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アネモメトリ -風の手帖-

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#18
2014.06

場の音、音の場

前編 梅田哲也×細馬宏通 対談 展覧会「O才」をめぐって
4)近さゆえの、距離感の喪失

梅田 あの辺のひとたちってしゃべりたがるんですよ。自分を知っていることを、とにかくしゃべりたがる世話焼きなひとが本当に多くて。だから、細馬さんの言う通り、そこは想定してつくってるんですよね。ふらっと入ってくる地元のひとをどう捉えるか、どう受け入れるかを、僕だけじゃなく、スタッフみんなで考えていて。何も知らずに地図もなかったら、こっちからこう行くんじゃないか、じゃあ、ここに階段つくっちゃおうとか。たとえば、壁を抜いているようなところだと危ないから、本来ならば柵をつけなくてはいけない。でも、柵をつけたくないから、監視のひとが必要になる。だけど、ただ監視だとつまらないから、誰か来たら紐をひっぱってもらおうかとか、監視にできるだけ注意が向かないような仕掛けを考えると、地元のひとは、何かやってるな、と入ってくるんですよ。で、絶対べらべらしゃべるだろう。そしたら、その話し相手としてスタッフをひとり座らせておこう、とかね。

細馬 なるほどね。

梅田 で、監視のスタッフに、ちょっとそういうことをやってもらうと、すごく変なことがまたいっぱい起こって。椅子に座ってマンガを読んでてもらったら、「マンガを次に回してください」と言われて、席を空けなくてはいけなくなって、監視の席に客が座って漫画を読みだしたり。他にも、地下道の奥の突き当たりで、ひとが入ってきたときに、どう対処すればいいかを考えて。スタッフが反対向いて立っておくことにしたら、順番待ちをしてると勘違いされて、そこに行列ができてしまったりとか。

細馬 あそこは確かに、どうふるまったらいいか、わからないんだよね。ふつう、そんなどんづまりにまで行ったら、きっと何かイベントが起こるか作品が展示されているかして報われるって期待すると思うんだけど、実際は何にもない。ところが、報われない、で終わりじゃなくて、行ったひとは各々、こうすれば報われるだろうということをやり始める。ぼくの場合は、どんづまりにいたひとと、このどんづまりの向こうは女湯なんですか、へえ、なんて話をして、それでようやく納得して帰ったんだけど(笑)。

梅田 ゲストパフォーマーのハイネと篠崎さん(*1)が、ふつうに道端にいて、誰かが通りかかる瞬間だけ静止するということをやったんですけれど、止まっていたら、客も止まっちゃったりとか。動いてはいけないルールが勝手につくられてしまう。

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ハイネ・アヴダルと篠崎由紀子、美夢の3人で、道のコンクリートがひび割れたところに南天の実を並べる

細馬 客は勝手にそこを読みとったり、勝手に何かを始めたりするよね。ふつうの美術展って、そういう活動をどれだけ禁じるかってことに力を注いでる感じがするんだけど、梅田くんの場合って、むしろそういう活動を賦活することに力を注いでるんじゃないかと思うところがあって。あの会場を回っていると、だんだん、どこからどこまでが展覧会なのかわからなくなるんだよね。
自分でも意識してなかったんだけど、そのとき明らかにどうかしてるんだと気づいたのが、飛田新地の大門まで行った帰り。新地の看板が出ている目抜き通りに出ちゃったんだけど、女の子がいて、曳っ子のおばあさんが横にいて、客の呼び込みをしてる。で、曳っ子のおばあさんと目が合っちゃって「おにいさん、ちょっと入っていいから」と言われる。で、これも展覧会かの一部かと思って素直に入っちゃったんだよね。あのときの自分の距離感の喪失は何だったんだろうな。

梅田 観にきた知り合いの女性が飛田新地に入っていって、迷ってたら、来い来い、とされて。「(地図を)見せてみろ」と言われて、行きたかった壁の場所を教えてもらったらしいんですよ。そのときに、あの看板のところでもう1回聞けと言われて、2軒入ったという。遊郭ですから、そんな体験をしたひと、女性でなかなかいないんじゃないかと思うんですよね。

細馬 イノセントだね。

梅田 ね。でもね、当然ながら、あそこに住んでいるひともいるわけで。 3年間あの辺で制作を継続してたんで、祭りなんかのイベントごとは極力見るようにしていたんです。そしたら、遊郭のエリアで「子ども祭」があるんです。見に行くと、子どもが神輿を担いで、あのあたりを回ってるんですよ。おばさんなんかがお布施を渡すと、「○○さん(お店の名前)を祝いましょう、ダンダカダンダカ」とやるんですね。それについて回っていたら、子どものひとりが、麦茶を飲みに入っていったりするわけです。そうか、ここが家なんだな、と。ここにもふつうに住んでる子がいて、生活があるんだと思った。

細馬 そうそう、そういう距離感が変な感じだったな。飛田新地というのは「見せる」ということがいちばん高度に発達した場所のはずなのに、子どもがすっと通ることで、こちらが意識してなかったすきまがそこに表れる。
そういえば「O才」の終着点だと思ったところは、飛田新地の組合会館だったんだよね。これがまたほとんど空っぽの、何もない状態の会館で、ガイドツアーの方もとても奇妙な感じで。何にもない場所をなぜか、いわくありげにツアーして終わる(*2)。なんとも変な感じでしたね。

人が通りかかると動きを止める、など

*1ハイネ・アヴダル&篠崎由紀子 振付家/ダンサー。ブリュッセルとオスロを拠点に1999年からコラボレーションを開始し、カンパニー「fieldworks」を主宰する。

*2飛田会館ツアー 「O才」歩きの最終地点となるツアーは、15時半から17時までのあいだ、30分間隔で玄関に集まって行われた。参加するしないは自由。