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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#17
2014.05

ものづくりから始まる、森林づくり、村づくり

後編 村民と移住者たちの森林づくり、ものづくり 岡山・西粟倉村

5)「なんだか面白そう」な村だった
カトラリー作家・山田哲也さん、料理人・西原貴美さん1

木工房ようびの大島さんのように起業するために移住してきたひとがいる一方、森の学校への就職を機に移住してきたひともいる。
山田哲也さんと西原貴美さん夫婦は、大阪の職業訓練校で木工を学び、西粟倉村に移住して結婚した。先に村に来たのは、夫でカトラリー作家の山田さんだ。

西原貴美さん(左)、山田哲也さん(右)

西原貴美さん(左)、山田哲也さん(右)

———ちょうど森の学校が立ち上がるころに、求人募集があったんです。会社の立ち上げに関われることなんてそうそうないので、面白そうだなと思って。もともとはニシアワー製造所(前号参照)の工場長の求人募集だったんですけど、「僕は商品の営業や企画がやりたいんです」と言ったら、「今回はその枠の募集じゃないけどいいよ」って拾ってもらって。

森の学校では、村の間伐材を使った「f」という無垢材の家具シリーズを立ち上げ、スチールとヒノキを組み合わせたリーズナブルなデスクなどを企画した。また、「FURERU」という屋号のもと、木製のスプーンやフォークなど、日々の暮らしで使うカトラリーなども手仕事で制作。村に来た当初は、大島さんや森林組合のひとと半年ほど共同生活し、充実した日々を過ごした。

山田さんが手がける「FURERU」の木製フォーク

山田さんが手がける「FURERU」の木製フォーク

———僕は30歳の時に西粟倉に来たんですけど、当時、村に来ていたひとたちも30歳前後のひとが多かったんですよ。あの時、同世代の連中がいなかったら、すぐ大阪に戻ってたと思います。頑張っている同世代に刺激を受けたことがめちゃくちゃ大きかったですね。

夏になると、森の学校を抜け出し、吉井川でウナギ釣りをするのが恒例だったそうだ。

———森の学校が夕方5時半くらいに終わるので、4時半くらいから牧さんとミミズを掘りに行って。社長がやってるから、まあいいかって(笑)。そこから夜の9時ころまでひたすらウナギを狙う。スッポンが釣れる時もあるんですよ。

西原さんは、そんな山田さんの話に興味を引かれ、牧さんらが開催していた「挑戦者募集説明会」に参加した。

———大学が鳥取で、実家が大阪だったので、西粟倉村はよく通りかかっていたんです。それに、めったに出ない木工の仕事の募集だったし、いろいろ話を聞いていると面白そうなところだし、おいしいものもいっぱい食べられそうだし。

その後、就職することが決まった西原さんはニシアワー製造所に配属。生産管理の仕事を担当した後、森の学校に異動になり、広報やカフェ、ショップの立ち上げに関わった。特にカフェ(現在は営業休止中)の立ち上げでは、得意の料理の腕を生かして、シカ肉カレーのレシピも考案した。実は当時から、西原さんには食堂をやりたいという夢があったそうだ。

———大阪で木工を学んだのも、内装、家具、料理のすべてを自分でつくったごはん屋さんがやりたいなというのが根っこにあったからなんです。もともと料理をつくって食べることが大好きで、大学時代も、お世話になっていた教授と、鶏をしめて食べたり、スッポンをしめて食べたりする会を月に1回やっていて。

得意なのはジビエを使った料理だ。知るひとぞ知る大阪市立自然史博物館主宰の骨格標本作成サークル「なにわホネホネ団」に所属していたこともあるほどの動物好きで、それが高じて、シカやイノシシなどもさばいて料理するようになったそうだ。
そんな西原さんの夢を叶えようと、山田さんたちは森の学校を“卒業”。平成25(2013)年、同じくアトリエを持ちたいと考えていた西粟倉村在住の鈴木菜々子さん(7章)・宏平さん夫妻と共に、隣町の美作市古町で「難波邸」という古民家をリノベーションした複合施設をスタートさせ、そこに念願の食堂カフェ「フレル食堂」をオープンしたのだった。

「難波邸」内にある「フレル食堂」のカウンター。西粟倉村のヒノキが使われている

「難波邸」内にある「フレル食堂」のカウンター。西粟倉村のヒノキが使われている