をつくりはじめました。

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「滲」(2004年、撮影:上野則宏)

染織の世界では、「真っ黒」という色をつくることは難しいんです。黒は何度も染め重ねて生まれる色なので、黒とひとことに言っても青みがかったものや、赤みがかったものまであります。再び三原色を基本としたカラフルな作品をつくった場合も、もっとも「にじみ」がきれいに出る色であることを大切にしました。時には染料や布の素材を変えてみて、重なり合うことで起こる現象を追いかけ、今に至っています。

——ある程度「にじみ」に委ねることが重要ですか?

全く委ねているわけではなく、混ざり合う色や素材などは今までの経験をふまえて考えています。漠然と「紫と黄色を使って作品をつくろう」と思ったら、まずはおおまかに色の配置や全体図を考えます。作家によっては、ある工程をふまえることをコンセプトにし、完成させる作品もありますよね。わたしの場合は、プロセスを整えて、技法的に素材や色を組み合わせたあとで、「にじみ」に任せています。自分のイメージを再現するためだけに、「にじみ」を使っているわけではありません。絵画の隅々にまで作家としての意思を入れるのとはまた異なる、作品のコントロールの仕方ですね。
作品に明確なゴールイメージはないのですが、わたし自身のなかで作品のいい・悪いの判断があります。一枚染めると、もっとこうしたいという欲求が出てきます。より自分のなかの「いい」につながるようにつくりつづけるため、他のひとから見れば不必要だと思われるくらい、ひとつのテーマにたいして何枚もの作品ができあがってしまいます。そのため、展示できる作品はつくったもののなかでも、ほんの数枚のみなんです。ですが、わたしにとっては展示することのなかった膨大な「にじみ」も、全て「作品」だと思っています。

——羽毛田さんのもつ感覚を培ったものはなんでしょうか?

わたしは長野県木曽郡という、山のなかの一軒家で育ちました。自然が豊かで、他には何もないような場所です。厳しい自然の様子や、五感で感じる四季のうつろい……。そういった環境はわたしの感性をつくってくれていると思います。前に、京都でお世話になっている方が故郷に来てくれたことがあるのですが、実家の様子を見て「羽毛田さんがこんなふうに育った理由がわかった」とおっしゃっていたほど、故郷によって育まれたものは大きいと思います。また、必要なものがあれば自分たちでつくることが当たり前の環境でした。わたしも小さいころから祖母から編み物を教わったり、父が保育園や小学校に通っていたころの給食バッグをつくってくれたり。周りにものをつくりながら暮らすひとが多かったせいか、わたしにとってつくることは遊ぶことでした。なかでも一番身近なものが布だったので、自然と染織を専攻しました。

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(上)実家の宿に冬がきた様子。積雪量はあまり多くないが、とても冷え込む / (下)冬になるとときおり、窓に氷華が姿をあらわす

——作家活動を続ける傍ら、ご実家である中山道の宿屋でのお仕事もされていますね。

実家の宿では、主に父と母のサポートをしています。ふたりで経営しているので、父に何か用事ができれば必然的に休業になるような、本当に小さな宿です。そのぶんお客さんとの距離が近くて、40年の間毎年来てくださる方や、1年に1度うちで集合するご家族もいます。
実家に戻ってきたのは2013年のことでした。目の前に川が流れているという環境に、帰ってきたときとても安心しました。進学のため京都に住みはじめたとき、川の音が聴こえないことにホームシックになるほど川の存在は大きいですね。実家に戻ってきて、川の音を聴きながら眠るとき、何かがほどけていく感覚があって。すごくリラックスできる環境です。家族が近くで応援してくれたり、時にはそっとしてくれたりすることも、制作に没頭できてありがたいです。

——作家として故郷に戻ってきて、改めて環境が羽毛田さんに影響を与えていることはありますか?

植物染料を使用するなど、この環境だからこそできる制作はなんだろうと模索しています。実家には鉄鉱泉が流れているので、それを使って作品をつくったこともあります。偶然にも、祖父が昔「鉄鉱泉で染めものができないか」と言っていたそうです。結局祖父は実現できなかったようですが、想いを継承することができたのかなと。ただ、実家の鉄鉱泉は温泉の成分としては十分なのですが、染織にするには鉄分の量が少ないんです。薄い色しか出ませんでした。それはそれでとても素敵な「にじみ」でしたけどね。

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「灰沢―壹」(2011年)。1ヵ月ほど実家で過ごし、鉄鉱泉を使用して制作した

——生活、制作、仕事などの拠点が変えながらも、絶えず作品をつくり続けたいと思うモチベーションはどこからやってくるのでしょうか。

自分でもとても疑問に思います。つくらないでいられるのなら、そのほうが楽じゃないかと考えるほど。作品はわたしを世の中やひととつないでくれる、窓のような存在ですね。制作はコミュニケーションをとるために必要な自分の一部なんです。やってみたい、つくってみたいという気持ちが浮かぶと、つくらざるをえない。つくらないと気になってしょうがないんです。つくっている間に感じたことや、生じた疑問が次の作品のアイディアになっていきます。思考を熟成させて、次回作に生かしています。
一方で「にじみ」は理論立てして考えず、感覚を大事にすることも重要です。作品を言語化しすぎてしまうと、言葉ばかりが目立ってしまうんですね。「言葉で表現できないから作品をつくる」と聞くことがありますが、わたしにとっては違います。言葉は言葉という表現方法であって、絵画などとは別の表現だと考えています。互いに変換できるものではないし、それぞれに表現としての特性があるのではないでしょうか。

——つまり「にじみ」は羽毛田さんのみならず、観客も自由に捉えていいのでしょうか?

そうですね。会場に入って、すぐに「これは何の作品ですか?」と聞かれる方って意外と多いですよね。説明がないと観ることができないならば、作品がもつ力とは一体なんだろうと思います。作家が表現しているものがなんであれ、観るひとと作品の間で生まれる別のものはきっとあるはず。
過去にとある展覧会で、当時の自分の状況と作品があいまって泣いてしまった経験があります。偶然作者の方にお会いしたので、その話をすると「それは僕の意図とは違うので、作品として失敗ですね」とおっしゃったんです。もちろんそのような作品を否定はしませんが、わたしの場合はもっと多様に捉えてほしいと思っています。面白いことに、ひとそれぞれ感じることが違います。白黒の作品は、「怖くて会場に入れない」とおっしゃった方もいましたし、「音が聴こえる」とおっしゃった方も。みなさんにじむ姿に、いろんなものを観てくださっていると実感します。

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羽毛田優子展「にじみ」(会期:2015年3月17日~22日/会場:ギャラリー恵風/撮影:Nawachi)

——展覧会を行う土地によっても、鑑賞者の感想も異なりますか?

ぼんやりとですが、感想に土地性はある気がします。特に京都はアートとしての染織に対する理解がある地域だと感じました。染織というと、着物のように用途と形が明確な「工芸品」というイメージがあります。工芸品ではない染織に対して「よくわからない」という感覚をもっていらっしゃる方が多いな、と感じる地域もありました。京都の場合は、そのような染織もきちんと観てくださる土壌が整っているように感じます。

——やはりご自身にとって「にじみ」は工芸品ではなく、美術品という意識が強いのでしょうか?

そもそも「にじみ」が一番きれいに見えることを考えてつくるため、どうしても平面になるんです。工芸品はまず用途をふまえ、機能として使える形にしないといけません。とはいえ「にじみ」の根っこには染織(工芸)という意識は強くあります。工芸品ではないけど工芸であり、芸術でもあるという曖昧さが「にじみ」のおもしろさだと考えています。過去にはお声がけをいただいて、シャツをつくらせていただいたこともありますが、「にじみ」で表現するのはとても難しかったです。
ただ、最近は着物をつくってみたいと思っているんです。染織の本質をつきつめていくにつれ、自分のなかで日本的なものへの意識が高まっている気がして。これまでは「にじみ」を見せたいがためにパネルが必要だったのですが、布でつくる作品である以上、その特性を生かした展示方法も考えたいです。それに、かつての染織は着物や掛け軸といった形式で発展してきたので、伝統や文化をふまえた上で日本的な展示もしてみたいですね。
もし自分が突然死んでしまったら、日の目も浴びないまま残される作品はどうなるのだろうと、膨大な作品たちのゆくえが心配になったんです。それらのなかにも素敵な「にじみ」を持つものがいくつかあるので、トリミングしたり染め直したりもはじめました。再び生かす手段として、着物をつくることも面白そうですね。つくっているときは納得できなかった作品たちにも、別のテーマを与えたり、別の形式で表現したりし、新しい「にじみ」を見せられる作品に昇華させたいと思っています。

インタビュー・文 浪花朱音
2016年1月29日
電話にてインタビュー

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羽毛田優子(はけた・ゆうこ)
1977年長野県に生まれる。2002年京都造形芸術大学大学院 修士課程修了。2008年京都造形芸術大学大学院 博士号取得。2005年京都府美術工芸新鋭選抜展優秀賞受賞。同年、VOCA展佳作賞受賞。2011年第29回京都府文化賞奨励賞受賞。
2013年「Imago Mundi」Fondazione Querini Stampalial(Venice)、「第19回 染・清流展」染・清流館(京都)、2014年「羽毛田優子小品展」ギャルリーオー(滋賀)、「第2回メタモルフォーシス展」ギャラリー82(長野)、2015年「琳派400年記念 新鋭選抜展~琳派の伝統から、RIMPAの創造へ~」京都府京都文化博物館(京都)、「羽毛田優子展『にじみ』」ギャラリー恵風(京都)、「けしき 揺れる×流れる×留める」Galerie Apotheke(京都)

浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学卒業。京都の編集プロダクションにて、書籍の編集などに携わったのち、現在はフリーランスで編集・執筆を行う。京都岡崎 蔦屋書店にてコンシェルジュも担当している。