アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#35
2015.11

現代に生きるタイル

後編 再び見いだし、未来につなげる 多治見の取り組み

タイルは焼きものである。色とりどりの色彩に目を奪われて、つい忘れてしまいがちだが、「タイルは土からできている」という、そんな当たり前のことを今一度思い出してみたい。タイルが受容されてきた京阪神の戦前の近代的な建物に注目した前編に対し、後編の今号ではタイルが「生み出されてきた場」で今何が起きているのか、それを確かめるために、「多治見市モザイクタイルミュージアム」が2016年6月に開館予定の岐阜県多治見市を訪ねた。

岐阜県は、タイルの生産の90%を愛知県とシェアしあう全国的なタイル生産地だ。2006年に多治見市と合併した旧笠原町では、合併時の人口は1万人程度ながら1970年代には220余の中小メーカーがモザイクタイルを生産し、現在でもモザイクタイル国内シェアが85%に上る、国内最大のモザイクタイル生産地だ。
ただ、日本のタイル産業は、90年代はじめのバブル経済の崩壊を機に大きく傾き、経営難や後継者問題でモザイク工場を畳むメーカーが増え、苦しい局面に直面している。そのうえ、名古屋との近さや経済的関係性によって、多治見は1960年代後半から宅地開発が進む。近代的な工場が郊外につくられ、名古屋のベッドタウンとしての性格が強まり、焼きもののまちとしての風景がどんどん失われつつある。

そんな危機意識によって生まれた活動が、多治見市旧笠原町にある「モザイク浪漫館」というちいさな施設に蓄積されている。そして、その理念は、多治見市モザイクタイルミュージアムにも引き継がれていく。

後編では、タイル産地としての多治見でタイルミュージアムの開館に携わる3名の方にお話をうかがった。
タイルのアーカイブの発案者で多治見市モザイクタイルミュージアム設立の立役者でもある、窯業原料会社の各務(かがみ)寛治さん。自らタイルの商社を営みつつ、モザイク浪漫館の「館長」として率先して古今東西のタイルを収集している安藤隆望さん。そして多治見市役所産業観光課タイル館担当として、多治見市モザイクタイルミュージアム開館準備を担う学芸員の村山(のどか)さん。
また、京都を拠点にタイルや陶磁器の研究と制作をおこなう美術家の中村裕太さんに、タイル産地ならではの多治見や笠原のまちの特徴や見方について伺った。

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タイルの研究者でもある美術家の中村裕太さん

中村さんにとっても笠原は印象的なまちだ。

——タイルについての研究をはじめたころは大正期の住宅に使用されていた白色タイルの研究をしていました。それまでのタイルは衛生的なものとして、浴槽や便所のなかに使われていたのが、戦後、商店建築の内外装を装飾するためにモザイクタイルが使われはじめました。そんなモザイクタイルについて調べていて自ずとたどり着いたのが、モザイクタイルの一大生産地である多治見市旧笠原町だったんです。

モザイクタイルが生まれた笠原というまちとタイル産業との関係性はどのようなものであったのか。なぜタイルミュージアムをつくることになったのか、そこではどのような取り組みが行われていくのか、そしてタイルをいかに残し伝えていくか、その取り組みやその背景にある思いを見ていこう。

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(上)蔵や古い建物が残る多治見市の「本町オリベストリート」にも、タイルの見どころが散りばめられている(中)笠原モザイク浪漫館の収蔵品の数々(下)ひとつとして同じもののない色とりどりのモザイクタイルが貼られた流し台(笠原モザイク浪漫館収蔵)