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アネモメトリ -風の手帖-

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#64

“篝火”のように、自分にくべ続ける生き方
― 石飛幸子

(2018.03.05公開)

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書家「石飛篝(かがり)」として活動する石飛幸子さん。企業に勤務し、子育てをするかたわら、ときには大学で学び、ときには展覧会に向け作品をつくり続けてきた。退職後は、京都のカルチャーセンターで書道教室の講師も務めている。石飛さんのお話には、女性が働き続けること、つくり続けることへのヒントがあった。

———まず、京都造形芸術大学の通信教育学部を卒業されていますね。学びたいと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

49歳で入学しました。理由はふたつありまして、ひとつは娘が社会人になったタイミングだったということ。わたしは最初の大学を出て、子どもを産んでからも中断することなく働き続けてきました。娘が大学進学した時に、そばで見ていて「面白そうだな」と感じて、もう一度学び直そうと思ったんです。
その当時は地元の金融機関に勤めておりまして、美術で社会貢献をする仕事をしていたんですね。展覧会を企画・運営したり、作家の先生にインタビューをしたり、という仕事だったので、芸術についてお話できないとダメ。仕事をしているなかで、自分は知識不足かなと思っていたんです。だから芸術とは何かを知りたかった、というのがふたつ目の理由です。書道をやっていますが、それとはまた別のきっかけで通い始めました。

———働きながら勉強、さらに自身の制作となると大変だったのではないでしょうか?

卒業するのに5年ぐらいかかりました。そのまま通信教育の大学院にも入学しましたが、論文を書き進められなくて退学しました。でも、現役時代に勉強するのとはわけが違う。キャリアを積んでいるぶん、引き出しがいろいろあると言いましょうか。大学での勉強は、これまで点だったものを線につないでいくような作業でした。
いっぽうで会社は57歳と、定年より3年早く辞めて。ちょうど両親の介護をしなければならない頃に定年がやってくるなと思って、これはまずい、やりたいことをやろうと決めたんです。
子どもの頃からやっていた書道にがっと集中してやり始めたのも、退職してからですね。1年後にはNHK文化センター京都教室で書道の講師を始めて、今も続けています。企業で37年間働いて、今は第二の人生と言いますか、教えながら自分自身も書道をやっています。その時々にできることを、我慢するのではなく楽しんで選択しよう、という生き方です。

———書道とはどのように歩んでこられたのですか?

子どもの頃字が下手だったので、神社でやっている書道教室に通わされていたんです。先生がとても親切で、冬はたこ焼きを買ってもらい、夏はアイスキャンディを買ってもらい……と、楽しく続けていました。決してうまい字ではなかったけど、褒められることがうれしかったんでしょうね。「元気のいい字」だと言われていました。けれど50歳を過ぎてから、このまま続けているだけではダメだと思って、東京の先生につき直そうと決めたんです。そこから東京に通いだして、10数年が経って今ようやく芽が出始めた、という感じでしょうか。一時は大学、仕事、書道のために東京へと両立するのが大変でしたね。結局大学院を退学したのは、書道に絞ったことも大きな理由です。論文を書けなかったことは悔いが残りますけど、こんなことをやっていたら絶対書道ができない! と思って。資金も時間も集中させようと思ったのかもしれないですね。
この10年でいろんな賞をいただいて、一昨年は日展にも入りました。今、少しは歩き出したって感じでしょうか。

———作品を書く際、ここだけは外せないという点はありますか? これこそが「石飛篝らしい」と言わしめるようなポイントはどんなところでしょうか。

わたしが書いているのは、漢字や仮名が混じった、「近代詩文書」というわりと新しい分野です。だから重要なのが詩文選びですね。誰かの詩を選んでそれを書くのですが、その言葉の選び方や、切り取り方にはこだわります。寺山修司だったり、古賀春江や村山槐多といった画家だったり、本当にいろいろですね。自分を奮い立てるような言葉が好きです。新聞を読んでいる時など、日常生活で見つけることもあるし、本屋に行って言葉を選ぶセンスを磨くこともしています。造形作家ではないので、型にはまったものになるかもしれへんけど、この詩文を借りてこんなサイズの作品にしよう、こんなふうに表現しよう、などと考えますね。文章をすべて書くことはないので、どの部分をチョイスするかも重要です。切り取り方はもしかしたら独特かもしれない。

———「独特」と言いますと?

詩文を題材に書を書くひとはたくさんいるんですが、それぞれ切り取るところが違うんですね。綺麗な文が好きなひとも、過激な文が好きなひともいる。「そこは選ばへんやろ」ってところを切り取るひともいます。わたしの場合、例えば大杉栄の「むだ花」という詩から、「闘いは生(せい)の花である」という一節を取りました。高い壁に立ち向かうとき、過激なフレーズが自分を奮い立たせ、作品にパワーを吹き込んでくれる。あえて誰もが外す箇所を書くことも多いですね。周りのひとからは、わたしの独特の切り取り方を「篝チック」と呼ばれています。

「篝チック」と呼ばれる独自の言葉の選び方。意味を生かすように、力強さを意識して書かれている。 第53回(2017)創玄展にて、準大賞(近代詩)を受賞した《闘いは生の花である》。

「篝チック」と呼ばれる独自の言葉の選び方。意味を生かすように、力強さを意識して書かれている。第53回(2017)創玄展にて、準大賞(近代詩)を受賞した《闘いは生の花である》

ダシール・ハメットの探偵小説『マルタの鷹』より選んだ、インパクトのあるセリフ。第67回毎日書道展、毎日賞を受賞。

ダシール・ハメットの探偵小説『マルタの鷹』より選んだ、インパクトのあるセリフ。第67回毎日書道展(2015)、毎日賞を受賞

———ご自分の言葉を書かれることはないのですか?

自分でも文章は書きますが、作品の題材には選びません。というのも、自分で書いた言葉は、言い回しだったり、仮名と漢字のバランスだったりを変えられるけど、他人が書いたもので表現させていただく以上、変えられないですよね。変えることのできない枠のなかでもがくのが好き。結局わたしは、サラリーマンなんです。枠のなかでできることは何か、居場所はどこかを探りながら生きてきたことが、書道にも表れています。

———造形でこだわっている点はありますか?

展覧会によって求められる作品が違うので、それに合わせて書くようにしています。あまり自分を決めないように、その時々で自分のチャンネルを変えるように書きます。裏がえすと自分がないのかもしれませんけど、あまり価値観を決めたくないんです。力強く書く時もあれば、綺麗に書くこともあります。書は線の芸術。空間と、白と黒2色だけで美しさを表現する世界なんです。

———2011年には、個人での作品展も開催されています。

毎年やっているグループ展があるんですが、その年から誰かひとりの作家の個展を最後の一室を使ってやることになったんです。初っぱなに指名されてやりました。グループ展は毎年いくつか出展していますが、個展なんてやらない人間なので、これが最初で最後の個展です。振り返ると、やってよかったなと思いますけどね。
個展の目的に売買がありますが、わたしはそうしたくなかったので、購入しにくい大きな作品をつくったんです。8メートルのものが2点、そのほかにも天井から吊るしたものとか、とにかく大きな作品を中心に展示しました。

展示した大作。詩は、いきものがかり「心の花を咲かせよう」。「ストレートで一生懸命な言葉が心に染み入り、『あの頃』の自分にタイムスリップできるから」好きなのだそう。「kagari's day 女子力」(2011)より。

展示した大作。詩は、いきものがかり「心の花を咲かせよう」。「ストレートで一生懸命な言葉が心に染み入り、『あの頃』の自分にタイムスリップできるから」好きなのだそう。「kagari’s day 女子力」(2011)より

———展覧会のタイトルが「kagari’s day 女子力」というのも、由来が気になりました。

今、「女子力」と言うと女の価値というイメージですよね。わたしにとっての女子力は「活力」だったんです。同僚のおじさんたちはたいがい妻にご飯をつくらせて、飲み会に行って……としてきたかもしれないけど、わたしはキャリアを積みながら、子育てをしながら、書道をやっていたのよ、と見せたかった。そして後輩の女性たちに生き方を示したかったんです。女性にとって一番いい時期って、子育てのタイミングじゃないですか。30代から40代って、仕事が面白くて、なんでもできる時期なんだけど、結婚、子育てが重なるでしょう。もれなく親の介護がやってきたり、わたしの世代の女性たちはまだ、いろいろ背負っている。同僚の男性たちに、後輩たちに「わたしは今これで生きてるねん」って見せたかったんです。
定年まで3年残して退職した時、同僚が退職する頃には別の肩書きを持って生きようと思っていました。今では定年退職を迎えた同級生たちに「今何しているの?」と聞かれても、「カルチャーセンターで書道を教えているねん」「今度教室にお稽古に来ますか」って誘ってる。
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展覧会の図録より。それぞれの言葉とのエピソードも書かれている。参考にする本は、子どもの頃に親しんでいた文学から、漫画までと幅広い。「kagari's day 女子力」(2011)より。

展覧会の図録より。それぞれの言葉とのエピソードも書かれている。参考にする本は、子どもの頃に親しんでいた文学から、漫画までと幅広い。「kagari’s day 女子力」(2011)より

———今後やってみたいことは何でしょうか?

書道史を知りたくて、学校にまた行きたいなと思っているんです。改めて学問として学んで、もっと深く知りたいですね。
「篝」という号は、子どもの時から教わっていた先生に20歳の頃命名してもらいました。篝火は闇夜に灯すでしょう? そこにみんなが集まってくる。わたしのまわりにひとが集まってくるように、という思いで先生は名付けたそうです。けれど篝火は消えてしまう。すると先生が「くべたらよろしい」とおっしゃったんです。「真摯に生きなさい」という師匠からのエールでしょうね。自分で燃やすものを持ち続けながら、小さな火も大きな火も、そしてひとを温めたりときには温められたりする、そんな火が消えないように努力し続けていきたいですね。そしていつでも「今の自分が好き」と言えるような生き方がしたい。

取材・文 浪花朱音
2018.02.09 オンライン通話にてインタビュー
mini_kagari会 石飛 篝
石飛篝(いしとび・かがり)
1955年京都生まれ。2005年都造形芸術大学通信教育部芸術学科を卒業。
2016年日展入選。2017年(第53回展)創玄展では準大賞(近代詩)を受賞。そのほかにも京展、創玄現代書展「白鴎賞」、毎日賞など受賞する。現在、一般社団法人水明書道会の一般部審査員、理事・副理事長。創玄展審二科審査会員、毎日展会員も務める。
師は石飛博光。


浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて、書籍の編集・執筆に携わる。退職後はフリーランスとして仕事をする傍ら、京都岡崎 蔦屋書店にてブックコンシェルジュも担当。現在はポーランドに住居を移し、ライティングを中心に活動中。