アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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自由にフラットに。映像から始まるあたらしいコミュニケーション
― 下村透

(2014.07.05公開)

審査なし、ジャンルもバラバラな自主製作の映像作品を鑑賞する上映会を開催する大阪発のボランティアグループ「カフェ放送てれれ」。下村透さんは公務員として働く傍ら、スタッフとして「カフェ放送てれれ」の活動に参加し、全国各地のさまざまな場所で上映会をプロデュースしてきた。映像表現を通じてひとが集まり、対話が生まれる場面を次々と目の当たりにするなかで、下村さんが感じたローカルメディアの可能性とは、どのようなものなのだろうか。

—公務員である下村さんが「カフェ放送てれれ」(以下「てれれ」)に参加する以前、2007年に京都造形芸術大学の通信教育部に入学され、芸術学を学ばれていますが、これはどのような理由からだったのでしょうか。

職業柄、地域の中で地元のひととともに活動する、ということにずっと憧れを持っていまして、地方のアートプロジェクトをいくつか見に行ったりしていました。たまたまその頃配属されていた市役所の文化振興課で、アート関連の企画を募集していまして、それに応募した結果、採択されたんです。与えられた仕事をこなすだけでなく、自分で企画を立てて仕事をする、という内容に魅力を感じまして。そのことをきっかけに、美術史や美学など芸術に関する基本的なことを本格的にきちんと学んでみたいと思い、京都造形芸術大学の通信教育部に入学しました。

—その後、「てれれ」と出会い、ボランティア活動を始められたのはどのような経緯があったのでしょうか。

地域のなかで活動するには、何か地域団体に入って仲間を見つけないといけないな、と思っていたんですが、たまたま僕が勤めている伊丹市に、「伊丹まちづくり会議」という団体があり、2007年にそちらに参加をしました。そこでアートプロジェクトを立ち上げたいと思っている文化振興財団の職員の方と、もう一人、30代の方と知り合って意気投合しまして。3人で何かをやりたいね、という話になった時、30代の方がNPO法人の「remo」という団体が開催している映像表現のワークショップを伊丹でやりたい、と言い出したんです。どんな内容かというと、三脚を立てたカメラを街の中に置いて3分間動かさずに撮影し続け、後で撮影した映像を皆で鑑賞する、というものだったんです。その映像自体、何が面白いんや、という感じだったんですが(笑)。皆で鑑賞する、ということ自体が楽しいと感じまして。そこから急に映像に興味を持つようになりました。「remo」のやっていたワークショップというのは街中で起こっている出来事を偶発的にとらえて、その映像を言葉を交わさずにただ観る、というものだったんですが、もう少し内容のある映像をつくり、皆で語り合ったり、考えたりする活動の場がないのかな、と思ったんです。そこでいろいろと探した結果「コミュニティアートふなばし」という千葉の団体が、地元で集めた映像作品を全国各地のさまざまな場所で上映する、という活動をしていることを知りました。その後、広島県尾道市の高根島で開かれた上映会に参加したんですが、それが「コミュニティアートふなばし」と「てれれ」が共同開催しているものだったんです。そこで初めて「てれれ」を知りました。

—その時に上映されていた作品とはどのような内容のものだったのですか。

どちらかというと、アマチュアのひとたちが面白がってつくっているというよりは、主張を持った、プロパガンダ的な作品が多かったです。正直自分が期待していものとはちょっと違ったかな、という感じで。ただ、その高根島では上映会だけでなく、合宿形式のワークショップが開かれていたので参加をしたところ「てれれ」主催者の下之坊修子さんと出会いました。それをきっかけに「てれれ」との事務所に遊びに行くようになり、2009年秋ごろ徐々に活動に参加するようになりました。京都造形芸術大学通信教育部の卒業論文の一環として「てれれ」の活動を取り上げたい、と思ったのも参加したきっかけです。

—大学での研究活動の一環として「てれれ」の存在があったということですね。「てれれ」の活動自体は下之坊さんが以前から活動を始められていたんでしょうか。

そうですね。主催者の下之坊さんは女性の映像作家の方でして。もともと女性同士が集まって映像作品をつくり、自己表現をするというグループに属されていたんですが、そこは“女性の自由な自己表現を目指す”というフェミニズム的な要素が強かったようです。女性同士、いろんな軋轢もあったそうですが下之坊さん自身、“女性”という枠を飛び出して活動してみたくなり、そのグループを出て、映像作品による自己表現をプロデュースする団体「てれれ」を2003年に立ち上げられたんです。その結果、男性も多く活動に加わるようになったみたいですね。

—男女の垣根なく、より自由なスタンスで映像をつくる、というのが「てれれ」のコンセプトにあるのですね。

はい。「てれれ」には、出品のあった作品はすべて上映する、というルールがありまして。もちろん音楽など著作権の処理が出来ていない違法なものはだめなのですが、それ以外は絶対に出す、という決まりがあります。大体3分から10分の映像作品をまとめ、オムニバス形式にして上映しています。

—上映するにあたって審査がない、という自由さが斬新で魅力的ですが、それぞれの作品同士、結構バラつきがあるのではないでしょうか。

ものすごくバラバラです(笑)。自分のやっている活動を紹介するような、ちょっと堅めの作品もある一方で、アニメーションもありますし。なかには三脚を立てたカメラを家の中に固定して撮影していたら、お孫さんが映っていて、そのまま延々とお孫さんがカメラに向かってふざけて踊っている映像を出品されたものもありました。主張がはっきりしているものもあれば、自然発生的なものあるという感じですね。

—そういった映像を皆で見てわははと笑い合いながら楽しむ、というのが「てれれ」の目的にあるように思えますね。

そうですね、上映会そのものがひとつの作品、というような考えがあります。次にどんな映像が出てくるか分からない、というのがアート的にとらえられたりもしますし。でもお客さんの反応は割と千差万別で、面白がるひとばっかりではないんですよ。やっぱり素人がつくった映像なので、すごくひとりよがりな内容だったり、カメラをうまく操作できず画面がすごくブレていたりすることも多くて。いまひとつ何が言いたいのか分からない、といった反応を受けることもあります。クオリティの高い映像を求めてやってきたひとは不快な気分で帰られることもありますね。

—「てれれ」がやりたいことは決して映像のクオリティを上げていく、ということではないんですよね。

はい。“自分の表現手段を持つ”ということが「てれれ」の目的なので。映像を鑑賞して語り合うことで、自分も制作者になっていくということが大切だと考えています。またそういう場を広げる、ということも目的のひとつですね。きちんとつくられているかどうかではなく、どれだけ自分の感性をぶつけられたか、というのが大事だと思います。

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淀川河川敷で行われた「てれれ大賞」授賞式の様子。モンゴル遊牧民の住居ゲルを建て、自転車を漕いで発電し上映するというユニークな上映会を行い、アンケートで人気のあった作品に賞を授与した

—上映会に参加することで、何か変化があった方はいらっしゃるのでしょうか。

70代の女性で、とてもシャイでひとと話すのがあまり得意ではなかった方がいらしたんですが、上映会に何度か足を運び、作品について感想を述べ合ううちに、性格がだんだん社交的になった、という方がいらっしゃいました。

—それは素晴らしいことですね。同じ作品を流しても、上映する場所によってその場の雰囲気やひとの層が違う、ということもあるのではないでしょうか。

そうですね。大阪や京都のカフェや喫茶店でも当初上映していましたが、徐々にNPOや市民団体が運営しているコミュニティスペースのようなところが多くなりました。会場によって雰囲気も全然違いますし、その場のオーナーの方のキャラクターによって集まる人も違う、ということもありますね。

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東京の神保町のギャラリー「路地と人」での「てれれ」定期上映会

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大阪・なんばにあるカフェストリートでの野外定期上映会の様子

—「てれれ」は現在定期上映会を一時休止し、次の展開に向けて準備中ということなのですが、下村さん自身、活動を続けていくなかで感じたことはどんなことでしょうか。

私を含め、スタッフは皆勤め人ですので、時間を合わせるというのがなかなか難しい状況でした。当初、上映会のスタッフは有給だったこともあったのですが、非営利目的の団体でありながら、スタッフのアルバイト代を支払うために、入場料をもらうのは本末転倒ではないかと思ったこともあり、意見を戦わせたこともありました。現在は主催者の下之坊さんがひとりで仕事としての映像製作を続けながら、「てれれ」の上映会の段取りを付けて行くのはとても難しい状況になり、休止していますが、今年の夏からまた再始動に向けて動き出しています。

—下村さんが現在関わっている活動はほかにどのようなものがありますか。

わたしの住んでいる尼崎の武庫之荘に「哲学カフェ」というところがありまして。哲学に関するテーマを設定して、皆で語り合う、という活動のお手伝いをしています。またその流れで「シネマカフェ」というのもやっています。それは映画を見てその感想や意見を皆で話し合う、という活動ですね。それが今後「てれれ」の新しい活動につながるかもしれませんね。

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下村さんが2012年の秋に地元の女性センタートレピエにて企画した上映会の様子。“仕事と私の生き方を考える上映会”と題し、過去に出品された「てれれ」作品の中から仕事に関連したテーマの作品をセレクトして上映し、その後2班に分かれてトークを行った

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地元・尼崎の「どるめん」という喫茶店での定期上映の様子

—「てれれ」をはじめとしたさまざまな地域団体に加わることで、下村さん自身、変化された部分はありますか。

いろんなひとと交わることで、物事を深く考えるようになったと思います。公務員の仕事はクレームを恐れて市民と距離を置いてしまうこともありがちなんですが、そうしていると、世間が狭くなってしまいがちなんです。でも仕事とは全く真逆の世界に飛び込んだことで、バランスがとれ、視野が広くなったと思います。

—下村さんは、年齢や職業といったバックグラウンドにとらわれず、いろんなひとが集まり語り合うコミュニティをつくる、ということをライフワークにされているようなのですが、それは何か理由があるのでしょうか。

子どものころから父親の仕事の関係で引っ越しが多くて、小学校も5回変わっているんですよ。それで地域のお祭りに参加する機会もなく、自治会などとも疎遠な家庭に育ちました。どちらかというとノマド的な生き方をしてきましたね。ですので地縁や血縁のないフラットなコミュニティのなかで生きる、というのが自分のベースにあります。現在の活動も自分が育った家庭環境が影響していると思いますね。

—下村さんがご自身の活動のなかで感じていることや、これからも大切にしていきたいと思うことはありますか。

3.11以降特に感じることなんですが、社会に対するさまざまな反対運動に対して疑問に思うことが多いんです。反対、と言うひとが本当によくものを考えて主張しているのかと。反対するひとと賛成するひとがまったく交わらないところで双方が一方的に叫んでいても、社会的にはあまり意味がないんじゃないかと思っていまして。そういうひとたちが、対話をし、同じ場を共有することができたら新しく生まれるものもあるのではないかと思います。そういう意味で、いろんな意見、感性を持ったひとたちがフラットな状態で話ができる場所をこれからもプロデュースしていきたいと考えています。

インタビュー、文:杉森有記
2014年6月3日 skypeにて取材

座談会_全体5

下村透(しもむら・とおる)
1965年大阪府池田市生まれ。兵庫県尼崎市在住。市役所の職員として働く傍ら、2007年に京都造形芸術大学通信教育部芸術学科に入学。翌年伊丹市で映像表現のワークショップに参加したことをきっかけに映像に興味を持ち、2009年に「カフェ放送てれれ」のボランティアスタッフに加わる。現在も地元、尼崎市武庫之荘にてさまざまな対話する「哲学カフェ」や「シネマカフェ」などのコミュニティスペースの運営に携わる。

杉森有記(すぎもり・ゆき)
1979年福井県生まれ。同志社大学文学部美学及び芸術学専攻卒業。美術館学芸員、雑誌編集者を経て、美術やローカルカルチャーに関するライターとして活動を行う。