アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#31
2016.07

「一点もの的手づくり」の今

後編:RYOTA MURAKAMI オカンとファッション
3)根っこを探ると、野暮な手づくりがあった

洋服が大好きになった亮太少年は、10代のあいだは、とにかくファッションに夢中だった。

——調子に乗って、中学校ぐらいになったら古着屋に行ってみたりとか。雑誌を一生懸命読んだりして、気づけばファッション大好きになっていましたね。見るのも買うのも好きで、服ばかり買ってました。
中学を卒業したときに、コムデギャルソンに初めて行ったんですよ。雑誌で見て、なんだかすごいブランドだと思って、とりあえず行ってみようと。兵庫に住んでるのに、大阪にあるのを知らなくて、わざわざ広島まで行っちゃったんです。関西の雑誌に「広島店」と書いてあったので、広島にあるんだ! と。そのときのことはよく憶えてますが、ラックにかかってる服が全部理解できなくて、値段的にも唯一買えそうなのがPLAY(コムデギャルソンのレーベルのひとつ)のTシャツと、セールになってたブーツだけでした。PLAYを買うのはなんか負けた気がしたんで、ブーツを買って。それがデザイナーズブランドのものを買った最初でしたね。

デザイン性の高い服を知って、亮太さんは衝撃を受け、いっそうのめり込んでいく。コレクション雑誌を取り寄せては読み、さまざまなブランドを知り、高校のときにはファッションの仕事をしたいと思うようになっていた。
ファッションデザイナーを目指して、大阪の上田安子服飾専門学校に入学した亮太さんは、大好きなコムデギャルソンやマルタン・マルジェラに影響を受けたような服をつくっていく。卒業後は上京して山縣良和さんのwrittenafterwardsのアシスタントとなるいっぽう、山縣さんが主宰する「ここのがっこう」に通って、ファッションについて、根本から考え直すことになった。

——(上田安子服飾専門学校を)卒業して3、4ヵ月経って、上京しました。
「ここのがっこう」は、自分のルーツとか、自分は何を見てきたか、自分は何に価値を感じているかとか、そういうことをとことん追究して見つけ出すというところで、僕もそれをやっていて。
それまで、母親の服なんてすっかり忘れてたんですよ。つくってもらった服とか、編みぐるみの人形とかアクリルたわしとか、どれも野暮ったくて、僕にとってはファッションじゃない。あんなの見たくもないと思ってたんですけど、あらためて考えてみたら、自分にとっては大事なものだったんじゃないかと気づいたんです。

「ここのがっこう」は、「ファッションって何?から始まる学校」を教育理念として、「スカートの縫い方ではなく、【スカートとは何か】と考える」教育を行うところだ。
そこに通い、ファッションをさまざまな角度から深く考えていくなかで、亮太さんは、ファッションの対極にあると思っていた「オカンの野暮な手づくり」に行き当たったのだった。これもまた、ファッションなのかもしれない、と。