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アネモメトリ -風の手帖-

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#33
2015.09

状況をデザインし、好循環を生みだす

後編 有田焼とまちの400年をひらく2016/ project
3)400年の節目に再生する 2016/ project

2016/ project は、佐賀県が進める有田焼400年の一大事業のひとつである。数億の予算を投入する、スケールの大きな取り組みだ。2013年に立ち上げられ、有田焼が始まってから400年となる2016年に向けて進められている。
柳原さんはそのディレクターとして全体を動かしており、世界に向けた有田焼の開発と発信、さらに有田のまちのありようを変えることを試みている。具体的には、ヨーロッパなどからデザイナーを数組呼び、窯元や商社と共同して新しい有田焼を開発し、世界で発信するとともに、ものづくりに特化した有田を、ひとが集まり、交流したり滞在してもらえるまちにしていこうというものだ。
また、2016/ project にはオランダが大きく関わることになり、実質的に県とオランダのプロジェクトでもある。オランダもそうだが、県のほうもとても積極的で、担当者たちが一緒になって2016/ project を進めている。一般に行政のプロジェクトとの関わりかたは、予算やスケジュールを決めてその管理をすることが主な役割で、現場のことは任せきり、というイメージだけれど、佐賀県の担当者たちは、県庁所在地の佐賀市から1時間以上かけて足繁くやってくる。そして、柳原さんや有田の窯元や商社、さらにはデザイナーたちと密にやりとりを重ねているのだ。
担当者のひとり、有田焼創業400年事業推進グループ副課長の鷲崎和徳さんに、まずは400年記念事業と2016/ project のありかたにについて、大枠を説明してもらった。

鷲崎和徳さん

鷲崎和徳さん

——これまでの節目では、300年では先人への感謝ということで、陶祖の李参平さんを祀る碑を建てました。350年のときは、焼き物文化の普及と人材育成をしようとなって、九州陶磁文化館の開館につながりました。

じゃあ400年は何をするかと考えたときに、産地としての有田は今ひどく疲弊してるんですね。有田焼は佐賀県を代表する地場産業です。県としては産業振興ということで有田焼にがんばってもらって、他の地場産業をリードしてもらいたいわけです。だから400年事業では、産地と産業を再生し、回復させることを目的にして、どうすればいいのかを考えました。
そうは言っても、150くらいある窯元それぞれで考え方も方向性もいろいろです。モダンなものもあれば、トラディショナルなものもある。そんな状況だからひとくくりにはできないし、ひとつのプロジェクトではできないよね、と。
そのとき、すでに新しい芽がいくつか出てたんですよ。そのひとつが、百田さんが企画されて、柳原さんがプロデュースされた1616/ arita japan です。それ以外にも、有田に関わられているプロデューサーの方が以前からいらっしゃるので、そういう方々に有田再生のプロジェクトをやっていただこう、と。つまり、県としてのプロデューサーを置かずに、そのプロジェクトごとのプロデューサー、キーパーソンを中心に事業を仕組んでいくというかたちを取ろうと考えたんです。

佐賀県のサイト「ARITA EPISODE2」では“礎となった400年「エピソード1」から、新たなる物語「エピソード2」へ”というキャッチコピーを掲げ、400年事業のそれぞれを紹介している。ラインナップは幅広く、「ミラノ万博プロジェクト」に「欧州著名レストランとのコラボレーション」など、海外に目を向けたものから、「焼き物文化発信」や「遺跡の学術発掘調査」までさまざまだ。そのなかで、2016/ project は有田のまちとひとを再生させる、という期待を背負っている。また、かなり革新的な存在でもある。

——1616/ arita japan では、商社である百田さんを中心に窯元3社が一緒に立ち上げられて、世界的に評価も受けられましたから、2016/ project ではそれを地域のものにしていこうと。地域全体の取り組みにして、有田を再生していく基本といいますか、その中心となるひとたちを育成していこうと思っています。
それにあたって、柳原さんからは強力な商品開発をしましょう、と提案を受けました。有田には強力に発信していく“もの”はあるから、それを世界に発信していけば、有田にいろんなクリエーターが訪れて、常に有田にクリエーターが滞在している状況ができる。そうすることで何かを発見していけるまちになるから、それを目指してがんばりましょうと提案をいただき、「じゃあ県としてもがんばります」ということでスタートしたんです。

鷲崎さんたちにとって、柳原さんの「最初から世界に発信」という発想は「すごい!」と素直に感心するものだったが、一方で本当に実現できるのだろうかという疑問もあった。でも、再生するには徹底して、思いきったことをしなくてはならない。そのこともよくわかっていた。
柳原さんたちの紹介もあって、オランダ大使館に話を持っていってからは、一気にことが進んだ。2013年11月には連携協定を締結し、大使館でプロジェクトの概要を発表させてもらうなど、2016/ project は佐賀県とオランダとの提携プロジェクトになったのだった。柳原さんは言う。

——2016/ project に関しては、オランダが国策として目指す方向性と一致していたので、快諾してくれたんです。
連携が正式に決まる前でしたが、オランダ大使館に有田の窯元や商社のひとたちを呼んで、「こういう世界を目指してます」「アムステルダム国立美術館(以下、ライクスミュージアム)で、2016/ project の商品の展示を目指しましょう」と発表しました。県に対してこういうのをやっていきましょうとアピールしたかったので、連携も本決まりではないのに「目指しましょう!」って。でもその後、連携もライクスミュージアムの展示も決まったんです。オランダのほうがかなり乗り気になってくれて、いまや佐賀県のプロジェクトというより、オランダのプロジェクトみたいになっているくらいですね。

柳原さんのしかけは、最上の結果を生んだのだった。2016/ project のお披露目はミラノサローネと決めていたが、ライクスミュージアムの展示は、見本市とはまた違った視点から商品を見てもらえる願ってもない機会だ。立ち上がりから、2016/ project は良いほうへと向かったのである。

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オランダ大使館にて、オランダと佐賀県の2016/ project における提携発表のようす Photo : Kenta Hasegawa

オランダ大使館にて、オランダと佐賀県の2016/ project における提携発表のようす
(Photo : Kenta Hasegawa)