アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#48

感じたままに、色やかたちを“きめこみ”描く
― 前野 節

(2016.11.05公開)

前野節さんは、「絹彩画(きぬさいが)」と名付けた独自の技法を用いて絵を描く作家である。その技法とはまず、スケッチを元に起こした下絵を土台に貼り、下絵のラインに沿ってナイフで切り込みを入れる。次に型紙より少し大きく切った絹布を、金ヘラで切り目に押し込んでいく、というもの。日本の伝統工芸「木目(きめ)込人形」から着想を得たという。ただひとりでひとつの技法と向き合い、作品を描き続ける前野さんに話をうかがった。

《湖上の大鳥居》(滋賀県白鬚神社)

《湖上の大鳥居》(滋賀県白鬚神社)

———まず「絹彩画」は前野さんご自身が考案された技法とのことですが、そのきっかけを教えてください。

私はもともとグラフィックデザイナーでした。京都の美術短期大学を卒業した後、地元の名古屋に戻り広告代理店に勤めていたんです。そのころ、クライアントの1つに人形専門店があり、仕事を通して「木目込人形」の存在を知りました。木目込人形とは、立体の木型に筋彫りを入れ、布の端を押し込んでいきながら、ひとつのかたちにしていく人形なんですね。こういった手法があるんだな、と知ったのが始まりです。当時から、いずれはイラストレーターとしてフリーランスで仕事をしたい、と思っていました。そのような仕事をしていくにあたって、何か自分だけのイラスト技法を持っていると強みになるのではと模索していました。そんなある日、木目込人形を眺めていて、ふとこの技法をイラストレーションに応用できれば、オリジナルな技法を持つイラストレーターとして独立できるのではと思いついたのです。

———そうして技法を研究するに至ったのですね。はじめて作品をつくったときの手応えは、どうでしたか?

一作品目は、平面ではなく立体作品をつくりました。発砲スチロールを削って、基礎を作ったのですが、発砲スチロールって削ると静電気が起き部屋中大変なことになるのですね。扱いづらい素材だったんです。これでは続けられないと思い、デザインワークでよく使用していたスチレンボードを利用することを思いつきました。平面にしたことで表現できる世界が格段に広がり、さらに麻や、綿、化繊など、さまざまな布を試したところ、最初の立体作品でも使った絹布が一番技法との相性が良いことが分かりました。たまたま手持ちの着物のはぎれを使ったことがきっかけでしたが、それが絹彩画を続けていく上で大きな意味を持つことになっていくのですから、偶然とはいえ良い選択をしたと言えますね。

絹彩画に欠かせない道具。絞り生地を使い、桜の花を表現。

絹彩画に欠かせない道具。絞り生地を使い、桜の花を表現

画材として用いる正絹の着物地。ひとつの作品で100種類以上使うことも。

画材として用いる正絹の着物地。ひとつの作品で100種類以上使うことも

 ———作品の多くは、日本古来の風景を題材とされていますが、そういったものを描きたいと思われていたのでしょうか。

駆け出しのころは、クライアントワークから始めていますので、相手の要望に合わせていろいろなモチーフを描いていました。あるとき、アートディレクターの浅葉克己さんに作品を見ていただく機会があり、「この路線でいったらどう」と言われたのが、日本の古い街並を描いた風景画でした。浅葉さんの一言が、その後の私の20年を決定づける原点になりました。あとは、もともと旅好きだったのです。ひとりで気になるところを探し歩いたりして自分だけの空間を発見することが楽しみだったので、そこにライフワークとなる風景画がくっついてきたような感覚ですね。

———旅をしながら、どのように作品となる風景を探すのですか?

行く先々で気にかかった風景を眼で切り取り、スケッチをし、帰ってから作品の構成を考えます。あらかじめその場所について調べるということは、クライアントワークじゃない限りしないようにしています。先入観があると行く前から風景が浮かんでしまうので、情報がないほうがよいのです。絵にしたいと思う風景に出会えず、行っただけで作品にしていない場所も何箇所もあります。

《峠の立場茶屋と枝垂桜》(中山道・馬籠峠)2012年

《峠の立場茶屋と枝垂桜》(中山道・馬籠峠)2012年

———今はインターネットで検索すれば、世界中の風景を見ることができてしまいます。

写真を見れば風景画は描くこともできるのですが、自分の足で歩き、自分の眼で見るということを大切にしたいと思っています。「心の眼で見る」と言いますか、心を開いて見ると、同じ風景でも、そのときの自分の心情によって感じ方が変わります。知識からではなく、光や風、空気、色など、自分の感性を信じて描くことが私にとっては大切です。ですから、絵と実際の風景を照らし合わせてみると、まったく違っていることもあります。空気感はどうか、冷たいのか乾いているのか、太陽の位置はどこかなど、表現したいことを優先させますので、実在の風景と変わってきてしまうのですね。さらには季節を変えることもあり、春になったらこんな風景だろうな、と想像しながら描いたりもします。

 ———海外の風景には興味はありませんか?

海外の風景も描きたいと思っています。クライアントから注文があった場合を除き、現地取材+スケッチが原則です。今のところ韓国・慶州の風景を2点描いています。今春在日本インド大使館より要請を受け、展示と実演の為に渡印しましたので、来年はインドの風景を何点か描こうと考えています。そのためのインドシルクも現地で調達済みです。着物には日本の伝統色、意匠がちりばめられているので、日本の風景によく馴染みます。同じようにインドの風景には、インドのシルクを使う、というように海外の景色を描く場合にはその土地の布を利用すると面白いのではと思っています。色ひとつとっても、日本にはない色彩があると思いますので。

 ———前野さんご自身は、絹彩画で日本の魅力を発信したいと思われていたのでしょうか?

民族衣装である着物を素材にした技法で日本の街並みを描き続けてきましたので、私にしかできない魅力の伝え方はあると思います。しかし発信に関しては、とにもかくにも絹彩画家として作家活動をしているのは私ひとりなので、拡散するに至るまでが難しいですね。後継者を育てたいという気持ちも、ゼロではないのですが、今のところ私が活動を止めたら終わり。手芸の趣味の延長線で技法が残る可能性はあると思いますが、絹彩画家として独り立ちするのは絹地集めに始まり、デッサン力や色彩感覚、構成力、さらには作家として人を集める力も必要です。なかなか難しいのではないでしょうか。

招聘を受け参加したインドの祭典にて、最高賞を受賞した。

招聘を受け参加したインドの祭典にて、最高賞を受賞した

祭典会場でワークショップを開催。芸術が国を超えて共有された瞬間。

祭典会場でワークショップを開催。芸術が国を超えて共有された瞬間

———絹彩画は制作スタイルとして、ご自身に合っていたと思われますか?

まずひとつに、作家として食べていかなければなりませんよね。幸い珍しい技法ということで、注目も浴び、仕事をいただけてきたということは重要でした。さらに、初心者の方でも楽しむことができるので、請われてカルチャーセンターや自身のアトリエで教室を開くこともできました。一方で、意外に思われるのですが、画家としてこの技法に固執する気持ちは薄いのです。たまたま絹彩画に行き着きましたが、画家として絹彩画以外の技法で表現してもなんら問題はなく、この技法にこだわりを持っていてはダメだと思っています。珍しい技法だから、布を使った作品だから、と取り上げられるほどつまらないことはありません。「前野節の絵画」として、技法を超えて作品を見ていただける、そういう画家でありたいと思っています。

———ひとりの画家として、今後の展望はどうお考えでしょうか?

京都造形芸術大学では、景観保存について研究を重ねました。それは現在の私の制作意欲に強く影響を及ぼしています。ただしそれは街並を描き続ける意欲を削ぐ形になったという意味で、ということなのですが。今、25年間ライフワークとして取り組んできた日本の街並を描くことを中断し、ずっと描きたい、描かねばならない、と思っていた心象風景を描き始めたところです。川の流れや、空、海など、かたちのあってないものを、感性を頼りに描きたいのです。ただ、今までの作品のイメージを愛してくださるファンも多いですし、始めたばかりですので、来年はどうなっているのかわからない、言わば過渡期と言えますね。現状に満足せず、自分の可能性を引き出すのは結局自分自身でしかないのです。 また、ゆくゆくは大好きな花をモチーフに制作していきたいと思っています。花の造形美を見つけ出し、イメージを膨らませて描きたいと考え、すでに「絹彩華(きぬさいが)」と名付けることを決めています。将来的に、現在のように取材をしながらの制作は、体力的に難しくなると予想できますし、部屋のなかでも描けるものをモチーフに、との思いです。生涯画家であり続けたいと思っていますので。

インタビュー・文 浪花朱音
2016.10.12 オンライン通話にてインタビュー

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前野 節(まえの・せつ)

絹彩画スタジオ主宰。 1961年名古屋生まれ。JAGDA会員。朝日カルチャーセンター講師。 http://www.kinusaiga.com/

  • 画歴 1981 嵯峨美術短期大学デザイン学科卒業 2015 京都造形芸術大学芸術教養学科卒業 1988 絹彩画(きぬさいが)を創始 1993 初個展 伊勢丹新宿店ファインアートギャラリー 以降各地で個展多数 1997 絹彩画教室開設 1999 「絹彩画」(日貿出版社)出版記念展 三越日本橋本店 1998 朝日カルチャーセンター講師 2000〜02 NHK文化センター講師 2006〜10 名古屋学芸大学外部講師 2008〜12 複製版画トツグラフ発表(版元:伊藤美藝社)
  • 賞歴 1998 3D Illustrators Awards Show(NY)金賞 2000 3D Illustrators Awards Show(NY)銀賞 2016 30thスーラジクンド国際工芸祭(インド)最高賞
  • その他企業カレンダー採用 東京相和銀行・㈱中部電力・㈱豊島・㈱ニチハ・成田山新勝寺・㈱丸紅・㈱デュポン(米)

浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学卒業。京都の編集プロダクションにて、書籍の編集などに携わったのち、現在はフリーランスで編集・執筆を行う。「京都岡崎 蔦屋書店」にてコンシェルジュも担当。