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アネモメトリ -風の手帖-

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#56

日常と地続きの「ニッポン画」を描くこと
― 山本太郎

(2017.07.05公開)

山本太郎さんの作品は、日本画の技術、テイストを感じさせながらも、一言に「日本画」と呼ぶのが難しい。例えばゲームキャラクターのマリオ&ルイージが、琳派の大作「風神雷神図」のように雲の上に浮遊していたり、古典的な屏風絵のなかには、現代の風景がエッセンスとして加えられていたりする。伝統的でありながらも、革新に満ちた試み——それらの作品は「日本画」ではなく「ニッポン画」だと山本さんは言う。どんな眼差しで日常や制作、作品を捉えているのかうかがった。

《マリオ&ルイ―ジ図屏風》 ©Nintendo 山本太郎 2015年  二曲一双 各154.5×169.8cm 紙本金地着色

《マリオ&ルイ―ジ図屏風》 ©Nintendo 山本太郎 2015年 
二曲一双 各154.5×169.8cm 紙本金地着色

———ご出身は熊本県だそうですが、美術の道へ進まれた経緯を教えてください。

僕の世代は『少年ジャンプ』に『ドラゴンボール』や『スラムダンク』が連載されていた、マンガ文化が栄えていた時代で、当時地方都市によくいたマンガをきっかけに絵を描くのが好きな少年だったんですね。そこからまず美術をやった方がいいんじゃないかって話になって、高校生の時に美大受験の予備校に通い始めました。
美大に入るならまずは王道でいこうと、はじめは油画学科を目指していました。ところが受験のためのデッサンを習っているうちに、先生が現代美術についていっぱい教えてくれるようになって。はっきり言って受験のためのデッサンより、全然面白いじゃないですか。先生が出す難しいテーマに対して作品をつくるようになって、現代美術のもつ自由に表現できる部分に惹かれていました。一度、予備校の友人と一緒にグループ展もやったんですが、その時はドリッピングしたアクリルの板を何枚も重ねて、後ろにはガラスを置いて……といった抽象的な作品をつくりましたね。

———今の作品からは、想像ができないですね。

現代美術との出会いは1浪目の時なんですが、一緒に制作していた友達はみんな受かり、僕だけ落ちてしまって。結局3浪することになったんです。3浪もしていると油画はそこそこ描けるようになっているし、現代美術もやっているから、何か違うことも知りたいと思うようになりました。それから、日本人なのに日本のことをあまりにも知らないことに気がついたんです。油画も現代美術も西洋からのもので、日本独自の表現ってなんだろうと考え始めました。

———その後入学された京都造形芸術大学では、日本画を専攻されていますね。

入学後も、日本画への違和感がありました。普段コンビニのごはんを食べたり、テレビを見たり、いわゆる普通の学生生活を送っているのに、絵を描く時になると急に日本画のためのモチーフを描くモードに切り替わるんですね。「みんな普段、花鳥風月なんて見ていないのに描けるのかな」と疑問があって。自分たちの日常生活と地続きの絵を描きたいという欲求がありました。
でも何を描いたらいいのかわからない時期を12年過ごして、ある日京都のとあるお寺を見に行ったんです。京都って、博物館や美術館だけじゃなく、お寺や神社で、しかもガラス越しじゃない作品を見ることができますよね。僕もよく出かけていたのですが、その日も古いお寺を見に行って、お腹がすいたからファストフード店で昼食をとったんです。ハンバーガーが180円ぐらいの頃で、1時間ほど前は荘厳なお寺のなかにいたのに、これはなんだろうと思って。その時に、これって絵になる! とひらめいて、持っているスケッチブックに描きはじめました。それが「ニッポン画」のはじまりですね。

「松樹鉄鶴図」 2001年制作 183×296cm 紙本金地着色 ©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

《松樹鉄鶴図》 2001年 183×296cm 紙本金地着色
©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

———「ニッポン画」はどんな意味を込めて名付けられたんですか?

まず、カタカナが入っているのがいいなと思いました。破裂音がポップな感じもするし、「画」を漢字にすることで日本画の流れも込められる。
実は日本って不思議で、自分たちの国を「にほん」「ニッポン」とふたつの名前で呼ぶんですね。漢字で日の本(ひのもと)と書くのは、中国から見て日本は日が昇る方向だからですね。そう考えると中国(海外)からの視線も入ってきます。中国語で日本は「ジーベン」と読みますが、そこからはじめは「にっぽん」と呼ぶようになり、だけど日本語は破裂音に馴染みがないから、言いやすく「にほん」になったんじゃないかな、と思っています。そこからふたつの呼び方が生まれて、オリンピックのような対外的な場面では「ニッポン」と呼んでいるかと。名付けた時は、世界的に作品を見てもらいたい気持ちも強かったので、そんな意味も込めました。

———その後たくさんの作品をつくられていますが、キャリアや制作に対する姿勢など、「ニッポン画」のターニングポイントとなったことはありますか?

2007年のVOCA賞受賞は大きいかもしれません。この作品を描く前の2005年頃って、貯金が全然なくて京都で制作を続けられそうになく、熊本に帰ろうかと悩んでいた時期なんです。VOCA展は推薦されてから新作をつくるんですが、推薦をいただいた時、大きな作品がつくれるのも、上野の森美術館のような会場で大勢のひとに観ていただけるのも、これが最後かもしれないって思いました。VOCA展は自分の作品と傾向が違うので、賞を取れるなんて全然思っていなくて。これが最後のチャンスだろうと思って、今まで描きたかったけど描けなかった能を、はじめて作品のテーマにしました。
実は「ニッポン画」を考えるにあたって、能の存在もヒントになっていました。学生時代、観世榮夫(かんぜひでお)先生に能を習っていたのですが、先生は能楽界ではかなり異例のひとで、観世流から喜多流に変えたり、一度現代演劇や映画の世界に入った後に能楽に戻ってきたりと、能の範囲にとどまらない活動をしているひとだったんですね。古典的な技法を使いながら現代的な表現をする姿を、間近で見ました。その経験が「ニッポン画」のヒントにもなったし、一方で自分の思いつきみたいに作品に使うのは、恐れ多くてずっとできなかったんです。けれど本来日本の絵画は、作品の背景に古典の物語や和歌があったり、茶道のお道具としてその場にあったりと、いろんなジャンルと結びつきながら描かれています。自分の作品にも物語を入れようと思った時、一番身近なところに能がありました。結果としてVOCA賞をいただき、多くのひとに作品を観てもらえることになり、能を扱った作品をつくりはじめることになりました。

「白梅点字ブロック図屏風」 2006年 二曲一双 各166.7×145.6cm  紙本銀地着色 (VOCA2007 VOCA賞受賞作品) ©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

《白梅点字ブロック図屏風》 2006年 二曲一双 各166.7×145.6cm 
紙本銀地着色 (VOCA2007 VOCA賞受賞作品)
©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

———2014年からは秋田公立美術大学で教鞭をとられていますが、活動拠点に秋田が加わったことによって、制作に変化はありましたか?

能をテーマにした時と心境は同じで、まだ秋田らしい作品はあまりつくれていないですね。とはいえ、秋田に来てから毎年のように地域プロジェクトに参加していて、芸術祭に作品を出品しています。芸術祭が行われる上小阿仁村は、秋田市から車で1時間半の距離にある村で、「番楽」という郷土芸能があります。過疎化が進んでいますが、保存会や小学校にクラブがあったりして、一生懸命盛り上げようとしています。番楽は舞台に幕があるんですが、真ん中に松があって、波や日の丸があって、鶴が飛んでいるような、わかりやすい日本の象徴が描かれたものなんです。
上小阿仁村は秋田のなかでも特徴的な村で、自然は相当豊かだし、野生動物を狩って生業にするまたぎの村でもある。これから話を詰めていく必要がありますが、そういう「その村らしさ」を幕の図案に盛り込んで、新しい幕がつくれたらなと思っているところです。

「羽衣バルーン」 2014年 二曲一双 各172×189cm 紙本着色金彩 (2014年 KAMIKOANIプロジェクト展示風景) ©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

《羽衣バルーン》 2014年 二曲一双 各172×189cm 紙本着色金彩
(2014年 KAMIKOANIプロジェクト展示風景)
©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

———現在、関心のあることはなんでしょう?

今年、地元の熊本で展覧会をすることになりました。はじめに声をかけていただいた後に熊本で震災が起こって、これは無視できないと思いました。今回は熊本のひとの思い出の品を集めて、作品のなかに描くプロジェクトをします。
僕の作品の中に、《誰ヶ屏風》という江戸時代の日本画の形式を使った作品があり、着物をかける衣桁(いこう)という調度品に、ジーンズやシャツがかかっている、という絵を描いてきました。江戸時代の誰ヶ屏風は、着物だけじゃなく筆記具や三味線など、室内のものが絵の中に描かれているんです。
今回は、ものにどんな思い出がこもっているのかを大切に聞きながら、絵のなかに描こうと思っています。思い出の品は、室内で使えるものならなんでもOKで、写真だけでも、そのひとの記憶のなかにあるものでもいいんです。

「誰ヶ裾屏風」 2005年制作 二曲一双 各(169×165.6cm) 紙本金地着色 ©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

《誰ヶ裾屏風》 2005年 二曲一双 各169×165.6cm 紙本金地着色
©️Taro Yamamoto , courtesy of imura art gallery

———消えてしまった、あるいはいつか消えてしまうかもしれない思い出を、作品のなかで記憶してゆくような。

そうですね。日本画にはそういう面があって、うまくいけば何百年も保存されます。それから思い出の品を集めるのは、被災したひと、していないひと、どちらのひとからでもいいと考えています。今回の熊本の震災は、同じ地域や近所でも被災のレベルが異なっていたことが特徴で、人々の暮し向きに差があるんですね。そういった差の無い、みんなが考えていることをつないでいける媒体になればいいなと思っています。
さらに今回は、熊本城の城下町で数百年続いていた材料屋さんの森本襖表具材料店から、屏風の素材をもらい受けてつくります。このお店は京都の町家のような古い建物で、震災で建物が痛んでしまったことを機会にお店をたたむことになり、先日ついに取り壊されました。建物だけじゃなく商品も傷ついてしまったんですが、震災の跡も残しつつ、修復しながら屏風をつくろうと思っています。

取り壊される前の森本襖表具材料店。お店を囲むこのあたりは、古くからの建物が並び、震災の影響が大きかったという。

取り壊される前の森本襖表具材料店。お店を囲むこのあたりは、古くからの建物が並び、震災の影響が大きかったという。

取り壊される前の森本襖表具材料店。お店を囲むこのあたりは、古くからの建物が並び、震災の影響が大きかったという。森本襖表具材料店6代目、森本多代さんと共に。

森本襖表具材料店6代目、森本多代さんと共に。

———地元の方にとっても重要な作品になりそうです。今後の展望はいかがでしょうか。

今、大学で教えているアーツ&ルーツ専攻では、学生たちが地域の伝統、文化や、本人の生まれ育ちにまつわるものなどをルーツにフィールドワークなどの調査をして、作品化しています。日本画の技術も教えますが、それ以上に自分自身で課題を見つけて回答を探していく専攻なんだよって伝えています。
先に表現技術を身につけてから表現内容を探るのではなく、フィールドワークから得たものを表現にきちんと結びつけていく学生の真摯な姿には、僕自身も勉強させられますね。今、秋田でつくりたいと思っている演劇の幕のように、作品ができあがった後の社会との関わりなども考えながら、つくっていきたいと思っています。

取材・文 浪花朱音
2017.05.29 オンライン通話にて取材
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山本太郎(やまもと・たろう)

1974年熊本生まれ。2000年京都造形芸術大学卒業。大学在学中の1999年に、寺社仏閣とファーストフード店が至近距離で混在する京都にインスピレーションを受け、伝統と現代、異質な文化が同居する「ニッポン画」を提唱。日本の古典絵画と現代の風俗が融合した絵画を描き始める。ニッポン画は3つの柱で表される。それは「日本の今の状況を端的に表すこと」、「古典絵画の技法を使うこと」、「諧謔(かいぎゃく)をもって描くということ」。近年は企業等と積極的にコミッションワークを行いキャラクターを使用した作品も多数制作している。その作風は現代の琳派とも評される。秋田公立美術大学准教授。
2015年京都市芸術賞新人賞、京都府文化賞奨励賞受賞。

主な経歴
2007
VOCAにおいて大賞となるVOCA賞を受賞 上野の森美術館(東京)
2008
個展「風刺花伝」新宿髙島屋
(東京)、京都髙島屋(京都)
「ジパング展-31人の気鋭作家が切り拓く、現代日本のアートシーン」日本橋髙島屋(東京)、大阪髙島屋(大阪)、京都髙島屋(京都)
2012
Kamisaka Sekka: Dawn of modern Japanese design」ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(オーストラリア/シドニー)
2013
The Audacious Eye” -Japanese Art from the Clark Collections-」ミネアポリス美術館(アメリカ)
2015
「琳派四百年 古今展細見コレクションと京の現代美術作家」細見美術館(京都)
「琳派からの道 神坂雪佳と山本太郎の仕事」美術館「えき」KYOTO(京都)
京都府文化賞奨励賞受賞
2016
IMAYŌ 今様: JAPAN’S NEW TRADITIONISTS」 ハワイ大学アートギャラリー、ホノルル美術館(ハワイ)


 

浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて、書籍の編集・執筆に携わる。退職後はフリーランスとして仕事をする傍ら、京都岡崎 蔦屋書店にてブックコンシェルジュも担当。現在はポーランドに住居を移し、ライティングを中心に活動中。